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       国際家族法〔第2版〕

               奥田安弘〔著〕


出版社:明石書店
ISBN:978-4-7503-5027-1
判型・ページ数:A5・648頁
出版年月日:2020年6月20日

筆者による解題

スタンダードとは?

最近は、学部向けの教科書などに「スタンダード」という宣伝文句をよく見かけますが、スタンダードとは何なのでしょうか?

私にとっては、今でも国際私法におけるスタンダードは、山田鐐一先生の『国際私法〔第3版〕』および溜池良夫先生の『国際私法講義〔第3版〕』です。これらの本は、それぞれ2004年・2005年の出版であり、その後、法例は法の適用に関する通則法に全面改正され、民事訴訟法などには国際的裁判管轄に関する規定が設けられましたが、今でもスタンダードであると思っています。理由は、次のとおりです。

①通則法は、法例の全面改正とはいえ、親族・相続に関する規定は、大部分が実質上同じであり(本書30頁)、財産法の分野でも、物権の準拠法に関する規定が実質上同じであったり、規定の欠缺により条理によるべき問題(法人や知的財産権の準拠法など)があったりします。また国際的裁判管轄についても、人事訴訟法や家事事件手続法の規定は、制定から間もないこともあり、昭和39年の最高裁大法廷判決など、立法前の裁判例を参照すべき点が多数あります(本書54頁)。

②スタンダードとは、権威として利用すべきものではないと思っています。山田先生や溜池先生の本は、文章は平易に書かれていますが、その内容は奥深いものがあります。読みやすい文章にするため、何度も推敲をしたことが窺われます。しかし、その内容は高度であり、体系の全体に目配りをしながら、かつ細部を詳しく掘り下げているので、私は、今も繰り返し読み、新たな発見をしております。スタンダードとは、そのように何度も読み返して、新たな発見をすることのできる本をいうのでしょう。

③その後に出版された本は、結論が書かれているだけであり、そこに至った思考の過程を窺い知ることはできません。仮に結論に至った過程があるのだというのであれば、なぜそれを書かなかったのでしょうか。頭のなかでいかにすばらしいアイデアだと思っても、いざ書いてみたら、壁に直面することはよくあります。自分は高度なことを考えていると言ったところで、実際にそれを書かなかったら、本当なのかと疑ってしまいます。ついでに言えば、外国の本や論文に新しいことが書いてあったからといって、それを紹介する論文が多数公表されていますが、同じ著者が注釈書や判例百選の分担執筆などで山田説や溜池説を十分に咀嚼せず、あるいは全く間違って捉えているのを見たりすると、外国法に関する論文も、本当にそんなことが書いてあるのかと疑ってしまいます。

④山田説や溜池説は、もう古いと言われるかもしれません。しかし、それでは、山田先生や溜池先生の本に匹敵するような本がその後出版されたのでしょうか。ハンディな教科書が両先生の見解と異なる結論をたくさん書いても、本書が両先生の見解を中心に据えたのは、そのような理由からです。その意味では、最近のハンディな教科書を「スタンダード」というのは、間違っていると思います。

⑤法科大学院が2014年に発足した頃、私は、山田鐐一先生の『国際私法〔第3版〕』を教科書として指定し、授業開始までに通読してくることを履修条件としておりました。それでも、ある程度の受講者がいたのですが、数年後には、受講者がいなくなり、ある日、私の目の前で学生が「あの教科書では履修できない」と話しているのを聞きました。それは、価格の問題か、それとも内容の問題かは分かりませんでしたが、法例から通則法に全面改正されたこともあり、教科書に苦労することになりました。私が『国際家族法』や『国際財産法』を出版したのは、そのような意味もあります。学部ならともかく、法科大学院で最近のハンディな教科書を使ったのでは、レベルを維持することができないと考えたからです。ただし、今の学生が私の著書を購入するとは思えないので、法科大学院の授業用ポータルサイトに必要箇所のみをPDFでアップロードし、それを教材としています。


隣接法分野への思い

国籍法や入管法は、本書にとっては、隣接法分野にすぎませんが、一般に広まっている情報を正したいという気持ちも、少しありました。しかし、そのためにウェブサイトを使うのは、私たち研究者にとっては、邪道であると考え、かつて国際家族法資料に掲載していた「国籍法Q&A」「難民問題Q&A」(奥田Version)を加筆するのではなく、むしろ削除しました。これらのページに掲載された内容は、本書で詳しく取り上げているからです。
 http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~okuda/deleted_pages.html

たとえば、弁護士ドットコムの記事では、「法務省・出入国在留管理庁(入管庁)は、国連の難民条約に基づき、紛争や迫害から、日本に逃げてきた難民を庇護する責任がある」と書かれたものがあります。
 https://www.bengo4.com/c_16/n_11239/

一般的にも、難民認定と難民の受け入れ(庇護)は、混同されることが多いですが、執筆者がジャーナリストとはいえ、このような誤解を招く記事を掲載するのは感心しません。この記事によれば、不法滞在者であっても、難民であることを理由に在留資格を与える義務があるかのような誤解を招きかねませんが、難民条約がそのような義務を締約国に課しているわけではありません(本書615頁)。

また、法務大臣の記者会見では、「被収容者の中には、自分の国に帰ることをかたくなに拒否する、そういった人たちも相当数存在しており、そういったことが収容期間が長期化する要因となっています」という発言があります。
 http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01166.html

入管法上は、国費による強制送還が原則であるのに、この発言は、入管実務において、任意の自費出国が原則となっている実態を窺わせます(本書608頁)。法律の適正な執行を担うはずの法務省が、自ら入管法の原則に反する実務を定着させていることになります。あるいは国費による送還が国民の税金を使うため非難されることを恐れたのかもしれません。しかし、長期収容も、その点は同じです。入管法上の原則を明らかにするとともに、コストの点でどちらが得策であるのかを正面から問うのが、行政機関としての法務省の務めではないのでしょうか。

さらに、フィリピン日系人リーガルサポートセンターの記事では、「日本政府に、フィリピン日系人会連合会、日本財団、当所の連名で、中国残留孤児と同様の援護施策(肉親捜しや国籍回復支援)をフィリピン残留日本人についても行うこと、そのための法整備を求めていきます」と書かれたものがあります。
 http://pnlsc.com/news/post-210.html

この記事は、中国残留邦人支援法の適用をフィリピン残留日本人にまで広げるべきだという趣旨のようです。しかし、フィリピン残留日本人は、たとえ日本人父が判明しても、私の知る限り、母親はフィリピン人です。中国残留邦人支援法の適用を受ける「中国残留邦人等」とは、原則として父母が両方とも日本人である者とされており、父母の一方だけが日本人である場合は、同法の適用を受けることができません。同法は1994年に制定されたので、すでに四半世紀の間、この適用範囲の制限が守られてきたのです。それなのに、フィリピン残留日本人の場合にだけ、この制限を撤廃するということが可能なのでしょうか。本書では、何度もこの適用範囲の制限を脚注に書きましたが(244頁、436頁、598頁)、それは、フィリピン残留日本人について無理な主張がなされていることを意識したものです。

これらは、本書のテーマである国際私法とはあまり関係のない話です。しかし、脚注などでひっそりと取り上げたのは、心の隅で引っかかっていたからです。一時期は、のめり込んでしまったことがありますが、私に残された時間は、それほど潤沢にあるわけではないので、自重せねばと言い聞かせております。


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