「鶏林」の話

  「鶏林」が古代朝鮮半島の新羅と同じであることを知る人は、あまり多くないのかもしれない。十三世紀の僧・一然の著『三国遺事』に拠ると、新羅の始祖王・朴氏の赫居世は紫ないし青の卵から生まれ、国号を徐羅伐(徐伐)、斯盧(斯羅)、鶏林ともいう、また、その后も鶏竜から生まれたというと記される。一説に、脱解王のときに金閼智(新羅三王家の一、金氏の始祖)を得た際に、鶏が林の中で鳴いたから、初めて鶏林という国号をつけたともいう、と記される。

  朝鮮半島東南部の慶州の地に起こった新羅は、記紀に古くは神功皇后の征討の対象とされ(
これを簡単に否定する姿勢は、かえって合理的ではない)、白村江の戦などで大和朝廷の敵とされることが多いが、実はその王統はわが国皇統・天孫族と密接な関係があった。二世紀の後葉、大和朝廷初代の神武天皇の兄・稲飯命は新羅に渡って赫居世王の重臣瓠公ここう)となり、その子孫はやはり朴氏となったと伝える。おそらく、もともと赫居世王と同族であったものであろう。「朴」は「瓠(ひさご)、瓢箪」の意味とされる。

  新羅第四代の王・脱解は、三王家の一、昔氏の始祖で、もと倭地の多婆那国
一伝に竜城国といい、倭国の東北一千里に位置。丹波〔丹後〕説も見られるが、私は、短里で考えて周防国佐波地方に比定)の生まれで、(カササギ)が付き従っていた箱で韓地に漂着した故事により、鵲から鳥の字を省いて姓を昔としたと伝える。神功皇后の母系の祖・天日矛も新羅からの渡来と伝え、昔氏脱解王の同族であった(鈴木真年著『朝鮮歴代系図』)。もっとも、天日矛の場合は、新羅の近隣地域の出身か。

  これらの伝承から新羅三王家の始祖がそれぞれ鳥に深い関係を持っていたことが知られる。そのせいか、新羅の流れをくむ渡来者の子孫の居住地(
例えば、戦前の敦賀市の白木集落)では、鶏を神聖視して鶏肉や鶏卵を食することをタブーとする習俗があったことも報告される(金達寿著『日本のなかの朝鮮文化』など、多くの書にこの習俗が記載がある)。

 鳥は天降り伝承や鍛冶とも密接につながるが、こうしたトーテム・習俗や祭祀、系譜など様々な資料を無視しては、上古史の理解はできないものと思われる。戦後史学が「科学史観」の名で、多くの史料記事を抹殺したが、合理的に総合的に考えると、こうした姿勢では史実の解明にはつながらない。もっと習俗・祭祀も含めて、広く東アジアを視野に入れた研究を進めるべきである。
本HPが鳥と樹木、そして巨石に着目した理由もそこにある




  2002年の年頭における今上陛下(現・上皇陛下)の記者会見で、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫と記した『続日本紀』を引いて韓国とのゆかりを感じるという旨を発言したのをうけて、韓国では大統領が歓迎の意を表したと報じられた。一般論として、日韓両国が仲良くすることはたいへん結構なことではあるが、それに対して、わざわざ韓国側が反応する話しなのであろうか、不思議な感がする。古くからのわが国公式の歴史書に明確に記載があるからである。
  ただ、それとともに留意したいのは、古代から少なくとも近世に至るまでの歴史認識としていえば、系譜観念として重視されたのは男系であって、女系ではない。これは、北東アジアの騎馬民族は勿論のこと、中国・朝鮮半島でも、ほぼ同様であろう。とはいえ、女系の重要さや通婚関係も無視できないのは、当然のことであるが。そして、武寧王の子が倭地に到来してからも、長い歳月の経過があったことが想起される。

  問題は、わが天皇家を含む「天孫族」の日本列島渡来とその経路であり、半島・大陸の各地に足跡として同族が残ったことが十分考えられる。わが国の考古学者の大多数は、江上波夫氏により提起されたいわゆる「騎馬民族説(騎馬民族征服王朝説)」をまったく否定するが、弥生中期における天孫族の日本列島への渡来まで否定することは、古代の習俗・祭祀や氏族活動など様々な実態を無視するものであり、上古史の解明を拒否するものにほかならない。江上説どおりには渡来しなかったことは確かであろうが。

  朝鮮半島には、残念ながら、古代からの原典史料としては、文献資料も古い族譜すらも殆ど伝えられていない。現在に伝わる族譜も、朝鮮半島では記録時期が意外に新しいものであるが、わが天皇家が朴氏の出であるという認識は、この地の知識階級が暗黙のうちにもっているものだ、とかってのソウル大使館勤務者から仄聞した記憶がある。
 そして、それは確かな立証まではいかないが、上掲の事情などからいって、ほぼ正しいのではないか(朴氏というのがよいか、金氏というのがよいかは不明だが、その広義の同族が渡来してきたことは十分ありうるとみられる)と思われる。そこに、歴史における口伝の重要さも現れると考えてはどうであろうか。

  (2002年春に記)

 ※日本列島と朝鮮半島との上古における交流・往来については、宝賀会長の著書『神功皇后と天日矛の伝承』及び『天皇氏族』に詳述されるところであり、ご参照下さい。ただ、いわゆる「天孫族」は、その淵源を遠く中国方面に有するものと考えられるから、「朝鮮民族」が渡来してきたものではないことにも留意される。



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