奥田メモに戻る

  大学教育40年の歴史

    ―ゼミを中心として―


■本サイトの趣旨

退職にあたり、研究生活とは別に、大学教育を振り返る必要性を感じたので、神戸大学の学生時代から、香川大学・北大・中大の教職時代まで、ゼミを中心として、私の経験を綴ることにする。

ゼミの重要性については、すでに本サイトの幾つかのページで強調してきたが、なぜゼミにこだわるのか、不思議に思う人もいるに違いない。以下は、あくまで私個人の経験であり、また法律分野にのみ当てはまることかもしれないが、ご参考になれば、幸いである。


■神大の学生時代のゼミ

私の母校・神戸大学法学部では、当時は3・4年通年のゼミが必修科目であった。私は、窪田宏先生のゼミに所属し、すでに大学院生であった先輩と一緒に、海商法・保険法の勉強をした。その内容は、よく覚えていないが、民法の不法行為に関する判例として有名な富貴丸事件(大連判大15・5・22民集5巻386頁)を取り上げ、むしろ船舶衝突の当時の天候状況など、事実関係の重要性を学んだ記憶がある。ゼミ論文は、評価済み保険に関するアメリカの判例・学説を調べるため、当時まだ大阪にあった生命保険文化研究所に行った記憶がある。

大学院に進んだ後は、後輩の大学院生も入り、3人で窪田先生の指導を受けながら、法律以外に文化人類学や民俗学の話を聞いたことは、大きな財産となっている。ドイツ語やフランス語の専門書だけでなく、イタリア語の勉強を始めた際は、初心者だからといって、最初はピノキオや法哲学の論文を読み、そのうち世界最古の保険証券を翻訳するといって、中世イタリア語の資料を読み解くのに、たくさん議論をしたことも、私の財産となっている。

■北大時代のゼミ

香川大学に在籍中していた当時のゼミは、残念ながら記憶にない。一人講義を受けただけかもしれないが、卒業後に神戸大学の大学院に進学し、中国地方の某国立大学で会社法を教えている人がいて、今もサイトの更新案内を送っている。

北大に移籍した後、初年度は2名、2年目は0であったが、3年目に中国人留学生が大学院研究生として来日し、国際金融法をテーマにするというので、学部のゼミを募集したら、23名も集まって、驚いたことがある。その留学生は、結局のところ、大学院には進学せず、帰国してしまったが、現在は、国際法で有名な中国の某大学で教授を務めている。

その後、日米PL訴訟11名を挟んで、国際家族法10名が集まった時は、北海道警を退職して、韓国家族法の研究のため、大学院に入学した人が私のゼミに参加し、大いに盛り上がった。翌年の国際家族法14名はもうひとつであったが、翌々年の外国人の人権に15名が集まった時は、フランス人留学生(大学院生)と日系メキシコ人(研究生、日本語は片言)が参加し、再び盛り上がった。そのフランス人留学生は、イギリスで弁護士資格を取った後、今はスイス国境近くのフランス領で日本語のできる弁護士として活躍している。

こうしてみると、ゼミが盛り上がるのは、外国人留学生や異色の経歴の人が来たこともあるが、当時の日本人学生のなかには、私のゼミでプレゼンテーションやレポートの書き方を学んだことが後のキャリアで役立ったと言ってくれる人がいて、今でも賀状の交換など、連絡を取り合っている人が5名以上いる。私が中央大学に移籍した後も、たしか2回くらいは、同窓会を開催したことがある。

■中大時代のゼミ

中央大学在籍中のゼミについては、「研究生活裏話」で詳しく書いたが、まず法科大学院のシステムを説明しておく必要がある。

法科大学院は、法律試験を受けないで入学する未修者コースがあり、最初の1年は法律の基本を学ぶ。なかには、法学部を卒業したのに、法律試験で不合格になったので、未修者コースに入る「隠れ既修者」が一定程度いる。

当初は、ほぼ全員が2年生に進級し、3年目には卒業していたが、案の定、司法試験の合格率は、未修者が圧倒的に悪く、また学生からも、「なぜこんな自分を卒業させたのだ」という声が出始めた。

そこで今は、国の命令もあり、アメリカの真似をして、必要単位数を取得しても、GPA (Grade Point Average)の悪い者は、進級や卒業をさせない制度が定着している。これは、法律試験を受けて入学し、直ちに2年生となる既修者コースも同じである。司法試験合格者の多い他の法科大学院でも、留年が多いことは、「法科大学院生の勉強のあり方」で述べたとおりである。

国際関係法(私法系)は、当初から未修者の選択が多く、それは、内容を知らないで、単に「国際私法」という名前にあこがれる者が多いことを示している。私の講義やゼミでも、未修者が多かったが、結局のところ、司法試験に合格できず、その後どうなったのか、分からない人が多い。なかには、「答えを教えてくれたら暗記する」という人がいたり、ゼミの最中に机の下で参考文献を見て、私の質問に答えるというような人がいたりした。

これに対し、既修者で私のゼミを履修した者の合格率は、ほぼ100%であったと思う。「研究生活裏話」に書いたとおり、具体的な事案(課題)について、週末に文書を作成させ、あらかじめワードファイルで提出させた後、ゼミの時間では、①学生による報告(板書を含む)と学生同士の議論をさせ、②それが堂々巡りになり、進展がなくなったら、私の質問に答えさせ、③それも答えに窮するようになったら、学生の発言の矛盾点を指摘するという方法である。

このような討論型のゼミを履修し、司法試験に合格した者だけをゼミ卒業生として認め、私のサイトで現在の所属先へのリンクを貼っている(紹介→卒業生)。なかには既修者でも、あらかじめ書いた文書以外のことを全く話せない人がいて、仕方ないので、添削を返却するだけにしたことがある。その学生は、一発で司法試験に合格し、検察官になったようであるが、私のゼミ卒業生としては、絶対に認める気にならない。


■法科の中央?

「法科の中央」という言葉が独り歩きしているが、本当にその意味を考えた人がいるのだろうか?旧司法試験の時代は、中央大学が法曹養成のトップであると言われていたが、その実情は、1934年から100年近い歴史を誇る真法会の存在抜きには語れない。誤解をおそれずに言えば、法科の中央=真法会と考えるべきであろう。その真法会では、創設者の向江璋悦をはじめ、法曹OBが指導していたので、まさにゼミの成果であったと言える。

2004年に法科大学院が発足した当初も、そのような真法会出身の教員や法曹実務家が幅を利かせ、自分たちの力で再び法科の中央を再建するのだと意気込んでいた。しかし、いかんせん新司法試験は、事例問題が中心であり、旧司法試験とは比べものにならないくらい、高度化の一歩を辿っている。

それ自体は真の法曹を養成するために、必要不可欠だと思うが、中大法科大学院の学生の司法試験合格率は、低下するばかりである。その原因を学生の質の低下に求めるだけでは、問題の解決とはならない。「法科大学院の提言」では、様々な改善策を述べたが、何よりもゼミの復活が必要不可欠である。

いくら対面型授業と言っても、講義で発言する学生は、ごく一握りであり、また少し発言しただけで、教員が話の続きを引き受けるのでは、全く訓練にはならない。基本知識や論理性の欠如は、学生同士の議論を教員がしばらく聞き、どこが足りなかったのかを適切に指導することによってのみ、学生に理解させることができる。法科の中央の復活は、その先にしか見えてこない。


---------------------------------------------------
Copyright (c) 2023 Prof. Dr. Yasuhiro Okuda All Rights Reserved