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私家版法律論文執筆要領



奥田安弘
2021年12月7日作成(随時更新)


テーマの選定〕〔調査研究〕〔タイトルの付け方〕〔文章の書き方〕〔論文の方法論〕〔国際私法の特性〕〔校正〕〔学界回顧と判例評釈〕〔研究者データベース


テーマの選定

・他の研究者がすでに調べ尽くしたと思われるテーマは避けること。
論文は、日本において他の研究者がまだ取り上げていないか、または本格的に取り組んでいないテーマを選ぶからこそ、価値があります。他に立派な論文があったら、それを乗り越えることは容易ではなく、もし乗り越えることができなかったら、自分の論文は全く価値がないことになります。資料が適度にあり、多過ぎないことも重要です。

・外国法研究は自分の修練と思って取り組むこと。
外国法研究の蓄積も十分にないのに、日本の判例学説をまとめたにすぎないようなものを「論文」として発表するのは、身の程知らずと言わざるを得ません。外国法研究の蓄積があってこそ、たまに日本の判例学説を本格的に調べることは考えられますが、その前に自分が外国法研究を十分にしたと言えるのかどうかを自問自答すべきです。

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■調査研究

・外国法はそれ自体の論理を追究すること。
日本の立法では、外国法を調べた結果を要領よくまとめて、それを立法理由とすることがありますが、外国法には、それ自体の論理があり、法体系全体や社会的背景の違いを無視して、日本の立法の参考にする方法自体に疑問を感じます。ましてや論文がそれを真似るのは、言語道断です。最近は「日本法への示唆」をまとめとする論文を良く見かけますが、そういう論文に限って、外国法の調査が不十分だと思います。

・オリジナリティとフィージビリティ
論文というからには、これら二つが必要であることは、研究者であれば、誰でも知っていることでしょう。ところが、最近は、単なる思い付きをオリジナリティと勘違いしている、と思われる論文を見かけます。いや最近どころか、国際私法の分野では、かつて某有名大学の教授がそのような思い付きを論文および著書として公表し始めたことから、それに感化された研究者が瞬く間に増えた感があります。まさに悪貨は良貨を駆逐したわけです。オリジナリティというのは、あくまでも綿密な調査研究を必要とするわけであり、その肝心の調査研究が不十分であるのに、オリジナリティのある論文が書けるはずがありません。これは、国際私法だけでなく、すべての法律分野、さらにすべての研究分野に共通することです。

・研究会や学会での報告
私たちが駆け出しであった頃は、研究会や学会での報告は、「何を訊かれても大丈夫なように準備をしておけ」と言われ、それでも厳しい質問に晒されて、やっと論文を公表することができたのですが、今は、あたかも「他の人の意見を訊いてから、手直しをする」と言わんばかりです。まずは、自分が徹底的に調べるべきです。報告のテーマについては、自分が最も詳しいはずであり、他の人は、各人が自分のテーマに追われているはずですから、そのような他人の意見を頼るのは、愚の骨頂です。

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■タイトルの付け方

・タイトルはなるべく短くすること。
1961年に「法性決定論議の大半は法政策的調和の問題に還元さるべきの論」と題する論文が公表されたことがあり、そのタイトルに驚いたことがあります。それをきちんと読んだのかと言われると、ほとんど取り上げられていないこともあり、正直申し上げれば、読んでいませんが、近年において、これに類するタイトルを目にすることが多々あり、胸を痛めております。神戸大学恩師の窪田宏先生からは、論文のタイトルはなるべく短くするよう言われており、私自身も、タイトルを見ただけで読む気の失せるような論文は避けるべきであると思っております。

・タイトルの限界
タイトルだけで内容をすべて明らかにすることは、不可能です。むしろ論文の冒頭において、全体の構成を手短にまとめることが重要です。窪田先生からは、「大事なことは何度でも書け」と言われており、その論文の主張を一貫させることに注意すべきでしょう。何が言いたいのか、よく分からないような論文、最後にどんでん返しのあるような論文は、小説ならまだしも、法律の論文として失格です。本の書評では、タイトルを執拗に攻撃する人がいますが、それは、内容をよく読んでいない証拠だと思います。

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■文章の書き方

・手抜きは絶対にしないこと。
論文というからには、徹底的に調べたことを書くのが当然であるのに、頭出しをしたにすぎないようなものを「論文」と称して公表する例を見ることがあります。あるいは、一通り調べたことを書いて、そのまま公表したのではないかと疑われます。「推敲」という言葉が死語になったのかと思う程です。論文は、一通り書いた後が勝負であり、提出前に何度も見直して、足りない部分を補い、余計な部分を削ることによって、レベルが高くなるものです。それは、小説でも同じであり、昔の手書き原稿を如何に修正したのかは、よくテレビなどで放映されています。

・本文に入れるべきことを注に書かない。
これは、私が英語またはドイツ語で論文を執筆した際に、ネイティブの研究者から指摘されたことです。それ以来、日本語で執筆する際にも、注意するようにしています。かつて日本では、「大事なことは注に書いてある」と言われましたが、それは、有斐閣の法律学全集のように、注の多い体系書に当てはまることであり、論文がそれでは困ります。注は、あくまでも文献引用の場所であると考えています。

