随想 遊ぶの君 |
国守大伴家持を中心とする越中万葉には、土師・蒲生といった遊行女婦(うかれめ)が登場しており、当時の越中の社交界でのかなりの役割を果したことがうかがわれる。遊行女婦は「遊君」ともいうが、表題はそれを意味するものではない。古代越中に居住した遊部君という氏族とその後裔についての話である。 昨年(1993)七月、富山に着任して関係先に挨拶回りをしたとき、ある大企業の受付嬢の名札に赤祖父と記されており、何とも興味深く感じた。かって『古代氏族系譜集成』という書を編纂して、古代の遊部君の子孫に赤祖父氏があったことを知っていたからである。 気をつけてみると、高岡市の大字に赤祖父があり、井口村では赤祖父(あかそぶ)という名の山・川・溜池があって、富山県では地名としての馴染みがある。こうした地名に由来してか、戦国期の武士(永禄の赤曽布鎮秀)や富山藩の十村役(大庄屋)の赤祖父家、夏の高校総体の選手のなかにも見え、この苗字が少なくないこともわかってきた。一方、苗字の大百科たる『姓氏家系大辞典』には、赤祖父がアカオチと訓まれて掲載されるが、由来等の記述は全くない。そのため、私は当地に来るまで、アカソフという訓み方は知らないでいた。 勤勉な県民性の富山県に「遊ぶ」という組合せはおもしろいが、古代の遊部君は、貴人の喪葬の際に呪術的な歌舞等で鎮魂を行う職業部の管理者であり、垂仁天皇の庶子円目王の後裔という系譜伝承を有していた。遊部がアソビベではなくアソブであり、赤祖父がアカソフであれば、アソブ→アカソフという転訛ははっきりしてくる。遊部という地名も現在の西礪波郡福光町の大字で、古代利波臣の流れ、中世石黒氏の本拠地のなかにあって、アソブと訓まれている。 遊部君の起源の地は越中にあったとみてよさそうである。その実際の出自も、当地の古代豪族たる利波臣の一族で、倭建命の遠征に随行した吉備武彦が越中に遺した同族か関係者ではないかとみられよう。というのは、その遠征経路にあたる飛騨の神岡鉱山の附近にも遊部郷があり、いま神岡町の阿曽保一帯となっている。また、皇室葬礼に関与することから、大和国高市郡にも遊部郷(いまの橿原市東南部か)があり、この一族の広範な活動状況がしられる。こうした名族も、その先祖伝承を失ってか、赤染時用(歌人赤染衛門の父)の子孫と称していたという。 地方勤務のさい、その地域に親しめばいろいろ興味深い地名や苗字に出くわすことがある。かって勤務した茨城県日立市周辺でもそうであった。富山や石川では、北前船や北海道入植とのつながりを示唆する苗字等も多く、私が育った道北沿海部の幼少時の友人達の苗字に通じて、なかなか興味深い。かつて箱根の食堂で、慶滋にカモと訓をした従業員に出あったこともある。これも、『池亭記』の作者として名高い慶滋保胤が賀茂氏から分かれて慶滋朝臣を賜ったことに由来するから、苗字の訓は正しく先祖帰りをしていたものであった。 いまのところ、遊部君とそれにつながる越中の古代氏族の流れについての知見が、私の富山勤務の最大の収穫の一つである。 (『某月某日』第九号(1994.11.15)に掲載したものを基に、多少説明等を加えた) (02.4.21 掲上) |
越中万葉と遊行女婦 大伴宿祢家持が越中守として5年間過ごした当時の越中国府の付近(伏木一宮)に高岡市万葉歴史館があります。家持の越中在任当時(746〜51)に作った歌は223首とされ、家持の万葉集収載の全歌数の47%強にあたりますから、この越中勤務が万葉集に与えた大きさが如実に分かります。万葉歴史館には、万葉集関連の各種資料や万葉植物などが展示されますが、家持の人形劇(家持劇場)は見物だと思われます。同館では、『高岡市万葉歴史館紀要』という研究誌も刊行しており、その第四号には拙稿「防人歌作者の系譜」も掲載されています。 高岡市では、万葉集にちなむ幾つかの催しをしていました。万葉集収載の全歌を朗詠する会(万葉集全20巻朗読の会)や野外劇「越中万葉夢幻譚」が名高いものです。前者の朗詠には私も参加経験がありますし、後者は、前田利長が在城した高岡城の跡の公園(高岡古城公園)で真夏に演じられる日本最大級の野外劇です。高岡市の古代から現代までの1250年の歴史を劇としたものであり、家持が「うかれめの土師(はにし)」とともに舟遊びの湖上に在って午睡のなかで見た夢物語でもあります。 ※越中万葉夢幻譚:毎年八月下旬に高岡古城公園において、演じられていた日本最大のスペクタル野外音楽劇。音と光と特殊効果を駆使し、市民参加型で1100人ほどの俳優・スタッフが越中1250年の歴史を壮大に演じた。残念なことに、マンネリ化や財政上の問題などの事情から、2002年以降は休止されている。
かつての紹介記事 Toyama Just Now のHP
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土師が作った歌は万葉集に2首あげられ、家持とともに垂姫の浦の舟を詠んだ歌のほか、二上山のホトトギスの歌があります。 |