多様な目線と視点


   多様な目線と視点

  白銀に輝くマウント・クックを遙かに見下ろしながら、飛行機はニュージーランド南島のクライストチャーチ空港に着陸し、最初の目的地に着いた。そこで、開催のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の中小企業フォーラムに参加するのが主題であった。(1999年春のことです)

  一行を乗せたバスが空港を離れようとしたとき、「APECにNOを云おう」というプラカードを抱えた四、五人のグループが立っているのに気づいた。域内各国間の経済協力の推進を目的とするAPECが拒絶されることは、意外な感がしたが、翌々日の本会議場の正面では三十人ほどの集団が、鉦と太鼓を鳴らして一日中抗議行動をとったことに更に驚いた。プラカードは五枚ほどあり、要はAPECが推進する貿易・投資の自由化と経済開発は、フェアな取引ではないし、大企業奉仕で地球を損なうことになるもので、この観点からいえば、多額な開催費用も無駄遣いとなるということのようだ。

  自然環境に恵まれている分だけ、牧畜と林・漁業といった一次産業に依存して、ほかにめぼしい産業のない同国経済にとって、アメリカ式の自由化の促進は問題が大きいこともわからないでもない。同国第三の都市とはいえ、たかだか人口三十万人のクライストチャーチには日本人が三千人もいるといわれ(伝聞につき、過大か)、そのうちには日本の社会・生活環境に合わずに移住してきた人もいるとのこと。日本と同じような価値基準で、ものを考えてはいけない地域や国があることを先ず感じさせられた。
 そうした意味で、同地の目線の低さも心に留まった。これは高層建物が少ないというだけではなく、道路の交通標識が相当低い位置に掲示されており、ホテルの部屋番号も腰ほどの高さで呈示されてある。子供や老齢者を念頭に置いたことかもしれないが、どうも日本人は上ばかり見て、進んで来たのかなとも感じる。

  ガーデンシティといわれ、きれいな川が流れる風景も印象的であり、良い治安で生活が穏やかそうな街の中心には、キリスト教会の大聖堂(写真)が鎮座して、文字通りクライストチャーチのクライストチャーチとなっている。同教会はかなり活発な活動をしていて、わが国社会との差を痛感した。こうした信心や宗教活動の欠如は、近年のわが国の精神荒廃の背景にあるのかもしれない。
  一般に無宗教といわれるわが国でも、かっては何処でも村の鎮守があって産土神として崇敬され、神仏混淆した形の寺と併せて、地域の心の拠り所であった。自然神といい、祖先神といい、欧米の神とは異なるが、こうした神への信心は心や行動の幅を拡げるように思われる。西暦二千年を迎えようとする時期にかってない大不況のなかにあって、明治維新以来、急速な近代化の過程のなかで切り捨ててきたもの、忘れかけてきたものをじっくり考え直してみても、よさそうである。

  欧米ではミレニアムが話題になっており、APEC会議でもコンピュータの西暦二千年問題が検討されたが、わが国の歴史の流れでいえば、明治維新以来、百三十〜四十年という期間の経過が大きいように思われる。自己流の史観によれば、わが国の歴史は上古以来、このくらいの期間毎に大きな転換点を迎えていると感じているからである。
  高校くらいの日本歴史の知識では、大化改新(西暦645年)から始めてよいかもしれないが、それ以前でも130,40年という間隔で、継体天皇の登場、応神天皇の登場(ともに新王朝の開始と解される)、卑弥呼の死去と三世紀半ばまで上代へ遡る。大化以降では、同様に平安遷都、承平天慶の乱、奥州後三年の役(院政の開始)、鎌倉幕府成立、建武の中興、応仁の乱、秀吉の天下統一、享保の改革と続いて、明治維新となるわけである。
  転換点の前後には十年ほどの混乱期が続く傾向も見られるので、現在がその中にあるのかもしれず、こう考えれば、そのうち安定するという楽観論につながるのかもしれない。ただ、新時代を迎えてそれに順応していけるかは、各々の心構えによるところが大きいのであろう。

  成田空港から出発する際に、『古墳とヤマト政権』(文春文庫。1999/4)という新刊書を購入して、出張中に読み考えた。同書は、白石太一郎氏が最近の考古学の成果を踏まえて、古墳築造等から大化以前の政治状況の変遷過程を記述したもので、関西系考古学者の史観を知るうえで大変参考になった。
  ここで気になるのは、邪馬台国畿内説に立脚してか、古墳年代の引上げ傾向を感じることである。同著者も含めて、かなり多くの古代史学者を呪縛している津田左右吉博士の学説の影響も、また問題となる。記紀も含めてあらゆる史料の徹底的批判・検討が必要という研究姿勢は当然のことだが、隣接科学が進歩していなかった戦前期の文献検討の結論をそのまま踏襲するのでは、新しい展望は開けないと思われる。
  戦後の歴史研究においては、考古学者の見解が偏重される反面、記紀の記述が簡単に切り捨てられ、着実的確な文献検討が忘れかけている傾向にある。時間と場所という二大座標軸を含め、5W1Hをしっかり押さえて、物事を科学的・合理的に考えていくことの重要性は、新聞報道に限らないのである。

  今回の海外への旅は、ややもすると埋没しかけていた日常性からの脱却という視点で、地域や歴史について種々の認識や示唆を新たに与えてくれたことに感謝したい。 (了)
 
 (備考)1999/5中旬作成し、部内誌に掲載したものに若干加筆。


  2011年2月のニュージーランドの大地震で、クライストチャーチは大被害を受け、上掲の大聖堂も上部崩落という惨事になった。日本人も含めて関係者に対して、心から哀悼の意を表するとともに、速やかな復興を強く願うものです。

                                        2011.3.2


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