和邇氏族概観

○ 和邇氏族は、孝昭天皇の皇子、天足彦国押人命(又名を天押帯日子命)から出たと称している。この天足彦国押人命という名は実体が殆ど無いものであり、和邇氏族の実在の祖としては、押彦命(忍鹿彦。又名を稚押彦命、和邇日子押人命)があげられよう。押彦命の世代は、三世紀中葉頃の孝昭・孝安天皇の世代とほぼ一致しているようであり、和邇氏族はそのころ発生した非皇別氏族(注)とするのが妥当であろう。その原始的な姓は、天武紀に大和の添下郡人として見える鰐積であったと推される。
 
(注)烏越憲三郎氏も、和邇氏を孝昭天皇の後裔とする伝承には疑問をもち、その祖先を別にもとめ、神武紀に見える「和珥坂下の居勢祝」の子孫を和邇氏と考えている。

○ この氏族は大和国添上郡和爾(現、天理市和爾)より起こるが、同地には和爾坐赤坂比古神社(神名式、大社、月次、相嘗)があり、これが本来の祖神と考えられる。その本来の出自としては、海神族(海祇族)の祖神綿津見豊玉彦命の嫡統で阿曇連と同族であり(奴国王の後裔でその嫡流ではないかと推される)、「ワニ」は鰐(トーテム集団の象徴)を意味するものと考えている。これが、和邇氏が長期間にわたって多くの后妃を輩出し、天武十三年十一月の朝臣賜姓五十二氏において、大三輪君(旧来の大和地方の支配者大物主命の後裔)に次いで第二番目にこの氏族の本宗家とみられる大春日臣が挙げられている主因の一つであろう。

○ 和邇(ワニ)は、丸、丸邇、和爾、和珥とも記される。この本宗家和珥臣は、継体朝頃までに絶えたとみられ、これに代って、仁徳天皇朝の頃に春日(奈良市白毫寺町)に分かれた有力な支族春日臣が本宗家となった。春日臣氏は後世に大春日朝臣となるが、この分居の頃から有力な支族である大宅臣、粟田臣、小野臣を次々に分岐し、大和から山城・近江さらには日本海方面へ発展していった。近江では上古の早い時期からかなり強固な基盤を築き、滋賀郡を中心に繁衍を見せるが、そのなかには近淡海国造一族など、和邇氏族の出といわないもの(称武内宿祢後裔)もあった。
  有力な支族に櫟井臣もあり、この系統の具体的な系譜は不明であるが、添上郡を中心にかなりの有力諸氏を分岐したのではないかとみられる。
  また、朝鮮関係の氏が出ていることにも留意されよう。

○ 中央の官人としては、小野・粟田などの氏が奈良期には顕官を出し、遣隋・唐使などの外交、辺境防衛に活躍した者が多く、平安中期頃までその活動が見えるが、それ以降は下級官人で小野姓を名乗るものが若干あるにすぎない。
○ 地方の国造としては、武社国造(上総国武射郡)、額田国造(美濃国池田郡額田郷)、吉備ノ穴国造(備後国の安那郡などを領域)があり、伊勢の飯高県造・壹志県造も有力者であった。近江の南部から西部にかけての近淡海国造も和邇氏族の出で、日觸使主命の後であったとみられる。
  中世以降では、石見の益田一族(柿本朝臣姓であるが、称藤原姓)が栄え、駿河の富士大宮司一族(和邇部宿祢姓)も多くの族人を出した。和邇部一族は伊勢・美濃から尾張、三河、遠江、駿河にかけての地に根付いて、その末流は各々の地で有力な中世武士となったが、いずれもその出自・系譜を変えて藤原姓などと称したため、詳細は不明である。なお、平安後期から武蔵・相模に繁衍した横山党・猪俣党は、小野朝臣姓を称したが、疑問な点も多く、おそらく武蔵の古族の末流で、小野神社奉斎や知々夫国造との密接な関係が考えられる。

