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 「北海道は冬でもTシャツ1枚」の真偽



「北海道の家は暖かいから、冬でもTシャツ1枚で過ごしている」という話は、昔からよく聞きます。しかし、関西で生まれた私が30代から15年間暮らした経験によれば、この話には留保を付けたくなります。長らく気になっていたので、ネット検索をしてみましたが、あまりヒットしなかったので、自分で書くことにしました。

私は、20代後半から30代前半まで、香川大学にいましたが、自宅はもとより研究室でさえも、エアコンがなかったので、夏の暑さに苦しめられました。当時は、200字詰め原稿用紙に万年筆で書いていた時代ですので、汗で原稿がにじむほどでした。それでも耐えられたのは、若いせいもありますが、関西で生まれ育ったからだと思います。

しかし、ちょうど香川大学赴任前に、ドイツ政府の奨学金でハンブルクに1年間過ごしたので、初めて厳しい冬の寒さの洗礼を受けました。当時のハンブルクは、今よりも寒く、冬はマイナス20度、大きなアルスター湖が凍って、屋台が出たり、スケートをしたりする人がいました。大学のゲストハウスは、湖に近かったので、私たちは、氷の上を歩いて、中央駅(Hauptbahnhof)まで買物に出かけていました。

ドイツでは、温水暖房システムのセントラルヒーティング(Heizung)が各部屋だけでなく、浴室にまで設置され、冬は24時間温めてくれます。しかし、当時の写真を見たら、20代の若さなのに、冬はセーターを着ていました。ゲストハウスには、他の日本人も住んでいましたが、寒冷地生まれの人はおらず、皆さんセーターでした。

ドイツの暖房(写真あり)
 https://www.trans-euro.jp/TAex/2020/02/18/

35歳で北大に赴任し、今度は赴任直後に1年間、スイスのフリーブールに住みましたが、緯度が低いにもかかわらず、冬の寒さは厳しかったように思います。暖房システムは、ハンブルクと同じであり、やはり冬は室内でセーターを着ていました。1年後に札幌でマンション生活を始めたら、各部屋にガスファンヒーターが設置されており、冬は24時間つけっぱなしでしたが、家のなかでセーターを着ていました。当時は車通勤であり、駐車場は業者が除雪してくれますが、自分の車の上に積もった雪を落とすのに、30分くらいかかり、コートを着たまま、運転していました。外出の際はもちろん、マンションの1階まで新聞や郵便物を取りに行くだけでも、重装備をしていました。

ところが、地元生まれの人は、全く違います。近くのコンビニまでは、コートなしで雪をかきわけて行きますし、マンション内の移動はコートなしです。おそらく自宅では、Tシャツ1枚だったのでしょう。「北海道は冬でもTシャツ1枚」という話は、当時から聞いていましたが、東京に来てから、よく耳にします。しかし、観光で雪まつりに来て、温かいホテルの部屋に泊まったくらいで、そういうことを言うのは、如何かと思います。

私のゼミの卒業生は、地元出身者が多数いますが、彼らが東京で就職したら、最初の夏に必ず体調を崩しています。一方で、冷凍庫内の作業などの仕事には、寒冷地出身者が向いている、という話もよく聞きます。これは、汗腺の数の違いのようです。すなわち、寒い地域で生まれて育った人は、汗腺の数が少なく、暑い地域で生まれて育った人は、汗腺の数が多い、という理屈であれば、納得できる気がします。一応、病院のサイトに掲載されたブログを挙げておきます。

汗線の数
 https://www.hokuyukai-neurological-hosp.jp/blog/11923/



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