西孝二郎著『古代史のからくり』の紹介


 

 古代日本の古典や祭祀・信仰が道教など中国の古代思想の影響を受けているという指摘が、これまでかなりなされてきた。個人的には、扶桑国問題などで『山海経』が興味深いものの、これを含めて中国や朝鮮半島の経典・祭祀を念頭においた観点からの日本古代史の考察や古典の分析も望まれる。
 
 さて、本書(2007年8月刊、彩図社ぶんりき文庫)は、儒教の基本テキスト「五経」の筆頭に挙げられる易経と記紀との関係について、考察を加え所説を展開するものである。裏表紙に記載の紹介文には、「古代史料のあちこちに潜む文字遊び・言葉遊びの数々。その大半は『易経』に立脚して創作された記紀の内容……。長年月の間に築き上げられてきた数多の定説の塔を粉砕し、一からの再考を強いる、古代史研究のための新・基礎解釈!」と記される。通読してみても、これは要を得た説明といえよう。
 著者の西孝二郎氏は、これまでに『記紀と易経』彩図社ぶんりき文庫、2002年刊)を著され、記紀と易経との関係を記述されており、その帯文では、次のような紹介文がある。
「『古事記』『日本書紀』の内容は全て『易経』を基盤として創作されていた!※ ―記紀に収められた神話と歴代天皇の物語を『易経』で解読し尽くし、古代宮廷人によって構築せられたその驚異的な秘密の構造の全貌を明らかにする。」

※西氏からは、「短い帯文の中にインパクトを与えるための誇張で、 実際は、「易経に立脚して創作された部分も多い」ぐらいが、本の内容に即したものです」という説明がなされていますので、付記しておきます。案ずるに、『易経』の観点から、記紀の編纂経緯を検討するという趣旨だとみられます。

 
 

 本書は前著からの展開といえよう。 構成は六章から次の成る。
第一章 ヤマトはヤンマ島である
第二章 邪馬壱という国名の意味
第三章 記紀神世巻と『易経』
第四章 歴代天皇と易卦の対応
第五章 『古事記』の構造の謎
第六章 記紀の中の言葉遊び 
 人によって興味の対象が当然異なろうが、私が比較的興味を覚えた第五章については、次のような紹介文が著者から提示される。
「『古事記』の歴代天皇の記述はなぜ推古天皇までしかないのか、また、欠史八代以外にも、第二十四代から第三十三代の天皇についても、ほとんど系譜のみの記述にとどまり、物語が描かれていないのか、その謎を、『古事記』に潜むシンメトリー構造、という観点から読み解いています。」
 
 また、第1章では、古代日本の名として大和と秋津島の二つがあり、『書紀』神武紀の記事からアキツがヤンマすなわちトンボ(蜻蛉)にも通じるとする(従って、「秋津島=ヤンマ島=ヤマト」の関係をみる)。畿内大和と北九州の筑前甘木あたりの地名の相似をあげて、後者に見える秋月(現朝倉市)という地名がそれに関係するとも説く。
 秋月という地名は、『和名抄』では郷名が唯一、阿波(現阿波市土成町)にあるので、オヤ?とも思うが、阿波・粟の地域が、大和や甘木周辺と同じく天孫族の少彦名神の後裔氏族により開拓されたことを思えば、必ずしも異とするには及ばないのだろう。安芸の江田島や周防にも秋月の地名が見え、この地の安芸国造・周防国造も天孫族系の流れを汲むという系譜をもつ。
 古代の部族がその移遷先に特定の地名をもたらしたことは多くの例証があげられ、大和や甘木周辺の類似もその顕著な一例である。この辺は鏡味完二氏の著作『日本地名学』『日本の地名』でも説かれるが、その意味で古代史解明の手がかりの一つとして地名を考えてよい。考古学系ないしは自然科学系の古代史研究者が唯物的な思考に偏り、人間的な要素を顧慮しないのは、人間の歴史を研究するはずの「歴史学」の本質からはずれるものと私は考える。
 私見では、「ヤマト=山本(山の麓)」であるが、ヤマトという地名の起源の一つに蜻蛉という要素があっても、これを排除するものではない。いくつかの要素・伝承に因み地名が重畳的に形成されたとしても、不自然ではないからである。
 
 
 実のところ、私は易経には詳しいものではない、というより殆ど知らないに等しいが、『古事記』が易経の影響のもとに編纂されたことは、これまで吉野裕子、藤村由加などの諸氏によっても指摘されており、上記以外点でも、本書の記述もなかなか興味深いものがある。
 また、記紀の内容がすべて(ないし一部が)創作されていたというのが著者の所説だとしたら、それに与するものではない。しかしながら、『書紀』に比べ私的な色彩が濃い『古事記』がまとめられる過程のなかで、『易経』の思想を基盤に再編成された可能性は考えうるものではないかともみている。あるいは、原型的な史実が特定の思想・教義の観点から潤色・改編されたという可能性なら、考えうるのではないかということでもある。
  『古事記』には、例えば応神天皇段の醸酒の記事に「堅石も酔い人を避く」というのがあり、これが言葉遊びにつながると感じた記憶があるから(ごく簡単にいうと、堅石王が酒部君の祖を示唆すると思われた)、古典の言葉遊びを一概には否定しがたい。「言葉遊び」というより、もっと奥深い何かを示唆している可能性を考えてもよいのではないかとも感じる。
 
 いずれにせよ、従来の観点とは異なる視点から、記紀とその記事が意味するものを考えるのは興味深いものである。それが、「人間的要素」からの視点であれば、無視しがたい。史実解明に直ちにつながるかどうかは別としても、記紀編纂経緯の理解につながるものであり、かつ、古典の「言葉遊び」は面白いし、読者の好奇心に対して様々な刺激を与えるはずである。
 そこで、樹童の勝手な受け取り方をもとに、本書を取り上げて紹介し、皆様に一読をお薦めする次第である。
 
  (07.9.14 掲上。同日追補)
 


 (参考) 記紀については、印欧語族のもつ神話伝承の影響という指摘もありますので、こちらもご覧下さい。

        天孫族と印欧語族 及び 吉田敦彦氏の比較神話学


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