・文献目録のような注を付けない。
かつて原稿用紙にペンで書いていた頃とは異なり、最近は、パソコンで論文を作成するためか、あたかも文献目録のような注を見かけることがあります。インターネットでコピペするからなのでしょう。しかし、私が駆け出しであった頃は、「何を拾って、何を捨てるのかを良く考えろ」と言われたものであり、参照した文献を何もかも引用していたら、単なる行数稼ぎだと叱られました。本当に引用に値する文献であるのかは、十分に考えてほしいものだと思います。

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論文の方法論

・法解釈の基本
昔は、法解釈論争などがありましたが、最近は、そんなことにお構いなく、ともかく手当たり次第、目についたものを並べるだけというような論文を目にします。今更言うまでもなく、法解釈は、文理解釈が基本であり、それに加えて、目的論的解釈、体系的解釈、比較法的解釈、歴史的解釈などを補助的な手段として使うのが当たり前だと思っていましたが、そんな区別はお構いなしという風潮があるようです。統一法条約におけるウィーン条約法条約の適用について、拙著『国際財産法』50頁以下参照。

・解釈論か立法論か
これに関連して、気になるのは、外国法を何もかも日本法の解釈論に取り入れようとする論文が多いことです。外国法と日本法は、規定の文言、体系、社会的・歴史的な背景など、何もかも異なるわけですから、そのまま日本法の解釈に取り入れることができるのは、むしろ稀であり、立法論としても、相当注意を要すると考えられます。かつて私が学会に顔を出していた頃は、報告者の趣旨が解釈論なのか、立法論なのか、明らかにしてほしいという質問をよくしましたが、本来であれば、報告者がしっかりその点を踏まえて、準備をすべきであったのだと思います。

・論理の力
さらに、気になるのは、そもそも法律の論理を何も考えず、内外の判例や学説を単に羅列している論文を目にすることです。とくに外国の判例や学説については、あたかも金科玉条のごとく、あるいは水戸黄門の印籠のごとく、権威付けに使う人が多いのに辟易します。法律は、批判的な考察こそが重要であり、そのためには論理的な思考は欠かせません。外国の判例や学説も、その国では、すべて批判の対象とされるのであり、ましてや日本の最高裁判例であるとか、学説で多数であるとか、有力であるとか、そんなことがなぜ権威付けに使われるのか、私には理解できません。何のための研究なのかと思います。

・条約などの翻訳
蛇足ですが、条約や外国法などを自分で訳さないで、他人の訳や解説をそのまま使っている人がいます。これも信じがたいことです。条約の公定訳でさえも、誤訳があるとして大問題になるのに、ましてや他人の訳をそのまま使うのは、危険極まりありません。私は、自分のできる言語(英独仏伊など)の場合は、もちろん自分で翻訳しますし、自分ができない言語(ロシア語、中国語、ハングルなど)の場合は、専門の研究者に頼んだりしました。文理解釈が基本である以上、条文の翻訳は、最も気を使うところであり、それが間違っていたら、すべてが間違いということになってしまいます。

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■国際私法の特性

・上位性
国際私法の上位性と言えば偉そうですが、国際私法が内外法の適用関係を定めることから、上位法であることは、かねてより指摘されてきました。しかし、実際に国際私法を研究する者の立場からすれば、日本法はもとより、外国法も一通り知らなければ、国際私法を論じる資格がないと言われているようなものであり、大変なプレッシャーでした。現に他分野の研究者から、「国際私法を専攻しているのであるから、自分の分野の研究にも関心があるはずだ」と言われたことが少なからずありました。ただ他分野の知識は、あくまでも前提にすぎず、他分野の研究者と同じレベルの研究を求められても、困惑するしかありませんでした。

・他分野の研究
そうは言っても、他分野の研究は必要不可欠であり、私などは、『国際私法と隣接法分野の研究』というような本を出しているくらいですから、必要に迫られて、他分野の研究をせざるを得ないことは多々ありました。たとえば、統一法条約の研究をしていた際には、国際(公)法の知識は必要不可欠でしたし、国籍法の研究に至っては、憲法・行政法・民法・国際法など、様々な法分野に手を出さざるを得ませんでした。他にも、養子縁組あっせんや戦後補償、刑事裁判用語集など、よくもこれだけ他分野の研究ばかりして、本当に国際私法の研究をする時間があったのか、疑われても仕方のない生活を送っていました。

・国際私法の糧
しかし、最終的には、国際私法に戻ってくることになり、『国際家族法』や『国際財産法』において、研究の総まとめをすることになりました。よく大学退職の時期が迫ると、研究のまとめをするという人がいますが、私は、それを形にしないと意味がないと思っています。国際私法プロパーの研究だけをしていたのでは書けないようなものを書きたいという思いで、これらの本を出版しましたが、『国際家族法』はすでに第2版ですし、『国際財産法』も改訂作業を始めています。もちろんこの出版不況のなかで、出版社には大変な恩義を感じており、他の本で貢献できるのであれば、ぜひそういう本も出版したいと思っています。そのためには、何よりも地道な研究が欠かせないのは言うまでもありません。

