山本博文著『日本史の一級史料』を読んで
    系図研究を考える

                                     宝賀 寿男




 系図を含む歴史研究の分野で、東大史料編纂所が所蔵する史料類の果たす役割は、いまさらいうべき話ではない。それが、最近、所蔵史料のデータベース化が進められ、平成十五年末ごろから一般の研究者・利用者でもインターネットを通じて利用できるようになると、ますますその役割が大きくなってきた。現時点では、史料原蔵者がネット上での公開を拒否した事情があったり、データベース化がなされていない史料もあるなど、ネット上ではまだ利用できない史料もかなりあって残念ではあるが、それも徐々に解消されることを願う次第でもある。
 
 ところで、その史料編纂所の教授として活躍され、丁寧に史料発掘をされて、江戸時代の従来あまり注目されなかった人々や史実を取り上げて、『江戸お留守居役の日記』など多くの著作をなしてきた山本博文氏が、このたび『日本史の一級史料』という著書を刊行された(光文社新書、2006年5月刊)。
 同書では、具体的な事例を取り上げエピソードも交えて、改めて歴史研究の基本的姿勢を的確に示し、また史料の重要性や利用方法などを説かれており、上記の東大史料編纂所の動きとも相俟って、まことに時宜を得た刊行物といえよう。同所に所蔵される史料が全国からどのように採集されたか、史料がどのように保存されたかという経緯を知るにつけ、史料を大切に取り扱うこと、史料を適切に理解することの意味を知る。
 
 実のところ、私は30年超の期間、系譜・系図の研究を続けてきて、江戸時代に活動した人々の系譜に取り組む気持ちはほとんど起きなかった。というのは、系図研究の難点がいくつかあるからである。
 具体的には、私が主に関心をもっている古代や中世からかなり離れた時期のため関連性が弱いこと、江戸時代に活動した(記録に残る)人々が非常に多数おり、現代に残存する史料も広範囲かつ膨大なものとなっていて、歴史研究を専門職業としていない私にはとても追いかけにくく手が回らないこと、江戸後期や近世に及ぶとそれに関係する個人や家族のプライバシーの問題も出てくるおそれがあり、そうした部分には触れたくないことなどの事情である。このため、江戸時代の歴史には自ずと疎くなり、総じてあまりしっかりとした知識や認識にも欠けるようになっていた。
 とはいえ、系図研究には歴史学はもちろんのこと、他の学問分野も含めた総合的な視野と知識を必要としており、江戸時代についての知識も無視して良いものでは決してない。ということで、山本氏の専門分野を承知しつつ、「一級史料」という表題にも惹かれて本書を手にした次第である。
 
 本書では、東大史料編纂所とその史料採集の歴史、そのデータベースの探し方の紹介をはじめとして興味深い事実の提示が多い。かつ、歴史研究者として古代中世に通じる研究姿勢や史料の取扱い方など、様々な点で教示をされ、また自分自身の認識を強めたり改めたりすることが多いものであった。内容的には入門書的な要素もかなりあるものの、実に示唆深い記述となっているものが多いため、近世に限らず、日本の歴史に関心ある者にとって必読書と言っても過言ではないものとなっている。
 このところ、たまたま歴史小説やテレビドラマ、映画などで、著作者や脚本家の手による虚構取り交ぜのストーリーを目にするにつけ、史料の的確な解釈と史実の把握こそ、歴史研究者の基本であり、また目標であるという認識を強くしていた状況でもあった。これは、総じて二次史料的な性格が強い「系図・系譜」を対象とする研究においても、まったく同様である。
 本書の読者が多少留意されるとしたら、史料の多い近世・近代とそれが乏しい中世以前とを同じように考えることはできない部分があること、「一級史料」といってもこれは研究者の主観的な評価に過ぎず、二級史料でも二次史料でも簡単に切り捨ててはならず、適切な吟味のうえ部分的にでも活用する途も十分考慮するのが必要であることなどである。とくに史料が乏しい古代史の分野においては、一次史料がほとんどないことを考慮する必要がある。著者の山本氏は網野善彦氏の偽文書の分析を評価しているから、一級、二級という分類が固定的ではないことがよく分かるが、この辺を読者は誤解のないように考えるということでもある。
 すなわち、研究対象とする時代の特性に応じて史料を取り扱い歴史に対処する必要があり、史料も分析のやり方如何によっては価値が違ってくるが、その辺に適宜留意されれば、本書は歴史を見る眼を養う格好の書といえよう。
 
 本書でもいうように、固定観念をもたず、教科書・歴史書の記述や歴史学・考古学などの権威の見解を鵜呑みにしないこと、できるだけ原典史料にあたって、記事の表づらだけを受け取らないこと(著者の表現では「史料を正確に深く解釈する」)が肝要であり、自分なりの「歴史感覚」を身につけこれを磨いていくべきであるということであろう。
 本書が教示し示唆するものを十分に受けとめて、歴史研究をしていくことが必要であると痛感する次第でもある。
 
 
  

