鳥 二 題
富山勤務時代に身近な鳥についての随想を綴ったものです。
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随想 鷺の王
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富山でも庄川や神通川の下流域に、鷺が集合して繁殖するコロニーが見られるなど、留鳥としても鷺が割合目につくようである。表題はそうした鷺集団のボスを意味するものではない。越から出た大王(天皇)・継体について、折角、北陸地方に来たのだからといって調べるうちに、浮上してきたのが鷺王という優雅な名をもつ人物であった。
六世紀前葉、越前から出た継体(ヲホト王)については、どのような出自で、どうして大王になりえたのか等々、多くの未解決の諸問題があるが、これに関連する史料はできるだけ丁寧かつ慎重に取り扱う必要がある。
継体天皇の先祖については、現存する記紀は具体的な歴代の人名を記さない。辛うじて鎌倉後期の書物に引用されたことで現在に伝わる『上宮記』逸文のなかに、応神天皇とみられる者から継体に至る中間四代の名前を記す系譜が残されている。この逸文は用字法から推古朝(七世紀前葉)頃のものかとみられているが、その古さから内容がそのまま信べきものとは必ずしもならないことに注意したい。
その系譜には、継体の曾祖父で、応神の孫にあたる大郎子(オホイラツコ)、又の名をオホホト王とされる人物がいる。このオホホトは大ホトで、継体の小ホト(ホトは鍛冶の炉)に対応する名であり、本来は継体の兄という位置づけとみられ、そのように考える場合、単に長男という意味の「大郎子」の実名が不明ということになる。
ここで話は何故か東国に飛ぶが、甲斐国の二ノ宮・美和神社の社伝に大郎子が鷺王という又名をもち、その子孫が甲斐に来て当社の神主家になったことが記されている。この社伝がにわかに重要になってくるのも、鷺王の孫に鷲取王(神主家の祖か)や鳥見古王という者がおり、畿内大王家でも応神天皇の子には、大雀(サザキ)命や隼別命・根鳥命という兄弟があって、鳥の名をもつ王族が五世紀代に多く見えるからである。平安前期の高僧尊意の先祖として見える佐芸王が鷺王にあたることも考えられる。
大雀命は有名な仁徳天皇のことであり、「雀」とは「すずめ」ではなく、「鷦鷯」とも書く日本最少の野鳥「みそさざい」のことであって、隼・鷲・鷺は説明を要しない。どうして大王家一族に鳥の名をもつ人々が輩出したのだろうか。
この大王家は金属精錬・鍛冶部族たる息長氏族に出自したことが、その説明としてあげられる。日本に限らず、世界的にも「鍛冶と鳥との結びつき」が伝承として多く見られ、「息長」とは金属精錬にあたって送風のため息吹を長くすることを意味する。
近江北部の伊吹山(←息吹)の南西麓地域に展開した息長一族の、当地における初代が鷺王であったとみられる。息長一族は伊吹山地の鉄を採取して巨富をなし、丸岡塚古墳(全長130Mとされるが、一に近江第二の規模を誇るともいう)等の墳墓を多く造成した。近隣雄族との通婚で地盤を固めて、激しい王位継承争いの連続等で衰弱した畿内大王家から大王位を纂奪した継体の財政的基盤もここにある。「鷺王」という先祖の名は、継体即位の血統的・財政的事情を説明することでも重要な意味があったのである。
(『某月某日』 第十号(1995.3)に掲載のものに若干加筆)
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アオサギ |
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※『某月某日』は富山県の同人誌で、400字詰め原稿用紙三枚分の随想を集めた形で編集されている。
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