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■校正

・完全原稿の提出
最近は、原稿が足りないせいか、大学の紀要では、合併号にしたり、年間の号数を減らしたり、投稿を呼びかけるメールが届いたりするなど、編集委員会は苦労しているようです。しかし、だからといって、書きかけの原稿をそのまま提出するのは、言語道断です。提出前に推敲を繰り返し、校正での修正を最小限にするのは、プロとして当然のことです。以前から、そういうプロ意識の希薄な人がいて、やたらと校正で赤を入れるので、雑誌の刊行が遅れることが問題となっていましたが、今でもその傾向は変わらないようです。

・校正記号をきちんと使うこと。
校正作業が遅れる原因としては、さらに筆者校正において校正記号をきちんと使えない人がいることも挙げられます。私のサイトには、校正記号へのリンクが貼ってあるので、それらをぜひ参照してください。私の本を出版する明石書店の編集者は、私のことを「まるで編集者みたい」と褒めてくれますが、そもそもプロの研究者が校正記号も知らないようでは、話になりません。

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学会回顧と判例評釈

私が大学院生であった1970年代後半から1980年代にかけては、某法律雑誌における「学界回顧」が大変な権威を持っており、海法学会に出席した際には、私の恩師である窪田宏先生と一緒に学界回顧の執筆の先生に抜き刷りを渡して、「よろしくお願いします」と挨拶に行く程でした。

しかし、自分が北大に赴任した1990年代に、国際私法の学界回顧の執筆を依頼された際には、「あまり生産的な仕事ではない」と考え、2年で辞めました。その後、学界回顧は、それほど権威を持っているとは思えず、その執筆者になったからといって、誰か挨拶に来るということはないようです。

また判例百選などの判例評釈も、私が香川大学に赴任した1980年代には、大変重要な仕事と考えられており、私の「研究生活裏話」でも、渉外判例百選や渉外判例研究などの依頼がないために、悔しい思いをしたことを書いています。しかし、今やそれらの判例評釈も、科研の研究業績のアリバイ証明として使われる程度になり、私自身も、最近は判例評釈の依頼があっても、すべて断るようにしています。

私のチェックする欧米諸国の法律雑誌でも、判例評釈は、それほど評価される仕事ではなく、やはりきちんとした論文を書くことが重要であることは、言うまでもありません。わが国の場合は、かつて判例研究が重要視された時代があり、当時は、それなりの意義があったのでしょうが、今は、判例自体のレベルが下がっており、それを追いかけまわすということの意義も考え直す時期に来ているのだろうと思います。

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研究者データベース

中央大学では、私が移籍する前の2001年度から、独自の「研究者情報データベース」を運用しており、2011年から国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が運営するresearchmapとも連動していました。ところが、2023年度からは、逆にresearchmapのデータが中央大学のデータベースに提供される形に移行するため、退職前の私も、両方のデータベースをチェックする羽目になりました。

実際のところ、どちらのデータベースも、理系仕様となっており、文系の研究者にとっては、戸惑うことばかりです。たとえば、researchmapは、研究論文の掲載種別が「学術雑誌、国際会議プロシーディングス、大学・研究機関紀要、研究会、シンポジウム資料等、その他学術会議資料等、論文集(書籍)内論文、学位論文(博士・修士・その他(学位等)」となっており、Miscの掲載種別が「速報・短報・研究ノート等、研究発表ペーパー・要旨、機関テクニカルレポート、技術報告書・プレプリント等、記事・総説・解説・論説等、講演資料等、書評・文献紹介等、会議報告等、その他」となっています。

しかし、「翻訳」という項目はないので、文系の研究者は困ってしまいます。研究をしたのは、外国の研究者ですから、Miscのどこかに入れるしかないのかなと思っています。また研究論文も、重要なものは、大学紀要に掲載することが多いのですが、学術雑誌とは別の分類となっています。そもそも「学術雑誌」とは、どういうものかという説明がなく、大学のほうでは、「商業雑誌」という項目があるのですが、学会誌でも、定価を付けて市販されているものがあり、それは商業雑誌なのかという疑問が湧いてきます。結局、各研究者が自分の基準で分類するしかないのですが、人事などの教授会資料を見たら、「なぜこんなものが研究論文なのか」と疑問を抱くような分類をしている人を見かけます。

そんな不満は、reserachmapの担当者も分かっており、PowerPointをそのまま掲載したようなサイトを見つけたのですが、まとめとして書かれているのは、「researchmapに要求しよう!」という掛け声だけです。
https://researchmap.jp/outline/other/AXIES2015-1.pdf

文系に不親切だということが分かっているのなら、なぜ自分で改善しようとしないのか、あたかも「要求がないからだ」と言わんばかりであり、愕然としました。ちなみに、researchmapと大学の研究者情報データベースとでも、分類が少し異なるので、私は、両者がなるべく統一できるような分類を試みました。それだけで膨大な時間を費やしたことは、言うまでもありません。

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