知恵の樹 「夢に見た王子様 白い馬に乗って幽霊の森を抜け 迎えに来たの」。これは37年ほど前に流行った「夢見るシャンソン人形」(Poupee de cire , poupee de son)を歌うフランスの美少女フランス・ギャルFrance Galの歌「すてきな王子様」の始めの詞の一節。ということで、ここでは「馬」サラブレッドの話しです。 (ご興味のない方はどうぞパスして下さい) 今から三十数年前、当時京都在住だった友人とともに、白鳥浮かぶ淀の競馬場で行われる秋のクラシック・菊花賞に行き、これが初めての競馬で、しかも初めて買った馬券(朝霞王−伊達宝来。なお、これは勿論恣意的な当て字です)が、代替馬が来て安い配当だったとはいえ的中したことがありました。いわゆるビギナーズ・ラックということで、爾来、長い間日本と世界の競馬の動きを見てきました。競馬場のない外国や国内の地にあっても、関連の雑誌・新聞を取り続け、情報を追いかけていました。 サラブレッドは長寿のほうでも馬齢30歳ほどですから、この間、当時生まれた馬は全て死んで世代交代し、平均すれば馬の実質三〜五世代ほどが進んだことになります。そうしますと、既になくなった大レース・名馬や絶滅した血統も当然出てきます。印象深いレースや馬もいました。 そうしたなかで、馬名センスの良いものとしていまだに記憶に残るのが、標題に掲げるTree Of Knowledge(1970米国産)です。アメリカ競馬でマイル最速記録をもちリーディング・サイヤーにもなったドクター・フエイガーDr. Fagerの仔という牡馬で、自身もGTのハリウッド・ゴールドカップ勝ちの名馬でしたが、種牡馬成績があまりあがらず、子孫も日本に来ることもありませんでした。ただ、少し調べてみたら、女傑ヒシアマゾンの父シアトリカルTheatrical を生んだ牝馬(1977生、愛国産か)も、なんと同じ名であり、その仔タイキブリザードとともにわが国に入っていたことに吃驚。米、欧州といい馬主の発想は似通うもののようです。 Arts And Letters(芸術と文学、1966米国産)という香り高い名を持つ名馬もいました。16戦無敗のチャンピオン・大種牡馬リボーRibot の仔で、アメリカ三冠の最後、ベルモント・ステークスでは最初の二冠でともに二着に敗れたマジェスティック・プリンスMajestic Prince(荘厳なる王子)を四馬身ちぎって雪辱し、更に大レースも続けて勝って年度代表馬にもなりました。この三冠レースに限らず、二頭の馬名マッチも素晴らしいものです。仔にはアメリカ三冠の一つを勝った馬コーデックスCodex等も出して種牡馬成績はまずまずでしたが、最近はその系統の活躍は聞かれず、日本に来た馬も殆どありません。一方、宿敵のほうは孫牝が持込み馬で日本でも活躍しました。 翻って、日本を見ると、最近では競走馬の水準が著しく上がり、国際レースでも活躍する馬が出てきています。この喜ばしいなかで、馬主のセンスを疑うような馬名がいまだにかなり見られます。「テイエム」とか「フサイチ」とか等々、馬主自身の名を堂々と馬名に冠した馬が、日本の大レースで活躍するのを恥じる次第です。前者の馬が年度の代表馬となり、ただただ国内のレースで稼ぎまくってわが国(もちろん、世界の)歴代最高賞金収得馬となり、後者の馬はあろうことか日本でもアメリカでもダービーに勝ってしまいました。当時、アメリカでは実況放送でも表彰式でも、その発音しにくさに困ったと聞きます。キングジョージに二度勝った名牝ダリアDahlia(花のダリア。その父のヴェイグリー・ノーブルVaguely Noble「なんとなく高貴」というのも良いですね)の孫馬にフサイチシンイチという超ダサイ名をつけて、同馬主の馬が勝った日本ダービーで惨敗させたこともありました。競走馬がファンに愛され、馬名が血統書・成績書に長く保存されBlood Sportとしての本質を持つなどで、競馬が文化であることを忘れた所業といわざるをえません。 サラブレッドがThorough Bred純血の意味であり、十七、八世紀に遡ると、現存父系の祖牡馬が僅か三頭になってしまい、世界の全ての白い馬(芦毛)の祖も一頭の牡馬(オルコック・アラビアン。残念ながら、牡系としては断絶)に行き着きます。