<1379 稲葉通高 美濃に来る>

 1379 「稲葉七郎重見イニ通高」康暦の頃より。軽海東城軽海西城 稲葉家代々居住 美濃明細記
 1414 二階堂稲葉三郎左衛門光資稲葉山城退去し加茂郡伊吹郷へ隠居。応永の頃より斎藤帯刀左衛門尉利永古城を修理し居住。「極楽寺文書」加納宏幸氏岐阜市観光協会歴史文化観光アドバイザ−、元岐阜市歴史博物館館長
 1464 河野通貞 稲葉塩塵 寛正5年 美濃へ来る。
  (1448〜1538)天文7年7月12日卒、「因幡社に参詣 佳瑞有りて云々」
   寛政重修諸家譜記載の因幡社は当時椿洞に有り、斎藤道三の頃移転。                       
 1468 稲葉石鹿入道元塵 応仁2年 加茂郡御座野村遠見山へ移る。
 1482 河野通春 文明14年卒
 1525 稲葉通則討死 大永5年
 1588 稲葉一鉄卒  天正16年
  河野通兼(稲葉七郎通兼、林七郎左衛門越智通兼)
  @ 1383〜1442 永徳3年〜嘉吉2年 美濃国諸旧記
  A 1296〜1367 貞治6年 73才卒 美濃諸家系譜
  B 1467〜1468 系図纂要 河野通兼 美濃へ来る。
       石手寺、応永の頃?石牛寺、応仁と誤記?
  C 応永の頃(1394〜1427)椿洞河野氏系図美濃へ来る。
    
  推定 稲葉七郎通高 1359〜1419
    稲葉七郎通兼 1383〜1442
    稲葉 通祐 1408〜1468
    稲葉元塵通以 1433〜1493
    稲葉塩塵通貞 1448〜1538
    稲葉 通則 1470〜1525
    稲葉一鉄通朝 1514〜1588

   宝賀寿男氏「古代氏族系譜集成」
     河野敏鎌家系図(子爵河野寿男家)
     河野通弘 応永2年入美濃国   1395
     応永27年庚子閏正月27日卒51才1369〜1420
    
   私見 稲葉七郎越智通高は河野通弘と推定

○その後、02.12.24付けで、次の内容の来信がありました。
 
  「伊賀稲葉系図」稲葉塩塵 大永3年9月13日卒
          83才 法号 塩塵道鉄(1442〜1523)
          寛正2年美濃来住(1461)
          通兼、元通業 稲葉七郎 左衛門尉 越智通春六男
          妻 稲葉光祐女
          明応5年(1496)稲葉光兼戦死、その遺跡を賜る 

 私なりに最近「稲葉氏」略系図を考えてみました(下に掲示)。



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