浅草の老舗・フランス座

たった一回だけのフランス座とベルの思い出

 コント赤信号やゆーとぴあらが出た道頓堀劇場より、はるかに多くの芸能人が 生まれでたフランス座。欽ちゃん、寅さん、ビートたけしが修業し、作家の井上ひさし が文芸部員として働いたというは有名だ。
 私は1998年の11月23・24日にフランス座に訪れたが、それが最初で最後になって しまった。ソロダンスを中心に合間にコントも入る昔ながらの演出で非常に楽しい時が 過ごせた。是非、機会があればもう一度訪れたいと思っていたのに残念だ。
ちなみにその時に記録していた香盤は、
真田安見、梓るみ、乱、永井一葉、仁科夕希、雅くるみ となってある。
 2日目の観劇を終え、大阪へ帰る前にベルへ立ち寄って夕食を食べた。 豚肉の生姜焼き定食を頼むと、元浅草駒太夫のママが作ってくれた。二日間劇場に 顔を出したからか、大きなバッグを持っていたせいか、フランス座の常連さん が声をかけてくれ、ママも話しかけてくれた。下町人情というのであろうか? 劇場にはもう無くなってしまったが、ベルにはもう一度行ってみたい。
 以前テレビで映像空間'98「ストリッパー旅日記」('98.10.14)という番組があった。 その番組では、娘がデビューして親子ストリッパーとなって初めてゆっくり一緒に 過ごす時間が出来た親子が程なく娘がひとり立ちして別々の旅回りが始まる話や、 離婚して幼い娘と別れ地方回り続ける踊り子の話と共に、フランス座の話もあった。 半世紀近い年月を劇場に生きてきた、浅草駒太夫とその夫でフランス座の支配人 だった佐山淳の二人が、いくつもの修羅場を越え、今、仲良く一緒にお風呂に 入っている姿が印象的だった。