母系でも概ね二十数頭ほどになるというのですから、そこに血統書の完備と淘汰・育成の過程を見ることができます。しかも、世界の現役馬数万頭の90%ほどがたった一頭の馬、ダーレー・アラビアンに集約されるといいますから、これにはちょっと血の偏りを感じます。わが国でも、最近はとくにサンデーサイレンスSunday Silence 系の血が多くなりすぎているのでは、との懸念も感じます。馬が走らなければ話にならないことは当然として、いくら経済動物でも、生き物ですから血の偏向は崩壊の危機につながります。当然のことながら、アウトクロス(異系交配)が競走馬生産の本筋なのです。 古来、人間の歴史でもいわゆる高貴な血筋が衰えたり絶えたりした原因の一つに近親婚があげられます。北東アジアの騎馬(および半牧半農)の民族は同じ氏族内での婚姻をタブーとしていました。広くその流れを汲むわが皇室でも、記紀の記述はともかく、実態としては五世紀前葉の仁徳朝までは族内婚はなかったはずです。ところが、庶子的な地位から弟の皇太子(あるいは即位したか)を廃除して大王位を簒奪した大雀命(仁徳)が、自己の正統化のため異母妹で皇太子(宇治稚郎子皇子。即位した可能性もある)の同母妹(八田皇女)を皇后としてから族内婚姻が急増し、大王位を巡る争いも激化して、ひいては応神王統の衰弱に至ったという例もあります。 総じていえば、わが国民性には同じ方向にむけて行動が集中する悪癖があり、これが経済ではいまだ傷の癒えぬバブルの基となったこともあります。異質の要素を適宜尊重するなど、文化、学究でも政治でも、はたまた遊びでも、バランスのとれた健全なセンスが長い目で見てもっと必要ではなかったのか、と思わせることの多いこの頃です。知恵の樹の果実は、ほどよいペースで異種混合して食べるのが良いはずです。 (註)こう書いたところ、02年1月下旬に行われたUSA今年最初のGTレース(サンタモニカHという牝馬のレース)では、勝ち馬Kalookan Queenの父がLost CodeというCodexの仔(1984産、アーリントンクラシックの勝ち馬)でした。また、Lost Code の仔が先日、日本でも勝っていたことがあり、競馬の国際化を感じます。 このLost Codeは、2002年11月初め現在のアメリカのリーディング・サイアの順位では、242万ドル余獲得して第93位、今年の代表産駒には上記Kalookan Queen($560,640)がおりますが、既に2000年に死去しています。 Majestic Princeの子孫のケンタッキー・ダービー制覇 2010年のアメリカ競馬の祭典、ケンタッキー・ダービー(G1)が5月1日、チャーチルダウンズ競馬場で開催されましたが、泥んこ馬場を突き抜けてきたのが人気薄のSuper Saver(スーパーセイバー)であり、Majestic Princeの4代目の子孫(玄孫)にあたります。父はMaria's Mon(マライアズモン。1993生まれ)で、2歳牡馬チャンピオンであり、初年度産駒のMonarchos(モナーコス)がケンタッキーダービーを勝っていますが、このときも6番人気の低評価を覆したもの。総じて、アメリカ競馬の地味な血統で、既に2007年にMaria's Monは死んでいます。現時点では、Super Saverの上記勝利で、米リーディング・サイヤのトップに立っております。 (2010.5.4 掲上) (備考) サラブレッドはアラブ種やバルブ種の改良ですから、わが国古代や北東アジアの馬とは違います。わが皇室の出自が騎馬民族なのかという問題については、江上波夫氏の騎馬民族征服説が著名ですが、それがそのまま妥当しないのは多数の研究者が指摘するところです。といって、全面的に疑問というわけではなく、時代や民族系統を多少変更すればむしろ相当に妥当するものと考えられます。「皇国史観」とか「万世一系」とかいう語で「時代錯誤」と非難して終わるのではなく、冷静に多角度から検討を深める必要があります。だから、簡単に切り捨ててはならないということでもあります。 なお、この関係では、「騎馬民族は来なかったか?」という題で、『季刊/古代史の海』第23号に総論部分が掲載されており、このHP上にも掲載していますので、ご覧いただけたらと思います。 |