○ 
和邇氏族及びそれから発生した主な苗字をあげると次の通り。

(1) 畿内及び近江方面……和珥臣(丸臣、和邇臣)、春日臣(大春日臣)、大春日朝臣(録・左京)、春日部、久米臣(録・大和)、粟田臣、粟田朝臣(録・右京、山城。粟田、屯倉、東大路、楠園、坂廼辺、宮館、坂小路、東辻、西辻、片並−尾張の熱田社家)、粟田宿祢。

  小野臣(録・山城)、小野朝臣(録・左京、山城。徳岡−京官人、大膳職。小野−京官人で左官掌・滝口にあり、河内、三河等にもあり、また近江国滋賀郡小野神社の祠官家。田中−伏見宮諸大夫。横田−甲斐に住。猪狩−出羽人、陸奥磐城に遷。久世−三河に住み武家華族、なお出自には疑問もある。横山党及び猪股党については、問題もあり、後掲)、春日倉毘登(春日蔵首)、春日朝臣。

  柿本臣、柿本朝臣(柿下朝臣。録・大和。益田−石見国の美濃・那賀郡にわたる益田庄に起った大族で、もと那賀郡上府村御神本に因んで御神本〔三神本〕と号、称藤原朝臣姓。一族は石見に繁衍して、黒谷、赤雁、大草、仙道、遠田、丸毛〔丸茂〕、越生、周布、角井、鳥井、安富、杉岡、末元、波田、波野、小道、多祢〔多根〕、田村、小坂、来原、三隅、井村、竹、永安〔長安〕、鳥屋尾、福屋、福光、横道、藤田、森、吉田、井田、市木、高野、高子、池上、増野、栗山、宇野、宅野、井尻、内、乙吉、宇地〔宇治〕−以上は石州人で、益田同族。堀−石州邑智郡人、福屋庶流。小瀬−石見国鹿足郡人、益田の初期分岐。綾部−丹波国何鹿郡人。高平−石州人。松原−出雲人。以上は皆、益田一族で、居住地に臼口大明神を勧請奉斎した。なお、その出自は和邇氏族としても、本来は柿本姓以外で、石見古族〔源郷から考えると、猪甘部首の一族か〕の末流かもしれない)、柿本宿祢。

  大宅臣(録。山城、河内)、大宅朝臣(田近−摂津人。高橋−駿河国庵原郡高橋村に起り、備中石見に分る。本城、藤掛−石州邑智郡人。由比〔油比〕、岩部−駿州庵原郡人。西山−同州富士郡人。飯田−庵原郡人、丹波国天田郡に分る。石田、酒井−相模国大住郡人。早川、大蔵、大山−相州高座郡人。小山−武蔵国多摩郡人。落合、立川、小川、布田、今泉−武州多摩郡住の小山一族。以上の諸氏のうち高橋以下は同族であるが、一伝に大宅真人姓ともいう。あるいは大宅朝臣は冒姓で、実際の出自は駿州富士・庵原郡辺りの古族の末か。庵原郡由比鎮座の式内豊積神社の祠官豊積、西ケ谷も同族か)、水取臣、大宅水取臣、大宅水取朝臣、寺間臣、大屋朝臣。

  物部首(録・摂津)、布留連、布留宿祢(録・大和。森、東、山田、古田、吉田−大和国人。川村〔河村〕−大和国山辺郡人)、物部朝臣(この姓氏は自称で、布留宿祢姓か。三島、松本、杉本、市川、向、藤尾、今井−石上神宮祠官一族)、火忌寸、山於、山上臣(山於臣)、山上朝臣(録・右京)、井代臣(井出臣。録・摂津。大和国添上郡の井手・井戸氏は族裔か。井門臣・井戸臣も見えるが、同じか)、網部物部(録・和泉)、物部(録・摂津、河内、和泉)。また、摂津国島上郡の権大領に見える檜前首は、物部首一族か。井出首も同じく同族か。

