年輪年代法を巡って 小林 滋 |
T.はじめに 昨年(2001)は、2月に法隆寺五重塔心柱に関して「年輪年代法」による測定結果(注1)が、次いで5月には勝山古墳に関するものが発表されたりするなど、いわゆる年輪年代法は、かなり世間の注目を集めたところです。それにしては最近随分と鳴りを潜めている模様だと思っておりましたところ、ここにきて二つばかり、目に留まった新聞記事がありました。 一つ目は、今年の11月10日の「奈良新聞」第15面の「年輪年代法の応用必要」と題した記事です。そこでは、9日に開催された奈良文化財研究所50周年記念公開シンポジウム「古代建築研究の新たな展開」において、「昭和55年から年輪年代法の研究を続けてきた光谷拓美・同研究所埋蔵文化財センター古環境研究室長が「年輪年代学からみた新たな課題」と題して発表」を行なったと記載されています。さらに同記事によれば、「年輪年代法は建物に使われている部材の年輪から、正確な年代を導き出す方法で、日本では欧米に遅れて研究が始められた。光谷さんは、法隆寺五重塔心柱と鳥取県の国宝三仏寺奥院投入堂の結果(注2)を事例に、年輪年代法の応用が古代建築の解明に有効であることを紹介し、「日本ではまだ年輪年代法への関心が低い。解体修理は年輪年代法を応用する最大のチャンス。各地の修理現場からの情報を提供してほしい」と訴えた」とのことです。 二つ目は、若干遡りますが、10月12日の朝日新聞第5面を全部使って掲載された署名入りの特集記事です。そこでは、年輪年代法と放射性炭素年代測定法を巡る最近の動きが紹介されております。 年輪年代法についてマスコミの報道が増えること自体は、一般の方々の関心が高まることにもなりますから、大変結構だと思っております。ですが、喜んでばかりもおれません。報道の仕方がどれも、わが国で研究されている年輪年代法が抱える重大な問題点に一言も触れておらず(たとえ触れるとしても、当たり障りのない点が取り上げられています)、あたかも1年単位の正確な年代がその方法を使えば既に測定可能となっているように書かれているのです。 別の例を挙げますと、昨年4月2日の「東奥日報」の「ニュース百科」でも、「年輪年代法」とは、「樹木の年輪の幅が気象条件によって年ごとに違うことから、年輪の幅の変化を読みとり、木材が伐採された年を確定する方法で、米国で開発された。考古学にも応用され、日本では大阪府の池上曽根遺跡の神殿柱が紀元前52年に伐採されたことが判明、神殿のあった「弥生時代中期末」がこれまでの想定より約百年古くなり、大きな論争がわき起こった」などと記載されております。 非常に古いと想定される出土品に係る年代を「確定」できる方法が、何の問題点も持たず既に開発されているとは、常識的に考えましても到底受け入れられないところです。ここでは、朝日新聞の特集記事を要約したもの、並びにその執筆者の竹石記者に対して私が送付しました書簡等を掲載していただくこととなりました。本ホームページにアクセスされる皆様に是非ともお読みいただき、ご批判を賜れば幸甚です。 〔Tの注〕 (注1) 昨年2月21日の奈良新聞では、次のように述べられております。「現存する世界最古の木造建造物である法隆寺・五重塔の心柱の伐採年代が、奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センターの年輪年代測定法で594年と判明し、20日、同センターが発表した。現在の西院伽藍は、解体修理や発掘調査の結果から日本書紀に記述のある天智9(670)年の火災以降などに再建されたとの説が有力となっている。しかし、今回の研究成果は、同伽藍の成立時期の研究に一石を投じる資料として注目されそうだ」。 (注2) 昨年9月16日の山陰中央新報の記事「年輪年代法と投入堂」では、次のように記述されております。「もう一つはっきりしていないその建立時期が明らかにされようとしている。三仏寺の世界遺産登録を目指す三朝町教委が、年輪年代法の権威者である奈良国立文化財研究所の光谷拓実・古環境研究所長に鑑定を依頼したからだ。…気象条件によって異なる年輪幅の変動から伐採年を割り出すのが年輪年代法。光谷さんは全国の森林や発掘現場を歩き、標本となる木の年輪幅を測り基準パターンを作った。今や一年刻みに3300年前までさかのぼれるというからすごい。…投入堂の鑑定では、大正時代の改修時に取り換えられた古材や重文の蔵王権現立像などの年輪を今月上旬に調査。現在分析中で、来月に結果が出る」。 