『にごりえ』を巡って

                                        小林  滋

1 はじめに

  昨年秋のことになりますが、所用で甲府市に出かけた折に、「山梨県立文学館」を見学してきました。隣接する「県立美術館」がミレーの「種を蒔く人」で有名なものの、こちらの方は地元でも知っている人は随分と少ないようです。ただ、作家の津島佑子氏が、父親である太宰治の『ヴィヨンの妻』の直筆原稿を昨年9月に同館に寄贈し、それが陳列されているというので、時間があればどんなものか一度見てみたいと思っておりました(注1)。

  甲府市西部の「芸術の森公園」に建てられている同館を訪れますと、常設展示室の入口近くにお目当ての原稿は陳列されています。それだけを収める立派なガラスケースに囲われているため、勿論手にとって自由に草稿を見るわけにはいきません。今や作家は皆パソコンで原稿を書くことだから、手直しの跡を窺えるこうしたものの展示など暫くしたらできなくなってしまうな、などといった感慨に囚われました。

  実は、文学館に行き感銘を受けましたのは、太宰の直筆原稿というよりも、むしろ特別企画展として同時開催されていました「樋口一葉展」の方です(注2)。この展示に関しては、甲府駅に降り立った時から、ポスターが随分と目に付いてはいました。ただ、どうせ新5000円紙幣発行にあやかっただけではないかと思い、余り期待はしておりませんでした。

  ところが、樋口一葉(1872年〜1896年)に関し、かなり以前にニ、三の短編を読んだくらいで何の知識も持っておらず、例えば、台東区下谷に「一葉記念館」があったり、文京区本郷の菊坂に住居跡(当時の井戸)があったりすることから、てっきり江戸っ子に違いないと思い込んでいたところ、この展覧会によって、両親が山梨県塩山市の出身であることや、長兄が病気で早死し、それで一葉が家長となって大変な思いをすることになったことなども初めて知った次第です。

 俄然、一葉に興味が湧いてきました。とはいえ、その伝記に関しても作品に関しても、これまで実に様々な角度から沢山のことが言われてきており、関連する文献等は文字通り汗牛充棟の観を呈しております。以下におきましては、屋上屋を重ねるだけで殊更な新味は皆無ですが、ごく小さな一点に絞り込んで述べてみたいと思います。

 

2 にごりえ

  甲府では、思いがけずに大変充実した企画展に遭遇して儲け物でした。その陳列の末尾は、文学館所蔵の『にごりえ(1895年作)の自筆未定稿です。昨今のヨーロッパにおいては、作者の草稿を研究する学問(「生成論」)が盛んになってきており、日本人研究者も活躍しているようです(注3)。一葉の未定稿も、決定稿との違いといった点などから、専門家には興味深い点が多々あり、垂唾の的でしょう。素人の私にも、当初は題名を「ものぐるい」とする案があったことくらいは草稿から読み取れますが、所詮猫に小判といったところです。

  生成論はさて措き、『にごりえ』について、昨年出版された法政大学・田中優子教授の『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』(集英社新書、2004.7)が、大層興味深い指摘をしております(同書P.100)。小説の山場で、銘酒屋「菊の井」の酌婦である主人公の“お力”は「夜店の並ぶにぎやかなる小路」をぶらぶら歩くのですが、そのときの気持ちが次のように描かれています。「行かよふ人の顏小さく/\摺れ違ふ人の顔さへも遥(はるか)とほくに見るやう思はれて、我が踏む土のみ一丈も上にあがり居る如く、がや/\といふ声は聞ゆれど井の底に物を落したる如き響きに聞なされて、人の声は、人の声、我が考へは考へと別々に成りて」云々(注4)。田中教授が訊ねた精神科医・春日武彦氏によれば、これは「解離症状」だと考えられるとのことです。すなわち、「精神が追い詰められたときに生ずる一種の対処反応」で、「自分が自分であることを放棄してしまう」こととされています。