  和邇部臣(丸邇部臣、和珥部臣、丸部臣。丸部−讃岐国三野郡人。諸国に分布が多く見られるが、播磨でも大いに繁衍し、中世の大族赤松氏〔後掲〕は族裔かとみられる。甲斐国巨摩・八代郡の大族で橘姓・源姓・藤原姓とも称した市河〔市川〕も族裔か、のち信濃国高井郡に遷住。信州の市河一族には物部、志賀。西条−信州埴科郡人)、和邇部宿祢(和爾部宿祢、丸部宿祢。録・左京。富士−駿河国富士郡浅間神社大宮司、分れて甲斐国都留郡にもあり。富士の一族には、上野、村松、田抜〔田貫〕、瓜島−駿河人。角田−相模国愛甲郡人。宮下、河口、宇都、福地、大和田、田辺、半野、大石−甲斐国都留郡等に住。関−甲斐国八代郡人。米津−三河国碧海郡人、武家華族。和仁−飛騨人。なお、駿河の大族で藤原姓堤中納言兼輔後裔と称する朝比奈氏はこの同族の流れか。三河の朝岡・神谷氏や武家華族の大久保氏〔もと宇津〕は朝比奈一族の出自。大久保一族に福岡、本田。清和源氏と称する武家華族板倉氏も本来朝比奈一族か。また、駿河駿府の大歳御祖神社祠官の大井氏も同族か)、邇宗宿祢、丸部首。

  葉栗臣(羽栗臣。録・左京。栗木、栗本−尾張国葉栗郡人)、葉栗(録・山城)、葉栗宿祢、度守首(録・山城)、和邇部(丸部。録・左京、右京、山城、摂津)。山城国久世郡の並栗臣(双栗臣)も葉栗臣の同族か。

 和安部臣(録・左京)、和安部朝臣(録・左京。安倍−京伶人)、櫟井臣(壹比葦臣。録・左京。市井−大和添上郡和爾下神社祠官。櫟井〔市井、一井〕−近江国蒲生郡日牟礼八幡神主。なお、和州添上郡の櫟本、櫟原も族裔か、同郡の菊田も同族か)、櫟井朝臣。また、安倍宿祢、御輔朝臣も和安部朝臣の一族ではなかろうか。

  丈部(録・左京)、丈部宿祢、野中(録・右京)、野中宿祢、津門首(録・摂津)、羽束首(羽束志首。録・摂津。摂津国有馬郡羽束に起った小野姓と称する一族は族裔か。そのなかには、羽束、森本、安福、片山、十倉、石田などあり、森本は河辺郡住、片山・十倉は丹波国氷上郡にも居住。なお、河辺郡の塩川、豊島郡の中川とも同族か)、壬生臣(録・河内)、葦占臣(録・和泉)、根連(録・和泉)、櫛代造(録・和泉)、猪甘部首(録・和泉未定雑姓。猪甘−和泉国大鳥郡人、のち近江国堅田に分る)。なお、羽束には首姓や無姓(録・摂津神別)のほか、造、連(造の賜姓)、宿祢姓のものもあり、これらは和邇氏族でなければ、天物部廿五のなかの羽束物部の流れか。また、大猪甘人面(山城国愛宕郡)も同族か。

  和珥玉野臣、田上公、村公(録・山城)。
  近淡海国造関係では、近淡海臣(淡海臣、近江臣)、脚身臣、吉身臣(丹波国氷上郡の名族吉積氏は族裔か)、吉身宿祢、波弥臣、播美朝臣(食朝臣)、播美宿祢、嶋脚臣(一に嶋臣)、高生朝臣。この系統は武内宿祢の子の波多八代宿祢の後と称したが、これは疑問。
  都努山君(角山君。近江国高島郡。角−近江国高島郡津野神社祠官。黒田、保坂、角川〔津ノ川〕−同高島郡人。角以下の姓氏はあるいは角宿祢か)、都怒山臣、角宿祢。この都努山君を和邇氏族とするのは孝元記だが、角山君を紀氏族角国造一族とする所伝もあり(『滋賀神社由緒記』)、このほうが妥当か。いずれにせよ、近隣の酒波、酒波宿祢(高島郡日置神社祠官の布留宮氏がこの姓氏か)は角山君同族か。
 

