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         成城の歴史



*我が家の住所は、成城ではありませんが、歩いても行ける距離にあり、昔からの馴染みの店があったので、最近になって閉店が続くのは、残念に思っています。そこで、せめて人々の記憶から消えないように、幾つか紹介しておきます(2024年6月22日)。

〔名前の由来〕
https://precious.jp/articles/-/38358
https://www.seijogakuen.ed.jp/about/history/topics/u8ej300000003cij.html

*大正14年(1925年)に「成城学園」が新宿から移転したのが由来とされますが、地名が「世田谷区成城町」となったのは昭和11年(1936年)、「成城」だけになったのは昭和37年(1962年)だそうです。ただし、昭和2年(1927年)に小田急線が開通し、その当時から駅名は「成城学園前」だったそうです。

〔宮崎屋球三郎商店〕
https://blog.miyazakiad.co.jp/archives/4225

宮崎屋球三郎商店(酒屋)は、小田急線が開通した昭和2年(1927年)の創業です。私は、2003年の引越し当時から通っていましたが、残念ながら2019年に閉店しました(相続が理由と聞いています)。

〔関口眼鏡店〕
https://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/backnumber/20011103/23356.html
https://www.sekiguchi-opt.co.jp/

関口眼鏡店は、さらに古く成城学園が移転した大正14年(1925年)の創業です。私は、2017年の白内障の手術後に眼鏡を調整しなおすため、お世話になりましたが、2024年2月末をもって閉店しました。コンタクトや眼内レンズの普及などにより、眼鏡の需要が減ったことが理由のようです。

〔DCM成城店〕
https://www.dcm-hc.co.jp/news/shop/20240327153546.html

2003年の引越し当時は、まだ東宝日曜大工センターでした(さらにその前はボーリング場だったそうです)。その後、「くろがね屋」がオープンし、「DCM」と名称を変更しましたが、2024年5月12日をもって閉店しました。私は、たまに行くことがありましたが、あまり混んでいるのを見たことがないので、正直「大丈夫かな」と心配でした。跡地がどうなるのかという情報は、まだありません。



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