なお、本年10月4日の日本海新聞の記事「蔵王権現立像は日本最古」では、「三徳山三仏寺に本尊としてまつられている重文・蔵王権現立像の七体のうち一体が、平安時代後期の1030年ごろに作られ、木造の蔵王権現像としては国内で最古であることが3日、年輪年代法による測定で明らかになった。昨年の調査では、投入堂の創建年代は1100年ごろであることが判明している。…お堂の建造は仏像の造像と並行されることから、現在の神社本殿形式の投入堂とは異なる別のお堂がこの場にあったことが浮かび上がった」などと述べられております。 U.朝日新聞署名記事の概要 (以下は、本年10月12日付の朝日新聞夕刊(第2版)第5面の「ウイークエンド サイエンス&テクノロジー」に掲載された竹石涼子記者による署名入りの特集記事「年代測定法」を、私なりに整理した概要です。もし氏の意に対して足りないところがあれば、ご寛恕下さい) 「理化学的な分析手法を取り入れた年代測定法の登場で、新しい年代観が生まれようとしている」。すなわち、「年輪年代測定法」と「放射性炭素年代測定法」である。 前者の「年輪年代測定法」は、「遺跡から採取した木材の年輪パターンを調べ、指標となるパターンと照合して年代を決める」もので、「欧米での歴史は古いが、日本ではまだ日が浅く、ようやく基盤が整ってきたところ」である。 奈良文化財研究所の光谷拓実・古環境研究室長が、「23年前に」その研究を始めた。当初は、日本は「南北に細長い島国で気候は温暖・多湿。地域や木によるバラつきが大きく、年輪幅の平均的な変動パターンはつかめないと考えた」。ところが、平城京の「遺跡から出てきた700本の天然木の年輪を調べてみた」ところ、「予想に反し、意味のあるパターンが描き出された」。 「これまでに分析したサンプル数は7千点。数が増えるにつれ、年代測定の時間軸は伸び、精度も高まった」。例えば、昨年5月には、奈良県桜井市にある勝山「古墳の回りにある堀から出たヒノキを調べたところ、西暦211年までには木が伐採されていたことが分かった。つまり、弥生時代に大規模な古墳が作られていたことになる」。この「測定結果には、自信がある」と光谷室長はいう。 もう一方の「放射性炭素年代測定法」は、「遺跡から出た動植物の骨や幹などにごく微量に含まれている放射性炭素の濃度を測ることで、その生物が死んでからの年数を割り出す」もので、「精度を誇る年輪年代法よりも、分析可能な年代がはるかに長い」。この測定法では、「年輪年代のような1年単位の測定は無理だが、分析装置の飛躍的な進歩などで、かなり正確な数値を出せるようになってきた」。例えば、昨年9月には、「当初、旧石器人とされた静岡県三ヶ日町の人骨も、縄文時代のものとわかった」。 ただ、「二つの年代測定法には、それぞれ弱点もある。年輪年代法では分析に適した木材試料を手に入れるのが難しく、…国内の研究者も少ない。放射性炭素年代法では、最近、一般的になってきた分析でも、まだ30年の誤差が出る」。 「そこで、双方の分析結果を照合することでこうした弱さを補い合う共同研究が始っている」。すなわち、「共同研究」による「弱点補完」である。例えば、出雲大社の境内にある遺跡で見つかった巨大木柱を炭素年代で測定したところ、「1197〜1229年のものという結果を得た」。他方、年輪年代法では、木柱自体については、「原木の成長が良すぎて指標パターンとの比較ができなかった」が、この「柱を支えていたとみられるスギ材」を測定したところ、「結果は、炭素年代測定法とほぼ同じ1227年だった」。 光谷室長や放射性炭素年代法を研究するお茶の水女子大学の松浦教授は、「文字のない先史時代の分析は、これまでは土器や地層を参考に年代を推定し、仮説を組み立ててきた」が、「測定法の進化で、…「こうした仮説や推定を、理化学的な手法で『検証』する時代がやってきた」と考えている」。 V.私の見解―朝日新聞竹石記者への書簡 (下記は、上記Uの記事について、本年11月11日に竹石記者宛に送付しました私の書簡です。今回、ここに掲載するにあたり、ごく若干の修正を施しました) 「前略 突然見ず知らずの者がこのようなお手紙を差し上げます不躾さをお許しいただきたいと思います。他でもありません、少々時間が経過してしまいましたが、竹石さんがお書きになった記事「年代測定法」を、大変面白く読ませていただきました。グラフや図表も手際よく使いながら、考古学にある程度携わる者でなければ殊更めいて関心を持たないはずの領域について、一般読者向きに要領よく的確な構成の中で纏められたと感心いたしました。 ですが、特に年輪年代法を巡って書かれた部分につきましては、いささか竹石さんとは異なった考えを私は持っております。