  “お力”の症状に関し、さらに田中教授は、「たくさんの人、あるいはたくさんの事がどっと押し寄せ、それらがもつれ、そしてそれへの対処反応として突加拒絶する」という心情で、「自分にやってくるくるものを呑み込めない。ひとつひとつを理解したり納得できず、それをどこかに押し込めているあいだにパニックに陥る」と述べています(前掲書P.101)。そして、“お力”が置かれている状況、それも「銘酒屋にいる「不幸な」境遇」というより、むしろ「新しい時代、出会ったことのない境遇、異なった価値観に遭遇する」といった状況がこうした症状をもたらしていると田中教授は考えているようです。

 

3 解離

  話はやや飛びますが、春日氏が使った「解離症状」という用語を見て、そういえばと思い至ったのは、一昨年の夏に厚生労働省の所管する労働者災害補償制度が改正され、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と認定する際の症状の一つに「解離性健忘」(自分のこれまでの生活史を全部、又は一部を忘れてしまうというもの)などが含まれることになったことです(注5)。

  また、最近の新聞の書評欄で花田深著『妻は多重人格者』(集英社、2004.10)が取り上げられましたので読んでみたところ(注6)、“多重人格”(複数の人格あるいは同一性が同一人物内に存在する)も、精神医学では「解離性同一性障害」と呼ばれることがわかりました(同書P.163)。

  精神医学の分野では、このところ随分とあちこちで「解離」という用語が使われているようです。「解離」についてゴク簡単に調べてみますと、例えば、精神科医の斉藤環氏による『文学の徴候』(文藝春秋社、2004.11)においては、「解離とは、「こころ」の時間的・空間的な連続性がそこなわれること」と規定され、「90年代以降、精神医学界でもっとも白熱した議論の焦点のひとつを形づくった」問題だと述べられています(同書P.48)(注7)。また、精神科医・香山リカ氏の『多重するリアル−心と社会の解離論』(廣済堂ライブラリー;廣済堂出版、2002.1)でも、「人間の精神や身体の基本をなす「意識・同一性・記憶・心象・知覚・感覚・運動」などの統合や連続性が失われてしまう」こととされています(同書P.99)。要するに、普通であれば一つに統合されている「記憶」、「意識」、「アイデンティティ」といったものがバラバラになってしまうことを「解離」と言うようです。

  「解離」が昂進した精神疾患が総称的に「解離性障害」といわれ(注8)、具体的には上記の「解離性健忘」や「解離性同一性障害」(多重人格)が含まれることもわかりました。また、家や仕事を捨て、突然、自分でも予期しない放浪に出る、いわゆる“蒸発”も、「解離性遁走」とされ、「解離性障害」の一つとされています。

 

4 離人症 

  加えて、香山氏によれば、「離人症」(離人性障害)もまた、「解離がとくに感覚や知覚の部分に強く生じた」ものということで「解離性障害」に含まれるようです(前掲書P.99)。

  香山氏は、この「離人症」につき、「自分にも身体にも外界にもリアリティを感じられず、すべてのものや出来事との間に一枚、膜ができてしまい、いつも“傍観者”でしかいられないという事態に、大きな苦痛や奇妙さを感じる」ものと述べています(前掲書P.30)(注9)。

  とすれば、「摺れ違ふ人の顔さへも遥(はるか)とほくに見るやう思はれて」とか「人の声は、人の声、我が考へは考へと別々に成りて」といった“お力”の症状は、まさに「離人症」の症状にヨク合致するのではと思われるところです(注10)。

  さらに、「解離性障害」の原因は、大体のところ明らかとされています。すなわち、トラウマ(心的外傷)、特に幼児期におけるものです(注11)。香山氏の前掲書においても、「アメリカではその最大の要因は、「性的・身体的虐待による心的外傷」を持つ子どもの増加と考えられている」(同書P.106)と述べられています(注12)。

  『にごりえ』の“お力”は、極貧の子供の時分、母親に寒中にもかかわらず米屋へ買物に行かされ、帰る途中溝板の上の氷に滑って、買ってきた米を溝の中に落としてしまったことがあり、その頃から精神的に不安定になったと、客の結城朝之助に自ら述べているのです(注13)。現在“お力”が置かれている環境を田中教授は強調しますが、あるいは、七歳の時の絶望的な出来事がトラウマとなって、大人になっても「解離性障害」を呈していると考えられないでしょうか?