(2) 諸国……備後、丹波、伊勢、美濃、尾張などの諸国に分布が多い。
  備後の安那公(穴公。録・右京。安那−備後人。備中国川上郡の穴門山神社祠官松岡は族裔か)、安那臣(穴臣)、安名宿祢(穴名宿祢、安那宿祢)、大坂臣。備後国葦田郡の網引公、深津郡の栗栖君も穴国造の族裔か。なお、中世備後東南部の大族杉原〔椙原〕氏は、室町幕臣で備後国の御調・芦田・安那郡などに一族が居住しており、『尊卑分脈』では桓武平氏の桑名の流れにあげられるが、杉原氏は尾道市域北方の石清水八幡宮領椙原保の保司起源の在庁官人とみられており(『福山市史』)、そうすると、分布等などからみて吉備穴国造の族裔とするのが妥当か。杉原一族には、木梨、焼野、本郷、高須〔高洲〕、三谷、岩崎、山田、木原、宮川、高崎など。沼隈郡等の佐波、古志、深津や芦田郡の目崎、常も同じ一族か。備中国哲多郡の大族新見〔新免〕、石蟹〔石賀〕の諸氏も、姓氏不明も和邇氏族の族裔とみられる。美作国真庭郡の赤松同族と称した新免氏も同流か。

  丹波の多紀臣、多紀朝臣。
  伊勢の飯高君(飯高郡の大幡、中島、中津は称平知盛後裔も、族裔か。一族に伊勢神宮祠官家や、また前山、黒田、山岡もあり)、飯高宿祢、飯高朝臣(飯高−伊勢、三河に住。山田大路−飯高神戸司で伊勢神宮祠官)、県造、伊志君(壹志君。伊勢神宮御塩焼物忌の一志氏はこの末か。また、一志郡人の伊藤・榊原氏は族裔か。清和源氏仁木一族の出とも秀郷流藤原氏とも称した榊原氏の実際の出自か、榊原も伊勢神宮祠官御炊物忌にあり。また、伊勢神宮物忌父の蓬莱〔洞〕も族裔か、称荒木田神主姓)、壹志宿祢、大春日朝臣(同上の改姓)、伊部造、伊部宿祢(越前の織田神社祠官などの織田一族も本来、この流れか)。

  美濃の額田宿祢、尾張の知多臣(知多郡人で菅原姓と称する久松・小川・苅谷氏及び新海〔知多郡宮津の熱田社祠官にもある〕・新美〔新見〕・舟橋・宮津などの諸氏、海部郡人で称菅原姓の光賀氏などが実際にはこの末裔か。明徳頃の小野姓の英比氏は久松の先か。また、知多郡の長雄〔長尾〕も同族か。称清和源氏で武家華族の水野氏も、実際は久松同族か)。尾張の和邇部臣も有力で、北条時行の後裔と称した愛知郡の横井、中島郡の平野(武家華族)はその族裔か。その一族が伊豆国田方郡に移って、田中、岡野。
  上総の春日部、武射臣(武社臣、牟邪臣)、丈部臣。

  天平十年の「駿河国正税帳」に見える安倍郡散事の半布臣(同郡埴生郷)、横田臣(同郡横太郷)や常臣、伊奈利臣は皆、和邇部同族(もっと具体的には廬原公の一族)ではなかろうか。駿河の安倍郡は阿倍氏族関係とみる見解もあるが、そもそも阿倍氏族は和邇氏族の支流であり、同郡には式内の大歳御祖神社や浅間神社や白髭神社など和邇氏族関係の神社が多く鎮座する。安倍郡の隣、益頭郡の大族朝比奈氏は和邇氏族の出とみられる。同氏はもと堤といったことで、藤原良門流を称したが仮冒。その一族庶流に駿河の川守、岡部や三河国碧海郡出の武家華族大久保(初め宇津)。大久保一族には、福岡、本田、大窪や碧海郡の神谷、額田郡の朝岡。また、岡部庶流に、三河の武家華族板倉が出たが、以上の朝比奈一族は藤原姓を称した。三河でも額田部が繁衍して、武家華族阿部などを出したとみられる。

