神武天皇の治世時期の推定
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Uの1 本論
安本美典氏の主張に通じる一元一次の単純な推計方式を回帰分析で検証してみる。 ※こうした回帰分析は、安本氏のやり方(古代天皇の平均在位年数を出して、ある基点から遡上して在位時期を推定する方法)とは厳密に言えば異なるが、ほぼ相通じるものとして、しかも、安本氏が評価することで取り上げる。
こうした推計方式は、当時、東大大学院生であった平山朝治氏が1983年に行ったのが最初に近いが(管見に入ったなかで当初そう考えたが、それより先に吉井孝雄氏が『季刊邪馬台国』第8号で行ったと教示され、こちらは割合簡単な記事で安本氏の説を支持する)、この本論の部分は、基本的に平山・吉井論考はまだ見ていないままの状態で書かれたものである。平山論考の検討は、付論としてUの2で行うこととしたい。
すなわち、単変数の回帰分析 Y=a +bX で上古天皇の活動時期を先ず試算してみる。
a:初代天皇(神武天皇)の即位時期
X : 変数で、天皇の代数(歴代天皇で第何代目かということ)
Yα:第α代天皇の崩御の時期(=退位時期。次代天皇の即位時期に通じる)
※解析手法は、EXCELのシステムツール(メニューのツール→分析ツール→回帰分析)に拠る。
基礎データの範囲選定:上古天皇の在位年代推定のため、適切な範囲を設定することが必要となる。ここでは、ほぼ正確な在位時期の知られる第27代安閑天皇から第62代村上天皇(生没が西暦926〜967年。在位は946〜967で、「崩御=退位」は合致しているが、その次代の冷泉天皇以降はこの不合致が頻出)までの期間で、「上古の諸天皇」と同質的なデータ(実権をもった王で、死去時まで在位していた〔生前退位がない〕、というのが基本)とする。
ちなみに、2つのケース、すなわち、A安閑天皇の崩御年(書紀紀年と『古事記』崩年干支が、安閑から以降はほぼ合致する事情がある)から考えるケース(Aケース)、及びB安閑天皇の先代の継体天皇の崩御年は『書紀』で531年とされており(異伝でも534年で、3年の僅差。また、即位年については、実質的な即位年には諸説あり、概ね515〜517とみられている)、これから後の天皇についての時期を採用する形(Bケース)、も考える。基本的に、血統的に同一の継体王統の諸天皇を基礎データ集団とすることになる。 範囲設定の下限、すなわち最後を村上天皇とみるが、その次代の天皇は、その子の冷泉天皇であり、割合長寿で1011年まで生存したものの、早くも969年で退位させられており、この天皇以降では、政治実権を失った天皇の形式的な在位とその年数にすぎず、その後も平安後期の院政の施行、承久の変の影響、鎌倉期の天皇家二系統並立などによる廃位や自発的な譲位などもあって、数値的にブレが大きい事情が様々に見られる。このように、退位・崩御の性格と時期の重要性に留意するから、これを推計する方式をとる(総じて、「退位年=次代天皇の即位年」と考える。「次代天皇の即位年=元年」かどうかは状況により違いもでるなど、若干の例外あり)。 (※できるだけ多くの同質的な諸天皇のデータを精査の上、これを基礎に比較・推計しなければならないが、異質データを混入させたまま、それを基礎とした推計は、推計手法としてはおおいに疑問があることに留意される。とくに、安本氏及びこれに賛同する論者では、この適切なデータ選別を無視する傾向があるが、この辺は疑問が大きい)。
このため、権力を持つ臣下により恣意的に退位させられる可能性のある天皇の時代は省く(「上古のように天皇・大王に実権ある王の時代」を考慮するということ。同様に、生前退位の比率が高い奈良時代の諸天皇のデータの取扱いには注意を要する)。とくに先代・次代の天皇との親族関係が不明ないし疑問な第15代応神天皇より前の時代、また上記の安閑天皇の前代までの上古の諸天皇の性格を考えると、次の諸事情を考慮して、基礎となるべきデータを適宜、選択し調整する(基礎データ及び各ケースで採用したデータは後掲)。
@基本的に『書紀』(『古事記』も適宜、参考にするが、『書紀』が基本)及び六国史の記事による。『書紀』に天皇としては数えられない第39代弘文(明治以降の取扱いとは反対で、実際にも即位したかがが不明であり〔否定説が多い模様〕、仮に在位したとしても1年未満で8か月弱)は除き、神功皇后摂政(『書紀』には摂政紀の章立てがなされており、実質的に執政で、摂政期間69年の事績を同書に記載)は加える。 A重祚が、神武〜安閑の時期になされたのが皆無だと伝えることに鑑み、これが見られる飛鳥・奈良時代の二人の重祚者について各々1代と数える(各々の代数を1代減じるということ)。種族・祭祀など上古の日本と同質性が強い古代の東北アジア地域(表現が分かりにくいが、具体的には主に中国東北部・朝鮮半島)の諸国では、重祚の例は皆無である。中国では、七、八世紀の唐王朝の則天武后(即位して「周」を建てた王だから「武則天」とするのが妥当な表現)の前後に中宗・睿宗兄弟が重祚したくらいである。 しかも、日本で最初に重祚した天皇は、『記・紀』から見ると、史上最初に生前退位した天皇であり、この生前退位の例が奈良時代に多いという問題もある。
B『書紀』に伝える奈良時代以前の廃帝は、わが国では淡路廃帝(淳仁)だけであり、しかもこの天皇は同一人の重祚者(孝謙・称徳という女帝)に挟まれた傀儡の天皇にすぎない(淳仁は退位後も生存)ので、代数には数えない。なお、孝徳天皇も重祚した女帝(皇極・斉明)に挟まれているが、その崩御のときまで在位しており、敢えて除外することもないという判断もある。 Cこれらの関係の問題点:王統交替など政治不安定期で在位年数が短い諸天皇が連続する清寧〜武烈という四代の時期をそのままにするのか? このほか、応神等の王権簒奪など王統交替の事情があれば、この辺をどう考慮するのか?