  勿論、田中教授も、「米を溝にこぼして、その夜は一家全員が食べられなかった、という悲しい出来事が、源七一家に重なってしようがない」というように(前掲書P.117)、“お力”が七歳の時に遭遇した出来事に触れてはおります。源七とは酌婦の“お力”に入れあげ身上を使い果たした男で、その結果として、妻と息子のいる一家は極貧の生活を送らざるを得なくなっています。ですから、“お力”の一家と源七一家とはマサニ同じような境遇にあるといえましょう。

  しかしながら、ここで重要なのは、家では「誰れ一人私をば叱る物もな」いにもかかわらず、「母も物いはず父親も無言」といったダブルバインド的な状況に幼い“お力”が置かれたことではないかと思われます(注14)。

  仮にそれがトラウマになったとすれば、以上のことから、『にごりえ』の“お力”は、「解離性障害」の中の一つの疾患とされる「離人症」の症状を典型的に示していると考えられるところです。

  ただ、「離人症」という点だけからしますと、夙に、前田愛著『樋口一葉の世界(平凡社、1978.12)においても、「一葉の描写は精神病理学にいう離人症の症候と符合するところが多い」(同書P.204)と述べられているところです(この点は、田中教授の前掲書でも触れられております〔P.99〕)。

  しかし、「解離」という概念が一般化したのは90年代に入ってからと言われていますから、30年ほど前にあっては、この「離人症」が「解離障害」に含まれる精神疾患であるといった見方は、まだなされていなかったように考えられます。

  なお、田中教授の前掲書においては、「精神科医の春日武彦氏に訊ねたところ、これは離人症というより「解離症状」であろうと推測された」と述べられています(前掲書P.100)。どういう観点から離人症ではないと春日氏が判断するのか何も記載されていないため、これ以上議論が進められないところです。

  ですが、春日氏が使う「解離症状」という用語は、香山氏などの著書では見当たらないものの、田中教授が「解離症状の重いものには、記憶喪失、遁走、多重人格、トランス、憑依状態がある」と記載しているところからすると(前掲書P.100)、「解離」の症状を呈している状態を指すより広い概念(個々の「解離性障害」を含む一般概念)と考えられます。としますと、春日氏も、“お力”が解離性障害的な症状を示している点については少なくとも同意するのではないかと思われます(注15)。

 

5 おわりに

  以上のように『にごりえ』を取り扱うことについては、田中教授が、前掲書において「精神科医は会話や交流を通して診断するので、書かれた資料だけで判断していただくのは無理がある」(前掲書P.100)と指摘するように、元々問題があるかもしれません。まして、精神医学者でもない一介の素人が、精神疾患という非常に難解な分野につきサモわかったようなことをクダクダしく述べることは慎まなければならないでしょう(注16)。

  ただ、一葉の小説は、擬古文で書かれ、古めかしい外観を呈してはいますが、現代でも通ずる大変新しい側面を備えていると考えてみるのも、また楽しいことではないかと思っている次第です(注17)。

  ところで、冒頭で触れました太宰治(注18)の『ヴィヨンの妻』では、夫について、語り手の妻は次のように述べます。「あの人は家を出ると三晩も四晩も、いいえ、ひとつきも帰らぬ事もございまして、どこで何をしている事やら、帰る時は、いつも泥酔していて、‥‥私の顔を黙って見て、ぽろぽろ涙を流す事もあり、‥‥がたがた震えている事もあり、‥‥そうして翌る朝は、魂の抜けた人みたいにぼんやりして、そのうちにふっといなくなり」云々(新潮文庫『ヴィヨンの妻』P.105)。この夫は、もしかしましたら、上記3で触れました「解離性遁走」(注19)に近い症状を呈しているとは言えないでしょうか(注20)


