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フィリピン家族法の逐条解説

       奥田安弘〔著〕


出版社:明石書店
ISBN:978-4-7503-5221-3
判型・ページ数:A5・368ページ
出版年月日:2021年6月30日

筆者による解題

外国法の怖さ〕〔山田鐐一先生と五十嵐清先生の思い出〕〔執筆・校正余話〕〔私にとっての本書の意義

外国法の怖さ


本書の執筆を終えて最も感じたのは、外国法の怖さである。

「はしがき」にも書いたとおり、かつて私は、社会学を専門とする高畑幸さん(現・静岡県立大学教授)に一部の作業を分担してもらい、J・N・ノリエド著『フィリピン家族法』2000年版の抄訳を2002年に明石書店から出版し、2007年には、同じく2000年版を底本としながらも、訳文を全面的に見直した第2版を出版した。

ノリエドは、ランダムに選んだ裁判例を事実関係からそのまま転載することが多く、当事者の証言では、タガログ語が出てくるなど、手間がかかるわりには、判例の分析が不十分であると感じていた。そのため、全体の半分にも届かないくらいしか翻訳することができなかった。

ところが、本書において、フィリピン家族法の全体を逐条的に解説してみたら、最も重要であるのは、翻訳の対象とはしなかった第4章「夫婦の財産関係」であることを思い知らされた。ここをしっかり調べなければ、他の条文も正確には理解できていなかったのある。たとえば、訳書では、第8章「扶養」を取り上げているが、第4章を欠いたのでは、全く無意味であったと悔やんでいる。

また、家族法の条文では、婚姻の取消しと無効を明確に区別している場合もあるが、他方で単に<annulment>という文言によって、取消しと無効の両方を意味していることがある。それは、とくに第4章「夫婦の財産関係」において見られたので、校正段階で修正することがよくあったが、現地の専門書では、なおさら両者を区別していないことがあり、あるいはノリエドの訳書では、不正確な翻訳があったかもしれない。

さらに、現地の専門書をフィリピンから取り寄せ、自分で最高裁判例を検索した結果、ノリエドだけでは、十分に理解できていなかった点が多数あることも分かった。それは、単に最新情報を入手したことによるものではない。むしろもっと本質的なフィリピン法に対する理解に関わることである。たとえば、ノリエドは、日本法上の親子関係不存在確認と同様に、フィリピン法上も、子による嫡出否認が可能であると解しているが、判例によれば、このような解釈には、かなり無理があることが分かった。

200件以上の最高裁判例は、単なる飾りではない。それぞれに意味があるからこそ、引用したのである。逆に現地の専門書の記述で足りると思われる箇所は、あえて判例を引用しなかった。

山田鐐一先生と五十嵐清先生の思い出

山田鐐一先生からは、国籍法について、電話を頂くことが多々あったが、ある日、外国離婚の承認に関する規定(家族法26条2項)の解釈をどのように書くのかに迷われて、電話を頂いたことがある。『国際私法〔第3版〕』(有斐閣、2004年)453頁注1では、結局のところ、外国の協議離婚が承認されるかどうかは必ずしも明らかでないと書かれてるが、その箇所は、私との電話を踏まえて、当初の記述を修正したと後に伺った。

フィリピンの最高裁が日本の協議離婚も承認するようになったのは、2018年以降のことであるから、山田先生から電話を頂いた時点での私の対応は、間違っていなかったと思っている。国内では、協議離婚どころか、裁判離婚さえ認めないのに、フィリピン人と外国人が外国で離婚した場合には、フィリピン人に再婚資格を認めるという家族法26条2項をめぐる議論は、フィリピンの判例でも、殊の外対立が激しく、山田先生に報告するつもりで、解説を書いていた。

また五十嵐清先生は、私がまだ北大在職中に出版したノリエドの訳書の初版を丁寧に読んでくださり、いろいろご意見を頂いた。とくに初版の訳者解説において、フィリピン家族法による婚姻の方式を民事婚と書いていたが、第2版において民事婚と宗教婚の折衷と書き換えたのは、五十嵐先生のアドバイスによるものである。しかし、今は、民事婚であるのか、宗教婚であるのかではなく、婚姻の挙行自体が重要であると考えている。本書の前注では、もはや民事婚・宗教婚の区別には言及していないが、改めて五十嵐先生のご意見を伺うことができないのは、残念である。

執筆・校正余話

私が昨年7月上旬に本書の執筆に取り掛かろうとした際に、最初に直面したのは、ある士業の人がノリエド『フィリピン家族法〔第2版〕』の条文翻訳を盗作して、自分のウェブサイトに掲載していたことであった。そんなことをされたら、新しい著作に取り掛かる気持ちは、全く失われてしまう。出版元に依頼して、まずは警告のファックスを送ったが、反応がなかったので、さらにメールを送ってもらい、やっと盗作サイトが削除された。もちろんファックスやメールの原案は、私が作成した。

私の労力もさることながら、出版社としては、膨大な費用を投じて、本を出版するのであるから、盗作行為は絶対に許せない。新しい本を出版してもらいたいのであれば、まずは本の盗作行為を止めること、そして正当な対価を払って、本を購入することが出版文化の崩壊を食い止める最大の手段である。なぜか情報を無料だと思う人がいるのは、ネット社会の弊害とはいえ、嘆かわしいことである。