こうした「基礎データの範囲選定」をすることにより、一本の相関式がコンピュータ(現在のPCで計算が十分に可能)による回帰分析で導き出されるので、初代天皇の神武(更には遡って天照大神ないしそれ以前の首長)まで遡って即位、退位や在位期間の推計(それらの中心値の推計)を一応行うことができる。安本氏のように、例えば雄略などを一定の基点とし、当該基点から、平均在位年数を用いて遡上推計をする必要がないということである。この推計式による推計では、特別に基点を指定する必要がないので、基点の選択には恣意が入らないというメリットがある。
<試算結果>
Aケース:Y=160.79+13.45X これがXαの崩御の年で、1世平均が13.45年。
重相関R:0.997999 重決定R2:0.996002 標準誤差:8.123066
〔参考〕先に問題点として留保の<22清寧〜25武烈>の少ない在位期間の4天皇の調整。
これは、応神王統末期の政治混乱で地位不安定な諸天皇について在位年数の調整(年代が繰り上がり過ぎるとみられる雄略の治世時期の若干の引下げにもつながる)を意味する。
@ケース:仮に4人を半減する調整をした後では、神武は、Aケースでは201.14となる。
Aケース:第22代雄略の崩御年を487年*と置いた場合 ☆☆Aで上記に表示
この場合、神武崩御の推定退位年は、204.55年となる。
*487年の雄略崩御は、拙著『「神武東征」の原像』p222,223記載の表に拠る拙見。 端的に言うと、『書紀』のいう雄略元年で太歳干支〔457年〕+同書の治世期間〔足かけ23年、元年からは22年後に崩御〕+8年〔武烈治世と継体治世初期8年とが重複とみる〕、すなわち457+8〔これが雄略元年の数値〕+22〔在位期間〕=487
。なお、『書紀』では479崩御。古代暦の研究で、雄略(あるいはその前代の安康)朝以降は元嘉暦による紀年が認められており、これとほぼ軌を一にして、等倍年暦の時期に入る事情もある。
Bケース:Y=162.66+13.41X これがXαの崩御の年で、1世平均が13.41年。
重相関R:0.998122 重決定R2:0.996248 標準誤差:8.08269
(重相関Rの数値はA〜Cの3ケースのなかで、Bが最も高い。かつ、平山朝治氏の行った推計の0.991682よりも、A〜Cの3ケースのいずれもが高いことに留意される)
〔参考〕問題点として留保の<22清寧〜25武烈>の少ない在位期間者の調整で、
@ケース:仮に4人を半減する調整後では、神武崩年はBでは202.89年、応神が404年、雄略が484.5年となる。
Aケース:第22代雄略の崩御年を487年とした場合 ☆☆Bで上記に表示
この場合の神武崩御時期は、205.39年となる。
※この関係の推計式から求められる数値として考えるならば、上記の「枠内」が比較的に見て、概ね妥当な線かもしれない。 ただし、私見では、こうした単純な推計では王朝の混乱期などでは問題が種々あるとみており、一応の参考値でしかないことに留意される。 〔参考:基礎データ表〕
<参考試算> 神功皇后も入れない形、基本は安本氏の見方であるが、39弘文だけは除外する形(重祚は不考慮)も試算してみた。基礎データは26〜61の合計36データ。
Cケース:Y=221.51+11.87X これがXαの退位(=崩御)の年で、1世が11.87年。
重相関R:0.997799 重決定R2:0.995603 標準誤差:6.049253
この場合、初代神武の推定在位期間は 221.51〜233.38退位(崩御)
これに神功皇后1代を仮に事後的に加算した場合には 神武は 209.64 〜221.51退位。
このCケースで、I崇神は 328.34〜340.21退位。 N応神は 387.69〜399.56退位。
(Uの2へ続く) |
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続く |