 ここでは、系図研究に関連すると思われる本書の記事や点を取り上げて、多少の感触を私なりに順不同で記しておきたい。
 
(1) 多くの史料を取り扱ってきた経験から、文書のくずし字を読み間違えると語意どころか文章の意味まで変わってくることを著者は指摘し、具体的には「罷(まかり)」と「被(られ)」、「之」と「候」などはほとんど区別がつかない場合があるとして、『細川家史料』に出てきた文章の実例で説明する。 
系図やそれに関連する史料においても、誤字・誤記はかぎりなくあり、名前であれば、「隆」と「澄」、「貞」と「真」など相互に誤用・誤記される例が多い。表記の人物の同人か異人かの問題にもつながるから、この辺の見極めが重要である。
こうした事情だから、権威ある専門家が解釈した文字や文意だから、それですべてが済むものでは決してない。最近の私の体験例でも、 鎌倉時代を知るための質・量ともに最高の史料集とされる「鎌倉遺文」のなかに文字の誤解があったことを認識した。同書は、東京大学史料編纂所所長であった竹内理三博士(1907〜1997)が、「昭和46年(1971)から22年間の歳月をかけて刊行された正編42巻、補遺編4巻の鎌倉時代の残存文書を網羅的に蒐集して編年された史料集である。…(中略)…鎌倉時代研究に必要不可欠の史料集」である。(鎌倉遺文研究会のHPの記事
具体的には、同書第七巻の番号五二一七にあげる「尼光蓮申文案」のなかの「光蓮か亡兵衛太郎明政入道」という一節であり、丹波国犬甘保などを所領とした酒井氏一族の人間関係に関係する。酒井氏が丹波に入部した経緯から考えると、「亡」は「亡」でなければならない。「」と「」とは字形が似ているので、編纂者の誤解と考えられる。
これに関連して、最近刊行された日本歴史地名体系第29巻『兵庫県の地名』(平凡社刊、1999年)では、犬甘保の項で「元来光蓮の亡夫酒井兵衛太郎入道明政の所領」と表現しているが、私もこれを支持するものである。本来、原史料を見て判断すべきであるが、この個所についていえば、まず間違いない解釈といえよう。
 これに限らず、文書や文字の解釈には様々な歴史的背景も考えて、自分の頭で判断しなければならず、研究者がどのように史料を読み出すのかという問題意識は常に問われているといえよう。
 
(2) 系図は古代まで遡るものについていえば、私の感覚では、ほとんど全部の系図はなんらかの偽造部分を含むといえそうである。その意味で、この偽造部分をどのように考えていくか、偽造の背景は何か、原型は探れるのか、という問題意識が次に出てくるわけである。
偽造・捏造に関しては、山本博文氏も、こう決めつけて終わりというのではなく、宮本武蔵の『五輪書』に関してであるが、「捏造そのものが「史料」」だとして、この捏造書が「書かれたこと自体が、それが書かれた時代を考察する「史料」となりうると考えています」という考え方を示されており、私もまったく同感である。
 
(3) 山本氏は史料採訪の必要性を説き、今でも新史料が出てくる、集まってくることを実例で示される。その意味で、古代や中世に長く遡るような系図類でも、まだまだ世に出てくる可能性があり、そうした史料の発掘に努力する必要を感じる。
同書では、とくに江戸時代の大名家(島津家、細川家、毛利家、山内家など)が保有していた文書類の重要性をあげ、それらがまだ解明されていない事情も記されている。一級史料の宝庫である島津家文書が、西南戦争時に島津家家令東郷重持の必死の覚悟で無事保存されたエピソードは、心打つものがある。しかし、同戦争時に失われた貴重な史料もあった。私が知る限りでは、鈴木真年翁の師、栗原信充の所蔵した書・系図類は江戸末期に鹿児島に運ばれて、そこでほとんど失われているから、文書保存のために戦争や火災が大きな障害であったことが如実に分かる。
大名家の文書類のなかには、藩士の系図類を含むことが多々あり、細川家史料のなかの『先祖附』(せんぞづけ)は藩士の家譜を集成したもので、萩藩の『譜録』に相当するが、熊本藩の場合は特に記載が詳細で、藩士がどのような出自であったかが分かると同書に記されるから、それらのなかで古代まで遡るものがあるとしたら、私としても是非一見したいものである。島津家に伝わる『薩藩旧家雑録』には薩隅の武家の系図が多数収録されている。これが東大史料編纂所に所蔵され、刊行された『鹿児島県史料』のなかに収録されるものの、その分析が十分なされているとはいい難い事情にある。総じていえば、江戸時代の藩士の家譜は、初めて藩士となった者から説き起こされることが多いが、それでも佐竹家中には古代に遡る長背連の系図が残される例もあるので、丁寧に見ていく必要があろう。
 
(4) 系図・系譜の類は、その名前の書名(系図、家譜、系譜、族譜、世系など)だけで所蔵されているわけではない。山本氏があげる上記の『先祖附』『譜録』や『家牒』などの書名もそうである。これらに加え、東大史料編纂所に多く所蔵される文書類のなかに埋もれた形で、その記事のなかに系図や文章で系譜・人間関係が記載されることも多々あり、今後はこうした文書の分析・検討をも通じて系図研究を進めていく必要性が考えられる。
また、系図関係の書名表示も、整理の時に正確なものに表示されるは限らないことがままある。私の経験でいうと、誤記の例としてあげられるのは、薩摩の有島家の系図が仙台の東北大学付属図書館の狩野文庫に『有家譜』の名で所蔵されていたり、系図研究家中田憲信の家系が『南朝遺胤』の名で静嘉堂文庫等に所蔵されたりしており、東大史料編纂所でも、データベースの整理を誤って、足利一族渋川氏の系図『渋川系図』(清和源氏の系図としてかなり貴重なものと私は評価している)が『渋系図』の名で掲載されている。
 
(5) それだけでは殆ど意味が分からない文書も、関連する文書や歴史背景を有機的に組み合わせて考えると、その意味するものが浮かび上がってくることがあり、同書ではそうした実例を「島津家文書」の一片の文書で示される。この辺も、系図研究に通じるところがありそうである。生き生きとして血の通った歴史を紡ぎ出すためには、各種史料の活用が欠かせないと感じるものでもある。
                                             (以上)

(06.8.2掲上)
 

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