波比伎神の実体 

(問い) HPには、五十猛神(八幡神、波比伎神)とありますが、八幡神はかもしれない範疇にはいりそうですが、波比伎神については思いつきませんでした。文中にもその説明がなさそうですが、そのうち説明されるのでしょうか、という旨のご質問がありました。
      瀬藤禎祥様より(02.2.13) 


(樹童からのお答え)
1 この神は、阿須波神と並んで祈年祭祝詞に見え、一般に宅神(屋舎の内外を守護する神)とされます。『古事記』には大年神の子と記されます。古来、宮中で神祇官の座摩(いかすり)の御巫の祭る皇神五座の一であり、伊勢皇太神宮(内宮)所管の屋乃波比伎神または矢乃波々木ノ神とあります。摂津の坐摩神社祭神の一でもあります。(以上は、『神道大辞典』等の記述に拠る)

2 神の実体を考える場合、どのような氏族が奉斎したかが問題になります。波比伎神を祀る主な神社をみると、摂津国西成郡の大社坐摩神社(奉斎者は凡河内国造で、のち都下国造といった)、伯耆国川村郡の波波伎神社(同、伯岐国造)があげられます。両式内社ともに天照大神の御子・天津彦根命(天若日子)の後裔にあたる氏族が奉斎しています。「ハヒキ」はハハキ・ハウキに通じることも知られます。また、大和国吉野郡式内で銀峯山鎮座の波宝(ハハウ)神社の祭神も波比伎神で、対応する黄金岳鎮座の式内波比売神社はその妻神水波能売神を祀ると考えています。

3 坐摩神社の旧所在地であった都下野(トガノ)は迎日・日の出を意味し、のちの新羅江庄にあたります。同社の生井・栄井・津長井も、新羅の始祖王赫居世が生まれた蘿井(ライ。「み生れの泉」ないし「日の泉」の意)と同義とされます。朝鮮語の「卵(アル)」は日本語の「生る(アル)」であり、「生井=卵井」です(以上は、『日本の神々3』坐摩神社の項)。この王は卵生伝説をもち、王を出した朴氏はわが皇室と同族であったと考えられます。凡河内国造の祖たる天若日子の葬儀には、鷺の掃持(ははきもち)など多くの鳥が役割を果たしたことが記紀に見えます。坐摩神社には、独特の鳥懸神事があり、神紋は「鷺丸」でした。

4 また、丹波国多紀郡の波波伯部神社も同じで、多紀郡日置郷(延喜式の郷名。現篠山町のうち)に鎮座して素盞嗚神を祀りますから、「ヒキ」にも通じます。同郡の式内・熊按(くまくら)神社は篠山町春日江の同名社か同町八上新の八幡社かとされますが、私は波波伯部神社に比定するほうが妥当ではないかと考えます。
  古代の日置(日置部)を名乗る氏族は殆どが五十猛神(わが国に渡来してきた天孫族の始祖で、素盞嗚神として表現されることが多い)の後裔に位置します。京の祇園社(祇園牛頭天王)の祭祀に関与した高句麗系の日置造氏でも、素盞嗚神一族に通じる遠祖を持っています。五十猛神は記紀に現れる頻度は多くありませんが、高魂神(=天照大神で、当然に男神)の父神とみられます。波比伎神は熊野大神でもあり、ともに天孫族の流れをひく氏族が奉斎しました。

5 坐摩神社の井の神に「生・栄・長」とつくのも、御井神の又の名が木俣神というのも、出産と生長に関わるからであろう、波比伎神が神木のY字形の木俣神と推測する、と考えて、坐摩神とは日の御子が生れ育つ(そのことを示すのが生井・栄井・津長井の神)、朝日直刺す夕日日照る場所「大宮地」の神(阿須波・波比木神)である、と大和岩雄氏が結論されています(上掲の坐摩神社の項)。私は、坐摩の五神を二群に分けることには賛意を表しますが、 最初の三神は御井神(=木俣神で、高魂神)、次の二神はその父神の波比伎神(=五十猛神)だと考えます。
  なお、御井神の父神については拙稿「卑弥呼の冢補論」の*40等で述べましたが、波比伎神の父神とされる大年神も海神族の祖神とみています。『古事記』は海神族系統に伝わった伝承をまとめたもの(いわゆる偽書の一)であり、そこに海神族の祖神と天孫族の祖神が混同されて神統譜が記述されたと考えています。

  以上、きわめて分かり難い説明ですが、一応この辺りで終えることにします。

(02.2.17に掲示)

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