 〔注〕 

(注1)小説『ヴィヨンの妻』は、最初雑誌「展望」に発表されましたが(1947年)、文学館の説明によれば、その原稿は、太宰の死後に甲府市出身の妻が出版社から返却を受けていたとのことで、200字詰めの原稿用紙114枚に書かれ、和綴じで、太宰が着用していた和服の生地で表装され、そのタイトルは井伏鱒二によるものだとされています。

(注2)実際には2回開催されており、私が見学したのは2回目のものです。

  ・樋口一葉展T…表題「われは女なりけるものを ―作品の軌跡―」

              会期;平成16年7月3日(土)〜8月22日(日)

  ・樋口一葉展U…表題「生き続ける女性作家 ― 一葉をめぐる人々― 」

           会期;平成16年10月2日(土)〜12月5日(日)

(注3)例えば、吉田城著『「失われた時を求めて」草稿研究』(平凡社、1993.11)。そこでは、「テクストはどこから来たか。その問いに答えるために、作家の側ではなく、作品の側に探索の手を伸ばそうとするのが、生成論の主眼である」と述べられております(同書P.27)。

(注4)続けて、原文では「更に何事にも気のまぎれる物なく、人立(ひとだち)おびたゞしき夫婦あらそひの軒先などを過ぐるとも、唯我れのみは広野の原の冬枯れを行くやうに、心に止まる物もなく、気にかゝる景色にも覚えぬは、我れながらく酷く逆上(のぼせ)て人心のないのにと覚束なく、気が狂ひはせぬかと立どまる」と書かれています(『にごりえ』からの引用は、本文においても岩波文庫『にごりえ たけくらべ』より。以上は同書P.31)。

(注5)障害等級認定基準の「精神疾患」にかかる部分が、厚生労働省労働基準局長の通達「神経系統の機能又は精神の障害に関する障害等級認定基準について」(平成15年8月8日付け)で大幅に改正されております。

   「解離」という用語が見られるのは、同通達の別添2「神経系統の機能又は精神の障害に関する医学的事項等」の第2の1の(5)で、そこでは、「非器質性の記憶障害としては、解離性(心因性)健忘がある」、及び「非器質性の知的能力の障害としては、解離性(心因性)障害の場合がある」とされております。

   なお、この通達の全文は、下記のHPで見ることが出来ます。

   http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/11/s1120-10g.html

(注6) この著書は、大手の新聞で取り上げられたにしては(読売新聞、2004.12.9)、表題にある「多重人格」の話以外のこと―多重債務、ヤミ金、超能力―にページを割きすぎて、肝心の主題は全体の5分の2ほどしか占めていない点など、問題が多いのではないかと思われます。

(注7)斉藤氏の著書『文学の徴候』は、現代日本の小説家及びその作品を次々に俎上に載せ、歯切れのいい文章で精神医学の観点から縦横に分析しており、極めて優れたものだと思います(昨年12月26日付朝日新聞書評欄において、書評委員の高橋源一郎氏が薦める「今年の3点」の中に入っております)。

   ただ、本文で取り上げました2点のうち、前者に関連して斉藤氏は、「解離問題の第一人者、F・W・パトナムの記述によれば、解離とは「正常ならばあるべき形での知識と体験との統合と連絡が成立していないこと」ということになる」(同書P.48)と記載しております。確かに、パトナムの『解離』(中井久夫訳、みすず書房、2001.7)P.9に同記載は見出されます。しかしながら、そこでは「定義方式によれば」という限定が付いており、「解離の定義と記述の方法としてのカテゴリー(定義)方式と次元方式」と述べられているように(同書P.10)、他の規定の仕方が排除されてはおりません。特に、次元方式につき、「正常から病的にいたる幅広い体験を一つの連続体とし、この視点から解離に迫ろうとするもの」で、「今日までの10年間、正常および病的解離の理解に実質的に寄与したのは次元方式のほうである」と述べられております(同書P.10)。

