(客人神による書評) 宝賀寿男著『「神武東征」の原像』について 蘇るか神武の実像
吉本 修二
1.宝賀寿男著“「神武東征」の原像”(青垣出版)を読んだ。歴史学術書に近く、いわゆる読み物ではないため、取っつきにくいが、次第に、いつの間にか引き込まれ、読破に追い込まれたというのが実感だ。 2.本著書により、新たな史実に目を覚まさせられた。 第1に、神武天皇の年代の特定である。神武東征開始は西紀175年頃だとの論証は、明快かつ説得的である。
第2に、神武東征ルートの解明である。かねてから、熊野灘海上ルートからの大和攻略説には疑念を抱いていたが、宝賀説はこのルートの誤りを明快に解析し、豊富な史実と学識をベースに真の東征ルートを解明して見せた。
第3に、天照大神、卑弥呼、神武、さらには大国主命ら、一般には神話ないし準神話の世界とみなされている人物や時代像を、現実の歴史上の実在人物に引き戻した。その相互関係の解析と論理展開は、明快である。
第4に、天孫降臨の地、高天原の場所的特定を論証した。その地である筑紫と大和との地名の相似性とその由来の論述も科学的かつ合理的である。
第5に、神武以前の支配層の存在と神武東征による氏族・豪族の広域的影響・移動や、神武王朝を含む小国家群が、やがて広域国家として統一されていく(崇神天皇)姿を、簡潔かつ明快に解明している。おそらく歴史・物語の流れとしては、この点がもっとも肝要な視点であろう。
3.我々戦後教育を受けてきた世代、現在の日本国民のほとんどは、日本の古代史に関し全く無知であるといって過言ではない。敗戦と占領統治による日本歴史教育の廃絶がその根幹にあることは今や自明とされているが、その結果国民の多くは、日本古代史に無関心であるか、ないしは、満たされぬ渇望を抱えたままの状態にある。実際、古墳群の話から突如として大化の改新となる戦後歴史教育は、素人目から見ても異常そのものである。宝賀氏のような地道な努力の成果が広く認知され、国民的関心のもと、日本の古代史歴史教育が表舞台に登場する日の一日も早からんことを切に願う。 (2007.1.31記)
( 07.2.3 掲上)<樹童の付加的見解> 崇神天皇以前の歴史について関心を持っていただき、しかも読みにくい部分もあろうかと思われるなか読了いただきありがとうございます。とかく先入観で判断されがちな分野ですが、現在まで伝来し遺された史料や各種伝承のなかには、史実の核をもったものがかなり多数あるのではないかと思われ、そうしたものを総合的合理的な観点から1つ1つ検証して、古代史を再構成する作業が必要と思われます。そうした作業の一環が本書となっていると思っています。 本書で説いた説も類似の先行学説がかなりあり、孤立がちな学説もときに示唆深いものがありますので、そうしたものの発掘に努め、多角度的に見直しが必要です。本書で言及があまりなされなかった神武肯定説(例えば筑紫出発地、紀ノ川遡行は鳥越憲三郎氏にも主張がある)など、有益な学説がほかにもあると思われます。古代史研究においては、タブーを恐れず、いわゆる大家の言説にとらわれず、科学的な解明に努め論議・検討を重ねることによって、新しい史実と卓見の浮上もあるはずです。
(07.2.3 掲上) |
(関連して) 高城修三氏の著作『神武東征』の刊行の紹介 宝賀会長の著作『「神武東征」の原像』(以下、「宝賀著作」という)に約半年遅れる形で、高城修三氏の著作『神武東征』が刊行されました。発行日が07.5.15、出版社は構想社、値段は「2415円(=本体価格2300×1.05)」です。
戦後の古代史学界の多数説となっている津田学説やその流れを汲む直木孝次郎氏の見解の批判、すなわち神武天皇実在、神武東征実在、闕史八代実在という諸点は共通ですが、細部ではいろいろ差異もあり、両書を読み比べて古代史の世界や諸問題を考えていただければ、幸いです。
ひととおり目を通しましたが、「宝賀著作」はまったく高城氏の目にとまっていない模様です。ともあれ、ほぼ同時期に神武東征問題を取り扱った書が続いて刊行されたことを、今後の議論の叩き台が増えたことで喜びたいと思います。
とりあえず、気の付いたところを順不同であげますと、
1 神武の出発地を筑前海岸→速吸の門(明石海峡)→吉野川遡上という経路、つまり熊野回り行路の否定などは「宝賀著作」と同じです。
2 闕史八代を認める点も拙見と同じですが、東征の時期を150年頃としているのは崇神の崩年を290年としていて、「宝賀著作」よりもともに時期を30,40年も早くしている点が神武年代の差異の基礎にあります。そして、それらの基礎に、高城説では「邪馬台国=大和説」が有る点は大きく違います。
3 古代氏族系譜の取扱いには疑問があり、疑問の大きい『旧事本紀』の物部・尾張同祖説や明らかな偽作系図「十市県主系図」を採用して論拠とする点があります。
4 疑問の大きい「讖緯説」を高城氏は受け入れています。
5 安本美典氏の古代天皇の年代論への批判は、「宝賀著作」と共通しています。
(07.5.16 掲上)
|