額田部連の祖先の系譜

(問い) 本HP掲載の『「天孫本紀」物部氏系譜の検討』の中で宝賀さんは、
 「@出雲色大臣の母が出雲色多利姫であり、A高屋阿波良姫から生まれた伊香色男の子孫に高屋連(『姓氏録』河内神別では伊己止足尼の後裔)があり、B額田毘道男命の子の新河小楯姫が生んだ子の穂積臣祖大水口宿祢の同族に額田臣(同、山城神別では伊香我色雄命の後裔)があり」
 と書かれていますが、このBにある「額田毘道男命」とは、古事記に出てくる「日名照額田毘道男伊許知邇神」と同一なのでしょうか?

 私の乏しい知識によれば、この神様はオオクニヌシの後裔ですから、天孫一族とされる三上祝家の系譜に登場するはずも無いと思われるのですが、それとも、何か明確な根拠がおありなのでしょうか?
 若し、そのような資料があるのでしたら、是非、教えてください。
 
 (「中原中也とダダイズム」藤田 典 様より、2010.6.15受け)
 

 (樹童からのお答え)

 物部一族の名前や姓氏が母系の者から来ていることの説明として、HP掲載の例をあげたわけですが、お尋ねのなかでのA及びBは近江の三上祝及び物部連に関係する系譜に見えるものです。
 ところで、三上祝の系譜は、太田亮博士『姓氏家系大辞典』のミカミ条にごく概略が記載されますが、鈴木真年翁関係の系図史料にはかなりの数が収録されています。それらは、近江の三上祝のみならず、長門の穴門国造、東国諸国造などの三上祝一族の系譜であり、かなり詳しく原型と思われる系譜を復元できますが、それでもまだ不十分なものがあります。これら関係系譜をとりあえず、当たってみたところですが、どこかに記載があったのではないかと思われるのですが、宝賀会長の編著『古代氏族系譜集成』の三上祝の系譜に見える形の記事、すなわち坂戸毘古の又名が「毘道男命」ということを記載の史料はまだ見つかっていません。
 
 2 それでは、「坂戸毘古=毘道男命」という関係についての是非ですが、次の諸事情からみて、妥当ではないかと思われます。
(1) 「毘道男命」が『古事記』の大国主神裔に見える「額田毘道男」にあたるのは、同神裔系譜には「額田毘道男」らしき「日名照額田毘道男伊許知邇神」の生んだ子に国忍富神をあげるからで、三上祝の系譜には、国忍富命の父に坂戸毘古命をあげる事情があります。
(2) 『古事記』に記載の大国主神の神裔の系譜は、疑問が大きく、神々のなかになぜか三上祝・額田部連の祖先の名も数名見られます。その者とは、(1)の二名のほか、鳥耳神・鳥鳴海神(これに、布忍富鳥鳴海神もそうか)もあげられます。大国主神は海神族の神であり、その子孫に額田部一族が出たとすることは疑問です。
(3) 穂積臣の同族に額田臣(『姓氏録』山城神別)がいたとみられますが、穂積臣の祖・大水口宿祢の母が新河小楯姫命で、この女性が坂戸毘古の娘にあげられる事情もあります。
 
3 額田部連の系譜は、『姓氏録』等の記事からは具体的に明確ではありませんが、鈴木真年関係の系図史料から、「坂戸毘古命−国忍富命−筑箪命−忍凝見命−建許呂命−筑波使主命−久等宿祢−美呂浪宿祢」という系譜であったことが知られます(詳細は『古代氏族系譜集成』参照のこと)。
 このうち、建許呂命は倭建命の陸奥遠征に従軍し、甲斐で「東国造」に任じられたと伝える者で、『常陸国風土記』にも見えます。同書には、筑波使主命がその後継とあり、「国造本紀」には茨城国造条に「筑紫刀祢」として応神朝に同国造に定められたと見えます。
 久等宿祢は『播磨国風土記』揖保郡広山里条に品太天皇(応神)に額田部連久等を派遣したと記されており、美呂浪宿祢が『姓氏録』左京神別の額田部湯坐連条の記事に允恭天皇御世に薩摩に隼人平定のため派遣され御馬一匹を献上したと見える者(欠名)に当たることは、「東国諸国造系図」(中田憲信編『諸系譜』第1冊所収)に見えます。同系図には、筑波使主命の兄弟で須恵国造の祖・大布日意弥命の子孫にも、額田部が出たとされます。

 要は、坂戸毘古は額田部連・額田部の祖先であり、「額田部」とは製鉄・鍛冶職掌部族であって、天孫族が管掌したものであって、坂戸毘古が額田毘道男という別称をもっていたことも肯けます。上記の名前に見える「凝、許呂」は、鉄塊の意味です。
 
  (2010.6.15 掲上) 



 <藤田様からの返信> 10.6.16
 早速、ご回答を頂き、有難うございます。
 大国主と「鳥」の組み合わせに違和感を感じていたのですが、額田氏との関連を見落としていました。
 大変参考になりました、自分なりに、また調べなおしてみます。
 

<樹童の感触>
 
 鳥関連の海神族の人名
○ご指摘に示唆されて、海神族系諸氏の神名・人名を見直してみました。具体的には、阿曇連、尾張連、津守連、倭国造と三輪氏族、それに皇孫系と仮冒している和邇氏族、吉備氏族、丹波(日下部)氏族、毛野氏族などの諸氏の系譜ですが、管見に入った限りでいうと、鳥名及び鳥関係の名前はごく少なく、その少数例をあげると、三輪氏族以外では鳥子臣(粟田臣祖)、蚊鳥(飯高君祖)、鴨別命(笠臣祖)、鳥人(角鹿国造)くらいであり、しかも「鳥」をもつ三名の漢字についてはあるいは「島」なのかもしれません。鴨別命は吉備の笠臣の祖とされますが、実は天孫族の鴨県主・三野前国造一族に出て、吉備臣氏の系譜に接合・仮冒された者とみています。
 三輪君については、大鴨積命(鴨君祖)、鳥乃枝別命(君祖)及び熊鷲乃直(神人部祖)、小鷦鷯君(三輪君)が見えますが、これは先祖に天孫族の鴨県主・葛城国造との頻繁な通婚がもとにあって生じたことが考えられ、葛城国造一族には直という姓氏も見えます。これら三輪君一族を除くと、海神族系統には鳥名及び鳥関係の名前はごく少ないといってよいと思われます。
 
○一方、天孫族系統には太陽神祭祀、天からの降臨伝承、鍛冶屋及び鳥トーテムが顕著であり、なかでも少彦名神は鳥・弓矢の神で、子孫に鳥取部連・羽鳥連(服部連)があります。当然、少彦名神の別名・天日鷲翔矢命に限らず、天白羽鳥命(神麻績連祖)、天夷鳥命・櫛甕鳥海命・鵜濡渟命(ともに出雲国造祖)、鳥鳴海命・速都鳥命・鳥耳命・意富鷲意弥命・鷹取(ともに三上祝・穴門国造一族)など、鳥の名前をもつ人名も多く出てくることになります。
 このように対比してみると、神名・人名もなかなか面白いですね。
 
 (2010.6.16 掲上)

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