 また、後者についても、パトナムの前掲書の「訳者あとがき」において、中井久夫氏が既に「「解離」は1990年代以来、精神医学のもっとも白熱したテーマである」(同書P.459)と記載しているところです。   

(注8)斉藤氏の前掲書では、「抑圧と同様、解離も本来は健全な心のはたらきのひとつ」だが、「解離がコントロール困難なほど進行すると、病理現象にもなる」と述べられております(同書P.113)。

(注9)斉藤氏の前掲書においては、「「離人症」は、あたかも幽体離脱のように、自分自身の姿をもう一人の自分が外から眺めているような感覚(「体外離脱体験」)である。これが外の世界に対して起こると「現実感喪失」となる」と述べられております(同書P.113)。

   「離人症」として「体外離脱体験」まで言われますと、田中教授がコンタクトをとった精神科医・春日武彦氏がその著書『顔面考』(紀伊国屋書店、1998.12)で触れている「ドッペルゲンガー」も「解離性障害」の視野の中に入ってくるのかもしれません。というのも、春日氏は、「ドッペルゲンガーはすぐれてビジュアルなもののように思われても、それは決して視覚レベルの幻影などではなく、やはり身体図式の問題として捉えるべきものなのであろう」(同書P.136)、「身体図式とは目を閉じてもなお確固として存在している肉体の実在意識そのものであり、「自分自身」というボディー・スーツの着心地と言うことである。その着心地が外在化したものこそがドッペルゲンガーの正体なのである」(同書P.132)などと述べているからです。

(注10)さらに、下記のHPでは「離人症」について、「思春期から青年期にかけて生じやすく、40歳以上にはめったにみられません。男女比では、女性のほうが多く、発症率は男性の約2倍です」と記載されています。

  (http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/4875/bunrui/kairi.htm

   『にごりえ』の“お力”は、勿論女性ですし、年齢は明記されてはおりませんが、銘酒屋「菊の井」において「年は随一若けれども」とあり(前掲岩波文庫P.9)、「二十の上を七つか十か」という同僚の酌婦がいるところからすれば(前掲岩波文庫P.8)、せいぜい二十を僅かに越えたばかりと推定されますから、この点からも「離人症」と見てもかまわないのではないかと思われます。

(注11)トラウマとは、一般に、「事件・事故・災害などを体験した際の、重い心の傷」とされています(久留一郎著『PTSD−ポスト・トラウマティック・カウンセリング』〔駿河台出版社、2003.2〕P.10)。

(注12)尤も、香山氏は、前掲書において、「私は、この解釈には全面的には同意できない」とし(同書P.107)、近年、解離性障害の患者が増加しているのは、何もトラウマを持つ子供が増加したせいばかりでなく、「解離そのものが起きやすくなっているために増加している」(同書P.109)のであり、「人間の心そのものがちょっとしたダメージや刺激で、簡単に解離しやすいほど薄くなっているのではないか」(同書P.118)と述べております。

(注13)原文では、次のように書かれております。「あゝ私が覚えて七つの年の冬でござんした、…母は欠けた一つ竈(ベツつひ)に破(わ)れ鍋かけて私に去る物を買ひに行けといふ、味噌こし下げて端たのお銭(あし)を手に握つて米屋の門までは嬉しく駆けつけたれど、帰りには寒さの身にしみて手も足も亀(かじ)かみたれば五六軒隔てし溝板(どぶいた)の上の氷にすべり、足溜りなく転(こ)ける機会(はずみ)に手の物を取落して、一枚はづれし溝板のひまよりざら/\と飜(こぼ)れ入れば、下は行水(ゆくみず)きたなき溝泥なり、幾度も覗いては見たれど是れをば何として拾はれませう、…あの時近処に川なり池なりあらうなら私は定し身を投げて仕舞ひましたろ、話しは誠の百分一、私は其頃から氣が狂つたのでござんす」(前掲岩波文庫P.36)。   