  このほか、和邇氏族出自の姓氏ではないかとみられるものは、諸国に多いが、そうしたものとしては、次の姓氏があげられよう。
 部連(山城国愛宕郡)、丸連、中臣丸連(太田亮博士が中臣氏族とみるのは疑問か)、中臣丸朝臣、丸部首、山階臣、倉臣、神田臣、神田宿祢、比流(近江国坂田郡住)、比瑠臣(山城国宇治郡の音羽荘公文の比留田氏は族裔か)、良臣、良朝臣、楊生首(菅原姓という柳生氏の実際の出自か)、螺江臣(越前)、益田、益田連、益田君、穴咋、八嶋、八嶋宿祢(八嶋−大和国添上郡穴栗神社祠官)、稗田(同添上郡住、猿女君を出す)、葦田臣(録・未定雑姓。都早古命の後という)、度津臣、度津宿祢(三河出身の武家華族奥平、渡辺、戸田氏は、実際にはこの族裔か)。
 
●和邇部臣(丸部臣)は播磨国飾磨・加古郡、讃岐国三野郡などでも栄えた。出自不明の賀?臣も、加古郡に起る一族かと推される。
  村上源氏とも藤原氏とも称した中世播磨の大族赤松氏は、その出自が不明で諸説あるが、なかでは、赤穂郡郡領の秦造後裔説が比較的有力かとみられる。しかし、一族の分布・苗字や奉斎した神社などからみて、和邇部臣の族裔とするのが妥当ではないか(針間鴨国造族裔の可能性も残る)と推される。遠祖季方が加古郡(ないしは賀茂郡)から佐用郡に遷住したのち、佐用庄を本拠に興隆した赤松一族は、播磨各地とその近隣地域の摂津・美作などに繁衍して分出した苗字きわめて多く、主な一族には、
  七条、有田〔在田〕、広岡、葉山、永良、広瀬、神出、石野、大河内、上野、斎村、岡本、山田、本郷、萩原、上坂、釜内、野中、得平〔徳平〕、間島、中村、矢野、大田、加庄、上月、水田、福田、村上、広山、前川、水田、本田、吉浦、福原、井上、櫛田、小松原、中津川、神吉、別所、砥蠣、田住、安室、塚本、岡村、神沢、小林、飽間〔秋間〕、蘆田、喜多野、三枝、宇野、春名、重田、能登、北見川原、柏原、豊福、片上、淡河、佐用、上原、中島、戸田、豊島、内海、古林、栗山、植松、加屋、有年、黒田、妻鹿、名倉、辻、三野、大竹、城戸、津田野、田原、宮本、大村、中野、志方など−播磨に住。小寺−播州飾磨郡住の大族、藤原姓も称。有馬−摂津国有馬郡に起る武家華族。江見−美作国英田郡人。三木−阿波国板野郡人。和歌〔若〕−下総国結城郡人。
  福岡藩主黒田氏も、近江佐々木支流とするより、おそらく播磨古来で赤松一族黒田(喜多野の後か)の出か。備前国和気郡に起った衣笠、木梨、宮崎や、その族で作州吉野(英多)郡の平尾、新免も、赤松余流か(ないし遠祖を同じくした同族別姓か)。また、播州加古郡に起り村上源氏と称した緋田、松原、東山、上松(以上は飾磨郡に住)も、赤松と早くに分れた同族か。加古郡の氷田〔緋田と同じか〕・加古〔賀古〕も赤松一族と伝え、加古一族には清水、小松原、瀧、大崎、富木、沢、長沙、細田などがある。赤松氏に属した美作菅家一族も、海神族の色彩が強く、早くに分かれた同族の可能性も考慮される。
  ただ、赤松氏出自という苗字でも、これに附会させた播磨等の郎党諸氏もあろう。三河国渥美郡の大津氏は、赤松流とも佐々木流ともいうが、これは本来、三河の和邇部の出で、渥美郡伊川津七党の一たる赤松氏の一族ではないかとみられる。赤松氏から出たともいう武家華族奥平氏も、本来は大津氏の同族か。京官人で久我諸大夫の竹村も赤松流という。


(3) 朝鮮関係……和邇氏族の族人が朝鮮半島に住んだのち、再び日本に戻ったという所伝を持つ氏。
  吉氏、吉田連(録・左京)、吉田宿祢、興世朝臣、真野臣(録・右京)、真野朝臣、真野宿祢、民首。