そのようにして執筆を開始したが、現地の専門書だけでは、全く不十分であることが分かったので、最高裁判例などの調査に膨大な時間と労力を要した。ノリエドの訳書と同じ範囲まで執筆した段階で、一度は打ち切ろうとさえ思ったが、改めて気を取り直し、日本民法の親族編と同じ範囲まで執筆を続けて、やっと脱稿したのは、今年の2月上旬のことであった。

私は、以前から校正箇所をWordに入力しており、今回は、ゲラが届くまでの間も、PC上の校正作業を続けた。夜中に気になることが頭から離れず、そのまま起きて、仕事を始めてしまうことも度々あった。その結果、再校でもかなりの修正箇所が見つかり、編集担当の遠藤さんには、迷惑をかけてしまった。ただし、外部の校閲は、これまでにも修正を指摘されたことがないので、『国際家族法〔第2版〕』と同様に省略することにした。代わりに、目次・各ページの柱・ノンブルなどは、遠藤さんと一緒に、私も慎重にチェックをしたつもりである。

いかんせん、フィリピン家族法については、法令だけでなく、最高裁判例も極めて流動的である。たとえば、フィリピンでも離婚を合法化する法案は、20年以上前から何度も議会に提出され(最初の法案は、1999年の下院法案第6993号とされている)、その度に大変な騒ぎになっている。本書の校正作業をしている最中にも、万が一離婚法案が成立したら、出版自体を取りやめる必要が出てくるので、頻繁に現地の報道をチェックしていた。

そうしたところ、今年の5月に最高裁が心理的無能力による婚姻無効(家族法36条)の解釈を変更したというプレスリリースがあったので、条文解説の末尾に「追記」として内容を紹介しておいた。今回の判決を「事実上の離婚の合法化」とする記事
https://www.ucanews.com/news/philippine-supreme-court-under-fire-for-legalizing-divorce/92444#
を見つけたりしたが、それを本書に書くわけにはいかない。日本と異なり、最高裁の重要判例でも、判決の全文がウェブサイトに掲載されるのは、何か月も先のことである。法律書としては、最高裁のプレスリリースを引用するのが限度であった。

このように目先の情報に惑わされることなく、少なくとも2020年末までの調査で分かった結果は示すことができたつもりである。しかし、私の本来の専門は、国際私法である。ここまでノウハウを明かしたのであるから、本書が不十分だと思う人は、ぜひ本書を超える本を自分で執筆して頂きたい。

私にとっての本書の意義

蛇足になってしまうが、少しだけ補足する。私にとって本書の意義とは、一言でいえば、「後始末」である。40代・50代の頃は、元気があり余っていたので、何にでも手を出していた。1996年以降は、毎年のように本を出版し、多い時は、1年に数冊出版することもあった。しかし、そのあと気になってしまい、改訂版を出版したり、改題のうえ、事実上の改訂版を出版することが多々あった。本書も、その一貫と考えて頂いたほうが良い。

ノリエドの訳書のきっかけは、当時関わっていた国籍裁判の原告がフィリピン人であったため、フィリピン関係の人たちと知り合いになり、たまたまノリエドの2000年版を頂いたことであった。当時は、まだフィリピン法の本は、現地で入手するしかなかったので、「これは貴重な本だ」と思い、一部を翻訳して出版した。日本人と結婚する相手としては、中国人や韓国人のほうが多いが、フィリピン人と結婚した日本人、あるいはそのような人たちと関わる士業の人たちにとって、フィリピンの家族観や家族法は、中国や韓国以上に理解が困難であるため、ノリエドの訳書は、予想外の反響を呼んだ。

ところが、当時の編集部長は、こんな本が売れるはずがないと言って、初版・第2版ともに少なめにしか出版してくれなかったので、たちまち古本市場で高値がつく事態となってしまった。「はしがき」にも書いたが、その後、原著者が亡くなり、改訂どころか、増刷さえ出来なくなったこと、他の法律研究者は、日本法の参考になりそうもないフィリピン法には、手を出そうとしなかったことから、やむを得ず、私が「後始末」をせざるを得なくなったのである。ただし、お蔭でフィリピン家族法について、自分自身が気になっていたことを調べ尽くし、これまでの勘違いを訂正したり、新たな発見を多数することができたのは、収穫であった。決して人助けのために、興味のないことを仕方なくやったわけではない。

2023年春には、キャンパスの移転があり(曙橋→駿河台)、2024年春には、定年を迎える。引っ越しの準備などを考えたら、新しいことに手を出す余裕などない。定年後は、研究環境が大きく変わることもあり、これまでに出した本の「後始末」さえも、困難になるかもしれないが、まずは「後始末」を最優先にしたいと考えている。かつて神戸大学の学生時代に、恩師である窪田宏先生(海商法)から、人がやっていない新しいテーマを開拓するのが研究者の務めであると教えられたが、おそらく窪田先生も、定年後までそのような仕事をしろとは言われないであろう。窪田先生の教えは、若い研究者に実践して頂きたいと願っている。



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