(注14)原文では、前掲注13で引用した箇所に続いて、次のように書かれております。「皈(かえ)りの遅きを母の親案じて尋ねに来てくれたをば時機(しお)に家へは戻つたれど、母も物いはず父親も無言に、誰れ一人私をば叱る物もなく、家の内森(しん)として折々溜息の声のもれるに私は身を切られるより情なく、今日は一日断食にせうと父の一言いひ出すまでは忍んで息をつくやうで御座んした」(前掲岩波文庫P.36)。

   なお、「ダブルバインド」理論を提唱したG・ベイトソンの論文「精神分裂症の理論化に向けて」(『精神の生態学』[佐藤良明訳、思索社、1990.9]所収)では、「愛を装う母の行動に母の愛を見出して(分裂病患者が)すりよっていけば、母は不安に駆りたてられ、わが子との近密さから身を守るために、子供を罰する」などと述べられています(同書P.305)。

(注15) 「解離症状の重いもの」の中に「離人」が含まれていないことから、春日氏は、ICD−10に従っているものと考えられます。すなわち、山下格著『精神医学ハンドブック第5版』(日本評論社、2004.5)では、「離人症」について、「この病型の分類には議論があり、DSM〔米国精神医学会の診断基準〕は解離障害に含めるが、ICD−10〔WHOの国際疾患分類第10回改訂版〕は記憶や感覚・運動障害が認められないことから、独立の小項目に分類している」(同書P.37)と述べられております。   

(注16)前掲注9からしますと、あるいは一葉の小説は、芥川龍之介を経由して、黒沢清監督の近作映画『ドッペルゲンガー』(2002年)にも通い合うものがあると言えるかもしれません。

   尤も、映画評論家・蓮見重彦氏が言うように、この映画は、「ドッペルゲンガーをドッペルゲンガーとして正当化する演出上の配慮など、(黒沢清)監督はひとつとして示そうとしていない」(雑誌『ユリイカ』〔青土社、2003.7〕P.110)のであり、冒頭のホラー映画的雰囲気も、後半に入ると全く失われてしまうのですが。

(注17)こんなことを書きますと、文芸評論家・渡部直己氏の文章を借りて言えば、本稿について、「だから(どうだっていうの)?といささか冷淡な不信を洩らしたかもしれぬ読者」は、「てんでにあだ名をつけあうような仲間意識のうちで、互いの病名を語り合うのも一興」といった感じ以上のものを持たれないかもしれません(「徴候としての「批評」」〔雑誌『文学界』2005.2〕P.312)。なお、渡部氏の論評は、斉藤環氏の前掲書『文学の徴候』に対する批評として極めて鋭いものと思いますが(書名を逆手に取ったタイトル付けから始まって)、とはいえ、「「健康の企て」としての文学」が存在するとして、果たしてそれに対し「だからどうだっていうの?」以上のことが言えるのかどうか疑問なしとしません。

(注18)太宰治自身については、「境界例」(「もともとは精神病と神経症の境界線上の病気」〔斉藤環・前掲書P.16〕)の患者と言われることがあります。例えば、精神科医・町沢静夫著『ボーダーラインの心の病理』(創元社、1990.8)では、「太宰治の行動や情緒は、ボーダーライン(=境界例)とみてほぼ間違いない」(同書P.126)とあり、精神科医・磯部潮著『人格障害かもしれない』(光文社新書、2003.4)でも、「太宰治は境界性人格障害(=境界例)と自己愛生人格障害の二つの診断基準を満たしています」と述べられております(同書P.215)。

   なお、本稿で取り上げました一葉自身についても、本文4で取り上げました前田愛氏の著書において、例えば「一葉は彼女じしんの「脳病」をお力の「持病」として仮託した」(P.207)とか、「すくなくとも頭痛と逆上(のぼせ)の持病に悩まされていた一葉」(P.208)と述べられております。また、田中教授の前掲書においても、「解離症状」は「一葉自身が体験した症状ではないか、と春日氏は述べられた」とあり、同教授も「一葉自身がその一端を日常的に経験している」と記載しています(前掲書P.100〜P.101)。

