□百済王姓三松氏 (問い) 百済王の流れを汲む三松氏について、次の諸点を教示して下さい。 @三松俊雄編「百済王三松氏系図」及び三松俊忠編「三松氏系図」が『古代氏族系図集成』に資料としてあげられますが、どこに所蔵されていますか。 A小杉榲邨編の「徴古襍抄」に「百済王基貞栄爵状」が見えると記されますが、この資料はどこに所蔵されますか。 Bそのほか、「百済王三松氏系図」に関係する論考等があれば、教えてください。 (奈良在住の三松様よりの質問)02.2.21受け (樹童からのお答え) 三松氏は、七世紀に日本渡来の百済王家一族のうち嫡流的な存在の1つで、その祖・禅広王の代、持統朝にに百済王(くだらのこにきし)という姓氏を賜り、平安前期(桓武〜仁明朝)には一族の女性が夫人・宮人等として宮中に入り、天皇の多くの子女を生みました。その本拠は河内国交野郡中宮村(現枚方市)であり、代々その地に居住して(文禄時には禁野村の出郷大垣内へ転居)、百済王神社(百済王祠廟)を奉斎し明治に至りました。 1 同家の系図を最初に採り上げたのは明治初年の栗原信充であり、「百済王三松氏系図」として校訂しましたが、その弟子鈴木真年翁はこれを基礎に『百家系図』巻50に採録しています。栗原本を基礎に、お尋ねの両本ができたようであり、そのいずれかが活字本として筑波大図書館に所蔵されていると記憶しています。 2 「百済王基貞栄爵状」は小杉榲邨編の「徴古襍抄」別本三に所収されますが、品川区にある国文学研究資料館史料館(国立史料館。電話03-3785-7131)に所蔵されます。このリンクの史料館のHP、「収蔵史料概要データベース」の「簡易検索」に「小杉」を入力→2件該当で出てきたうち、「小杉榲邨収集文書」をクリックすると、そのなかに説明があります。 3 管見に入ったところでは、『平安博物館研究紀要』第七輯(1982)で同系図を紹介しており、また、上野利三氏の論考「「百済王三松氏系図」の史料価値について」(『慶應義塾大学一二五年紀年論文集〔第五〕、1983』)もあります。『集成』であげなかった史料としては、『平安遺文』1-86の山城国宇治郡司解、『楽所補任』百済貞時の項、などがあります。 (02.2.23に掲示) また、HP内の 百済王三松氏系図に関する論考・史料紹介 をご覧下さい。(02.3.6 掲載) 応答板へ戻る |