織豊期の土岐庶流の武家諸氏
        土岐一族末流の諸大名


                                           宝賀 寿男 

  本稿は、美濃源氏フォーラムの東京講座、平成24・5・19での講演の資料として整理したものである。レジメとして記され、当日はこれに基づき話がなされた。


T 戦国時代の土岐一族の動向と明智光秀

 1 土岐宗家の動向
 戦国時代の美濃の約百年間、具体的には土岐成頼の家督相続争い(1456)から始まって斎藤道三の滅亡(1556)までの期間の動向

 頼芸の生涯
 天文21年(1552)頃に道三による最終的な美濃追放から以降、常陸の江戸崎にいた弟の土岐治頼、上総国夷隅郡万喜の土岐弾正少弼為頼のもとに居たところで、美濃から出迎えあり。
 
 頼芸の没落後は、美濃は、斎藤氏、ついで織田氏が支配したが、土岐嫡流が幕臣にあったほか、土岐一族は中世に美濃や尾張の一部に繁衍したこともあって、一族庶流が様々な形でその後も残った。そのなかで、明智光秀や、幕藩大名となって残った上野国沼田藩主家の土岐氏は著名であるが、この光秀以外に土岐末流で戦国時代末期、織豊政権のもとで活躍した武家がいたか?というのが本日のテーマである。

 
  光秀とその配下の土岐系諸氏など  
             〔明智一族宮城家相伝系図書〕の概要を参照。 

 ○妻木氏  土岐郡妻木郷に因る明智一族であり、光秀の妻を出した。
 
 ○石谷氏  美濃国方県郡石谷村に起る土岐一族。室町幕府の奉公衆。
  石谷孫九郎頼辰・斎藤利三(春日局の父)の兄弟と異父妹(長宗我部元親の正室

 ○光秀配下の藤田・三宅・溝尾などの諸氏も明智一族か。


U 信長・秀吉の家臣として活躍した土岐末流の者たち
  万石以上の大名になった者を順不同であげると、金森長近、桑山重晴、丸毛兼利、原長頼、蜂屋頼隆、加藤清正、浅野長政
 その概要については、織豊期の土岐一族末流の諸大名(概要」を参照。
 
□蜂屋氏に関連して、三河の土豪で、土岐の流れを汲むと称した諸氏
 三河の蜂屋半之丞貞次、植村氏、島田・菅沼氏など

  (12.7.22掲上)


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