出版文化とその周辺あれこれ


  霞ヶ関方面の諸先輩(註*1)におかれては、何か一区切りがついたところで、それまでの諸著作や講演記録をまとめて出版される方々がかなりの数おられ、その大半が性格上、自費出版となっている。こうした諸書を収めた「自費出版図書館」(前身の1つが「日本私家本図書館」)も都内中央区日本橋蛎殻町にあって、民間人の手で篤志的に運営される。わが国の出版・文化活動の高水準を示す一例であるといえよう。
  こうした自費出版は、最近はパソコンの活用等でわりあい簡単になり費用も軽減されてきたが、手数なども含めて著者の負担はかなり高いものに変わりない。そこで、インターネット上にホームページを設けて発言・発信の場を確保する例が出てきている。ネット上では、青空文庫や電子文庫パブリなどの電子出版、万葉集や平家物語・六国史などの古典や近・現代の書籍に対して、多様な手段でふれる機会も増えた。これが、漢籍となると、中国でも台湾でも『史記』を始めとする中国二十五史など多くの古典がネット上で手軽に利用・検索されることができ、わが国のパソコンからもアプローチが可能である。わが国では書籍の電子文-化が総じて民間頼りで、諸外国に比べかなり遅れた事情にあるが、それでも、いくつかの古典・現代書がネット利用できるようになっている。

  このように紙の本も大きく変わりつつあるが、いかに社会のIT環境が変わるとしても、従来のアナログ活字による出版文化の重要性には変わらない部分がある。そうした矢先、東京都において財政難を理由に都立の三図書館で合計十四万冊もの書籍を処分するという方向が出てきた。これに反発した関係者は、効率性の過剰追求・利用者軽視として撤回要望を出したと報道されたが、書籍購入・書庫増設等の経費節約が目的だとしたら、なんとお寒い文化・教育行政だと感じざるをえない。これらの節約で、一体どれくらいの経費節減になるのだろうか。現在の中央と日比谷・多摩の三図書館では、役割分担が異なっており、重複する書籍を原則一冊にするといっても、図書館の地域的配置等から見て、重複して無駄に存在しているとは到底いえない。首都圏居住の人口を考えれば、まだ都立図書館の関与は弱いくらいでさえある*2。
  大不況の進展のなか、ただでさえ、複合要因で出版不況も進行している。生活に潤いを与え心の豊かさを涵養する役割の書籍を社会から排除するような思考は、近視眼的であり残念でならない。むしろ、IT関連機器を含め公立図書館の充実や公共的施策こそ、しっかりなされるべきであろう。学生の活字離れが顕著で教養書の売上げ落込みも目立っている。やり方次第ではわが国経済社会の基盤を削るものではないか、という認識を痛切にもって、この方面でも構造改革・意識改革が必要である。文部科学・総務の両省が来年度(平成14年度のこと)から五カ年計画で、義務教育各学校の図書館蔵書を四千万冊整備する方針を決めたとも伝えられており、どちらの政策が時宜に適うかは明瞭である。小泉首相の引用で知られた「米百俵」の精神は、精神論だけで終わらせるべきではなかろう。 

                          (02.1中旬段階で記。その後、若干補訂)

  (註)
*1 管見に入った範囲で自費出版に限ってその例を少しだけあげると、大蔵・通産の関係では、最近、谷川英夫氏の『心のお布施』、岩崎八男氏の『時々言々録』があり、先には貝塚敬二郎氏や大津隆文氏の書も記憶にある。
 本格的な取組みとしては故西沢公慶氏のものがあり、全四巻という大構想で『第一巻 宇宙誕生から人類誕生迄−時空の創造と生命の進化−』を1998年8月に出版され、志半ば足らずにうちにご逝去された。その博識に敬意を表するとともに、心から哀悼の意を表するものでもある。また、桐渕利博氏の『日本復活を願って−民間で働く者の立場から−』(1999年9月)は、社会・経済面のみならず教育・文化などの面から、真摯な提言がなされている。運輸省関係では野村一彦氏、梶原清氏もあげられると仄聞するが、このほか調べればかなりの多数の著作があるのではなかろうか。

*2 もちろん都立図書館だけで東京都近辺の図書館需要に対応するわけではないが、区立や市町村立の図書館の蔵書が数があまり多くなく、かつその内容ではベストセラー的なものに厚く、学究的な図書が手薄な傾向が見られるなど、本格的な図書館とはいい難いという事情にある。せめて、国公立・私立の大学図書館がもっと地域や社会人に開放されることも考えてよいのではなかろうか。そのためには、多少とも利用者資格の審査がなされても良いのかもしれないが。
 電子文-化も、古典文学大系が国文学史料館でかなりなされている模様だが、これも学究関係者のみに利用制限がかかっており、その取扱いには疑問がある。広く国の文化事業として行い、海外までの利用者を対象とするくらいのことができないのだろうか。

              (以上は、部内誌に掲載分を註などで若干加除したものです)


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