関西ニューアートとオアシス

オアシスを賑わせた踊り子さんたち

 2002年6月2日にSWEETさんのページに投稿した内容を加筆修正したものです。

 関西ニューアートが2003年2月より半年ほど休館になってしまった。ここ1年ほど の間は素人さんの舞台とオアシスでの楽しい時間を過ごした。半年というと随分、 長期の休館なので、その後の再建が心配だが、オアシスという魅力を兼ね備えた 愛着のある劇場だけに再建を切望している。

 私がはじめて関西ニューアートを訪れたのは、1993年の秋ではないかと思う。 その頃私は、十三ミュージック所属のてまり嬢をたいへん気に入っていた。 当時、十三と関西ニューアートは系列館であったので、彼女に会いたいと思えば 外せない劇場であった。
 最初の半年くらいは、オアシスの存在に気づかず、立ち入ることもなかった。 1994年のお盆興行の時である。劇場に入る時にふとオアシス内を覗くととても綺麗な 女性がカウンターの中に立っている。よく知らなかった私は「なんだか余計にお金が かかりそうだ」と思って、しばらく場内で観劇を楽しんでいた。それでも怪しい魅力に 勝てず、「ここはどういうところなの?別に料金がかかるの?」と従業員に聞くと、 ぶっきらぼうに「ただの喫茶店だ」との返事であった。
 少し安心して、オアシスに入っていくと、先ほどの女性がにこやかに迎えてくれた。 最初、喫茶店のママか何かと思っていたその綺麗な女性は、よくみれば、舞台で 花電車を演じていた踊り子さんではないか! こうして私は亜里沙ユキさんと 初めて出会った。

 その頃は、まだバブルの余勢のある頃で、関西ニューアートは、道後ミュージックと 共に十三の踊り子さんを中心にストリップショーで大変賑やかな時代であった。 十三所属の踊り子さんの中でも、亜里沙ユキさんを核に夕貴綾さん、秋山エリさん、 それと94年夏だけの限定ステージだったが”こゆき”さん(今の小雪さんとは別人)の 4人は、関西ニューアート専属の踊り子で松山の踊り子とも呼ばれていた。
 実際に夕貴綾さんとこゆきさんは松山出身だが、亜里沙ユキさん、秋山エリさんの 出身は違う。十三では白鳥マコさんと真央さんが松山出身だが、なぜかその4人が 松山の踊り子であった。ともあれ私は松山の踊り子にのめり込んでいったのだった。
 正月興行やお盆興行などは、ステージだけでなく、「オアシス」にもよく顔を出して くれ、私にとって本当に楽しい劇場だった。亜里沙ユキさんは本当にオアシスの 面倒をよく見るママ的存在だった。上述の4人は勿論、十三所属の踊り子さんで、 オアシスの看板娘をつとめてくれた踊り子さん達。。。
風見愛さん、藤野杏さん、未来咲弥さん、水沢恋さん、コーヒ入れてくれたりカレー 作ってくれたり嬉しかった。渡辺理緒さんも入ったことあるんじゃないかな? 未来咲弥さんは、にんにくたっぷりの手作りカレーを作っておられた。私は食べ損な ったが、ファンで食べた方はさぞかしおいしいカレーだったことだろう。
 他劇場からのゲストの踊り子さんがオアシスに顔を見せてくれたときも、ファンは 大喜びだった。TSの千堂あやかさんや宮沢えりさん、渋谷道劇の清水まみさん などなど、晃生の踊り子さんもちょくちょく顔をのぞかせていた。
 名取優さんが来られたときに、清水まみさんに、優さんとご自分のを作る際に、 私にもトーストを焼いてコーヒを入れて頂いたのはとても大切な思い出である。