 こうした事柄は、「天才人の精神医学的伝記を意味する病蹟学」(飯田真・中井久夫著『天才の精神病理』〔中央公論社・自然選書、1972.3〕P.5)の範疇に属するのでしょう。ただ、作家は何よりもマズその作品こそが命であり、作品を差し措いて作家自身のことを云々しても仕方ないのではと思えますし、また斉藤環氏も前掲書において、「表現と創造の起こる場所を、単に個人誌と「トラウマ」のみに限定する身振りには、もはやいかなるリアリティもない。その限りにおいて、旧来の病跡学の手法はとうに無効化しているだろう」(同署P.7〜P.8)と述べているところでもあり、ここではこれ以上の深入りは避けることといたしましょう。

(注19)下記HPでは「解離性遁走」について、「家庭や職場から突然失踪してしまうことです。2〜3日で帰ってくることもありますが、数ヶ月に及ぶこともあります。遁走中は自分の名前や住んでいたところが分からないという健忘が生じますが、通常の対人関係を持てることが特徴的であり、まれに遁走先で新しい生活を始めてしまうこともあります。また、健忘が改善されたあとには、逆に遁走中のことをすっかり忘れてしまったり、部分的にしか思い出せなくなるのが特徴的です」と述べられています。

   (http://www8.plala.or.jp/psychology/disorder/kairi.htm)

(注20)本稿におきましては、「解離」、「解離性障害」、「離人症」、「境界例」等々の用語につき、あたかも明快で確立した定義があるかのように述べてきました。

   しかしながら、前掲注7でも簡単に触れましたように、「解離」につき様々なアプローチの仕方があるようですし、また前掲注18の「境界例」につきましても、当初は「精神病と神経症の境目(ボーダーライン)にあるもの」といった把握の仕方でしたが、今ではDSM〔米国精神医学会の診断基準〕に従うことが多いようです。例えば、その改訂版DSM-Wによれば、「現実に、または想像のなかで見捨てられることを避けようとする気違いじみた努力」といったものが見られる場合(9つ掲げられる診断基準のうち5つ以上該当する場合)、「境界性人格障害」と診断されます(磯部潮氏の前掲書P.92〜P.94)。

   このDSM体系につきましては、精神科医・滝川一廣氏がかなり激しく批判しております。すなわち、「DSMというのは問題を構造として捕らえることを捨てた診断法です。正しくいうと臨床診断法ではなく、分類法」であり、「病因仮説や病理には基づかない。あくまでも客観的に観察可能な症状だけで精神障害を形式的に分けましょうという原則」によっているものである、等々(『「こころ」はどこで壊れるか』〔新書Y、2001.4〕P.67及びP.71)。

   また、前掲注7で触れたパトナムの著書につき、訳者の中井久夫氏が「本書は、また、カテゴリー的DSM体系に対する批判の書である」と述べておりますし(同書P.462)、中井氏自身も、その著『徴候・記憶・外傷』(みすず書房、2004.3)において「これ〔DSM体系〕自体科学からはむしろ遠ざかっている」とまで述べております(同書P.193)。

   磯部潮氏も、前掲書において、「私自身は、臨床において診断を付ける際にはやはりDSM-Wを必ず用いています」としながら、「人間性の軽視こそがDSM体系導入の最大の弊害」であり、「一人の人間を時間軸上で長期的に診ていくという縦断的な診断基準でもありません」などと批判的な見解を述べております(同書P.68)。

   要すれば、精神医学なるものは、そう安易に素人が手を出してはならない分野ではないかと思われるところです。長々しい本稿にお付き合いいただいた上で、最後になってこのようなことを言われたのでは、読者もたまったものではないでしょうが、本稿における記述も、取り敢えずの暫定的なものに過ぎないことは言うまでもありません。

 (05.3.13に掲上)

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