以下では、同記事の左の欄外に記載されておりました「ご意見、ご感想をお寄せください」との御要請(?)に悪乗りして、竹石さんの記事につき卑見を申し上げさせていただきたいと思います。もとより一介のアマチュアに過ぎない者の取るに足らない見解であり、誤解・誤謬も多いでしょうし、また、礼を失した書き振りとなっている個所もあるかもしれません。その場合は、どうかお許しをいただきたいと思います。 早速ですが、貴記事の後半におきまして、「二つの年代測定法には、それぞれ弱点もある」として、「年輪年代法では分析に適した木材試料を手に入れるのが難し」いこと、及び「国内の研究者も少ない」ことが挙げられています(注1)。 ですが、「年輪年代法」(以下において「年輪年代法」と記しますのは、年輪年代法一般ではなく、わが国において専ら光谷拓実氏が取り組んでいるものを指しております)の「弱点」は、実はそのような点に在るのではないのではないか、と愚考いたしております。 すなわち、竹石さんは、「年輪年代法」の「弱点」として、「国内の研究者も少ない」ことを至極サラッと述べておられますが、実際のところ、日本において「年輪年代法」を研究しているのは、「少ない」どころか、貴記事中に何度も登場する「奈良文化財研究所の光谷拓実・古環境研究室長」お一人(もしくはその研究グループ)に過ぎないのです(注2)。この点は,少し「年輪年代法」を検討した研究者には周知の話ですが、貴記事を読む一般の読者にはわからないことです。 加えて、ある遺跡から発掘された木材の伐採年を発表するに際して、他の研究者(仮に存在するとして)が再度検証できるようなデータは一切提示されることなく、従来から、「伐採年は○○年である」との測定結果だけが単に示されてきております(注3)。これでは、極端に申し上げれば、神の御託宣ともいえるのではないでしょうか? 以上の二点から帰結します「年輪年代法」の大きな欠陥とは、次のような事柄ではないかと考えております。すなわち、「科学」、特に「自然科学」の分野であったなら絶対的に必須とされる、他の研究者(当然のことながら、同じ組織には所属しない)により、同一の方法に従って行なわれる検証(チェック・追試)の手続きが、「年輪年代法」にあってはこれまでのところ一切なされていないこと、この点が先ず以って問題点として取り上げられるべきではないかと考えております。 次いで、貴記事におきましては、二つの年代測定法の「弱点」を克服するために、「双方の分析結果を照合することでこうした弱さを補い合う共同研究が始まっている」として、出雲大社の境内の遺跡から出土した柱について測定された年代が、二つの測定法でほぼ一致したことを挙げられています(注5)。 ところが、放射性炭素年代法について解説している本を読みますと、放射性炭素C14による年代を暦年代に変換するには、それらの対応関係を示す「キャリブレーションカーブ」(較正曲線)が必要であり、これを「作成する最も優れた方法は、樹木年輪年代学(…)を用い暦年代が確定した木材年輪の炭素14年代測定を高精度で行なうことである」とされています(注4)。としますと、この二つの測定法はそれぞれ完全に独立するものではなく、特に放射性炭素年代法は年輪年代法の測定結果に大きく依存していて、従っていくらこうした共同研究の結果が「ほぼ同じ」でも、そのこと自体では十分な「弱点補完」がなされているとは考えられないところです(注6)。 関連して申し上げれば、「年輪年代法」と放射性炭素年代法との間のクロスチェックもさることながら、むしろより一層大切なのは、これまでに膨大な蓄積のある考古学とか文献史学との間の「共同研究」ではないかと考えております。これらによる研究成果と「年輪年代法」との間で年代に開きが見られる場合には、「ようやく基盤が整ってきた」ばかりの理化学的な分析手法によって得られる数値を科学的だとしてスグサマ頼りにしてしまうのではなく、先ず基準とすべきは、従来からの研究手法によって得られた成果の方ではないでしょうか?こうした「共同研究」を通じて、むしろ「年輪年代法」自体が持っている短所を一つづつ修正していく手続きが、今後は何としても不可欠ではないかと考えているところです。 更に申し上げますと、そもそも、竹石さんが「弱点」として、「分析に適した木材材料を手に入れるのが難しい」という点をことさらに挙げられていることからしますと、逆に言えば、そうした「木材材料」が手に入りさえすれば、あとは正しく測定されるはずとお考えになっていることにもなりましょう。としましたら、「年輪年代法」それ自体には何の問題もないと、あるいはもしかして竹石さんはお考えになっているようにうかがわれます。 