● 武蔵及び相模に繁衍した横山党・猪股党については、小野朝臣と称したが、中央の小野朝臣という出自に疑問がある。その系譜は、天慶のころ武蔵国小野御牧監であった小野諸興の後裔であり、武蔵の古族(知知夫国造一族大伴部か)の末裔ではなかったかとみられる。その関係の苗字としては、
横山−武蔵国多摩郡横山に住、後分れて美濃国多芸郡に住する者は加賀前田藩の重臣。椚田−武蔵国多摩郡人。藍原〔粟飯原〕−武州多摩郡人。古郡−甲斐国都留郡人。大串、田屋−武州比企郡人。菅生−武州橘樹郡人。糟屋、吉沢、中村−相模国大住郡人。山口、小沢−武州多摩郡人。愛甲−相模人。石川−武州都筑郡人。須賀−武州埼玉郡人。白石−武州那珂郡出。田名−相模国高座郡人。古庄〔古荘〕−武蔵人、出雲国神門郡に分る。多岐〔田儀〕−出雲神門郡の古庄一族。野沢、平子、平山、野部〔矢部〕、山崎、鳴瀬、大貫、小俣、小倉、小補摩、由木、室伏、千与宇、伊平、吉野、八国府、小野、小山など。
  海老名−相模国高座郡人、この一族は村上源氏とも称すが疑問か。本間−相模国愛甲郡より起る、佐渡(雑太〔沢田、竹田〕ないし河原田〔石田〕を惣領家に、一門は久知・沢根・羽茂・新穂・潟上・吉岡・吉住・和泉・赤泊・宮浦・太田・渋手・青木など佐渡各地に繁衍)や播磨遠江に住、称源姓。出羽酒田の豪商本間は河原田本間の支流。荻野−同州愛甲郡荻野郷より起る、丹波にも住。国府〔国分〕−相模人。
−横山以下は横山党関係、後掲の中条・苅田等も横山党から出るが養猶子関係が他氏と生じた。

  猪俣−武蔵国那珂郡猪股邑より起る、一に称平姓。荏原−武州幡羅郡人。河勾−武州都筑郡人、太田−同州大里郡人、後に源三位頼政卿の支族襲之、武家華族。恒岡−武州豊島郡人で太田庶流。人見−同州榛沢郡人、分れて丹波に住。東条−丹波国桑田郡人。甘糟−武州児玉郡人。藤田、岡部−同州榛沢郡人で、岡部は長門国美祢郡に分る。男衾、木里−同州男衾郡人。金尾−同州秩父郡人。横瀬−同州秩父〔ないしは幡羅〕郡人、後上野国新田に住。由良−上野国新田郡人、中世の大族で称新田一族も仮冒。矢場、小金井、矢内、泉、渡瀬−以上は横瀬・由良一族。木戸〔初め木部〕−上野国邑楽郡人。野田−木戸同族で、下総国葛飾郡に起る。内島、蓮沼、尾園、木部、湯本、无動寺、友庄、井沼、野部、御前田、山崎、桜沢、飯塚、南飯塚、幕土、続、用土、早内−猪俣以下は猪俣党関係。

  中条−祖の家長は八田知家の猶子にもなって藤原姓も称、三河及び陸中稗貫郡に展開。稗貫、新堀、小山田、山影(山蔭)、膝館、大迫、八重畑、根子〔禰子〕、瀬川、似内、山屋、亀ヶ森、矢沢、槻木、久貫、萬城目−陸前稗貫郡人で、中条の族とみられるが、陸奥古族の裔も混るか。苅田−陸奥苅田郡に起るが和賀郡に展開、祖の義季は和田義盛の猶子となって平姓も称。和賀、鬼柳、煤孫(須々孫)、小原、安俵、江釣子、平沢、晴山、黒沢尻、轟木、毒沢、多田、只野、達沢、八重樫、成島、関口、黒岩、太田、猿橋、吉成、藤根、大釜、岩崎−陸中和賀郡人。小田島、野辺沢−出羽国村山郡人。本堂−和賀支流で、出羽仙北に起る武家華族、称清和源氏多田支流また称頼朝落胤後裔は、ともに仮冒。

                              (以上)


                              系譜トップへ    氏族概覧トップへ     Back