しかしながら、竹石さんが「遺跡から採取した木材の年輪パターンを調べ、指標となるパターンと照合して年代を決める」と極めて簡潔にお書きになっている「年輪年代法」の内容自体に、さまざまな問題点が存在している、と私は考えております。特に、年代測定に際して最も重要な物差しである「指標となるパターン」(光谷室長は「暦年標準パターン」とされていますが)には見過ごすことのできない問題が多々所在するのではないかと愚考いたしております。 資料の非公開という観点から申し上げますと、「暦年標準パターン」がどのようなデータに基づき、どのような手続きに従って、どのような形状のものが作成されているかに関する詳細な資料は、これまで殆ど一般に公表はされてきておりません。現状では、これまた詳細なデータが与えられていない試料(発掘された木材から、どのような手続きに従って得られた年輪パターンなのか等々についての)に、ブラックボックスとなっている物差しを当て嵌めて得られた結果だけが、一般に発表されることになってしまっております。「年輪年代法」によって得られたという数値は、全てこうした形のものなのです(注7)。 もともと、貴記事にありますように、「南北に細長い島国で気候は温暖・多湿。地域や木によるバラつきが大きく、年輪幅の平均的な変動パターンはつかめないと考え」られてきたわけですから、いくら「23年」という研究期間と「7千点」ものサンプル数に基づく手法だとしても、大小様々の問題点が既に解決されてしまっていて、「測定結果に自信がある」と担当される研究者に言われましても、常識的には受け容れ難いところです。上述のように、創始者ないしご教祖様のいわれる学説の検証のない受け売りにすぎないことになってしまうからです。 「年輪年代法」自体が持っている問題点につきましては、モット申し上げたい事柄があるのですが、これ以上述べますのは余りに煩瑣に過ぎます。そこで、長い論考で誠に恐縮ですが、同封いたしました拙稿を是非ご覧いただければと思います(注8)。 以上、素人の身を省みずに随分と勝手なことを拙い文章で申し上げてしまいました。これは、「年輪年代法」を葬り去ろうという気持ちからでは全くありません。むしろ、科学的で適切な年代測定法が日本において真に確立することを、素人研究者ながら本心より願ってのことからにすぎません。 不躾なお願いで恐縮ですが、私の勉強にもなりますので、どんな点でも構いませんから、年輪年代法に関し、こちらが申し上げましたことなどにつきまして竹石さんの御見解・御批判を是非うかがわせていただきたいと思います。お忙しいところ、誠に恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。 草々 〔Vの注〕 (注1) 貴記事では、放射性炭素年代測定法の「弱点」として、「最近、一般的になってきた分析でも、まだ平均30年の誤差が出る」ことが取り上げられております。ですが、この点は果たして「弱点」といえるものなのでしょうか?これが「弱点」であれば、その理想とするところは、「年輪年代法のような1年単位の測定」なのでしょうか? (注2) 本年の第15回「濱田青陵賞」を受賞した寺沢薫氏(奈良県立橿原考古学研究所)は、次のように述べています。「私は年輪年代法や日本での研究の蓄積は尊重する。しかし、いかんせん、それをチェックする同業者がいない。自然科学の実験データや操作は互いにチェックし合う者がいないほど危ういことはない」( 寺沢薫・武末純一著『最新邪馬台国事情』―白馬社、1998年8月刊―第7章P.162 )。 また、朝日新聞記者であった高橋徹氏も、次のように書いています。「ただし、困ったことがある。年輪年代測定は、樹木が毎年形成する年輪をパターン化した物差しを使って調べるが、今のところそれができるのは奈良国立文化財研究所以外にない。誰もが簡単にできる測定ではなく、限られた研究者しかできない、つまり確認調査が困難なことから、まだ、十分に市民権を得たとは言えないのである。信じる者は信じるといった状態であ」る(『卑弥呼の居場所』―NHKブックス919、2001年7月刊―224ページ)。 (注3) 勝山古墳に関する記者発表資料は、インターネットのホームページで読むことができますが(http://www.kashikoken.jp/from-site/2001/katuyama4b.html)、そこでは測定の結果が、「第1表 勝山古墳出土木材および木製品年輪年代法測定結果」として、単に羅列的に記載されているに過ぎません。 (注4) 北川浩之氏(名古屋大学大学院助教授)の論考「炭素14年代測定と日本考古学の時代編年」(安田喜憲編『はじめて出会う日本考古学』―有斐閣、1999年11月刊―第4章、109ページ)。 更に、中井信之氏(名古屋大学名誉教授)も、「暦年代(実年代)への補正は、伐採年代既知の老木の年輪を用いて、年代別にC14を測定することによって可能になった」と述べているところです(『考古学と年代測定学』―同成社、1999年4月刊―第1部第2章A、31ページ)。 (注5) 出雲大社境内遺跡から出土した巨大木柱に関する炭素年代測定は、「山陰中央新報」のHPで調べますと、平成12年12月にその結果が発表されているようです(そのURLは次のとおり。 http://www.sanin-chuo.co.jp/news/2001/01/13/09.html ) また、年輪年代法による関連の測定結果は、インターネットで調べたところ、本年の5月に発表されている模様です(ちなみに、そのURLは次のとおり。 http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200205/31/20020601k0000m040125000c.html)。 (注6) 国立歴史民俗博物館の今村峯雄氏の論文「考古学におけるC14年代測定」(『考古学と化学を結ぶ』―東京大学出版会、2000年7月刊―第3章)では、国際的な標準とされるキャリブレーションカーブINTCAL98において、「データベースの基準となった年輪年代資料は、米国では主に西海岸のブリッスルコーン、セコイア、モミ材が、ヨーロッパではアイルランドやドイツのオーク、マツ材が用いられている」と記述されています。これを用いて箱根芦ノ湖畔で採取された「箱根埋没スギ」について測定したところ、年輪年代法による結果と一致したとのことです(同書63ページ)。 ここから今村氏は、「少なくとも紀元前1〜2世紀で日本と欧米とでは(キャリブレーションカーブに)有意な差は認められないという結果が得られた」と述べています(同書64ページ)。ですが、それはあくまでも、年輪年代法による測定結果が正確なことを先験的に前提にして得られる結果に過ぎないのではないかと思われます。 ですから、年輪年代法による測定結果が紀元前52年とされた池上曽根遺跡について、今村氏は、「C14年代からも紀元前1世紀半ばという値となった」ことに関し、「光谷が年輪年代測定した箱根の埋没材がほぼINTCAL98にきわめて近い較正曲線となっているので、年代がよく合うのは当然といってしまえばそれだけのことかもしれない」などと自嘲気味に書いているのではないかと推測されるところです(同書69ページ)。 更に申し上げますと、光谷拓実氏自身は、ここで取り扱われている「箱根芦ノ湖底木」に関する別の調査に関して、「これまでC14年代法で得られた年代から推定していた年代より、いずれも200年以上新しくなることが明らかにな」り、中には「約1000年前後の開きが生じている」ものもあって、「こうした傾向は、何に起因しているのか、今後の大きな検討課題である」と述べています(光谷拓実「箱根芦ノ湖底木と南巻頭の巨大地震」―『奈文研 年報/1998-T』P.36。なお、ほとんど同じ内容の事柄は、光谷拓実著『日本の美術 No.421(年輪年代法と文化財)』―至文堂、2001年6月刊―P.87〜89においても記載されています)。 (注7) モウ一点だけ申し上げますと、貴記事においては、出雲大社の境内の遺跡から出土した柱について測定された年代が、放射線炭素測定法と年輪年代法の二つの測定法でほぼ一致したことを挙げています。ですが、問題は、後者の測定に際して使用された「暦年標準パターン」は、現代から紀元前までを測定できる一本の長い物差しではなく、6本の別々の物差しから構成されていることにあります。 仮に、貴記事で引用された結果が正当なものであるとしましても、それによってサポートされるのは、「年輪年代法」全般では決してなく、その一部、すなわちこの測定に際して使われた「暦年標準パターン」(おそらく、1009年から1984年を対象とするパターンA)が関与する一部分にすぎないという点を忘れるべきではないと考えております。 (注8) 拙稿掲載の雑誌は、光谷室長にも発刊直後に送付いたしました。ですが、在野の研究者の拙い論考にすぎませんから勿論のことなのでしょうが、今のところ何の返事ももらってはおりません。 」 <以上で書簡部分終わり> (次へ続く) (2002.11.16掲上) |
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