古樹紀之房間
メール等の応答板関係のご連絡について 本HPを見て、ご意見・ご指摘・ご教示あるいはお問い合わせ等がありましたら、次のE-mail Address までご連絡下さい。メールの内容は、基本的にはHPに掲上・公開されることを前提にお記し下さい(系譜関係が近世・現代まで及ぶ場合には、ご連絡の記事がご本人及び関係者のプライバシー関係で問題がないかどうかを予め十分にご留意下さい)。 主宰者には応答能力に因ることはもちろん、多忙などで時間的な余裕も必ずしもないときもあるため、全てについてお答えはできませんが(とくに近世関係や個人の家のご先祖関係は資料が多すぎたり、逆にまったく無かったりで、対応困難な場合がかなりありそうです)、適宜取り上げて(この選択は樹堂にお任せ下さい)、この「掲示板・応答板」のほうで記述させていただきます。問題によっては、「とりあえずの感触」といった内容になることもあります。お答えなどのために問い合わせもせざるをえないときがあります。 なお、問題によって、かなり時間がかかることがあること、史料の制約等で、ものよっては不十分ならざるをえないことも、予めお断りさせていただきます。 新: daiko10wa@infoseek.jp 旧: shushen@mail.goo.ne.jp
携帯電話からご連絡いただくこともありますが、その場合に、当方からの連絡や問い合わせを受信拒否されるメール・アドレスでしないでください。そうした対応がままあるようであり、ご注意下さい。 |
応答版 ※このところ、新しいネット掲載はありませんが、お答えには適宜、メール応答をしているものもあります。久しぶりに、2021年9月になって、1件掲上しました。 |
樹堂が考えて作成する応答ですが、直ちにお応えできずに留保付きの考えも出てきますし、なかには筆者の勘違いや誤解等もあろうと思いますので、皆様のご指摘等を受けながら、また適宜考え直しながら、増補修正をしていきたいと思います。従って、ここでの掲示内容も、HPの他の部分同様、掲載時点の考えのもので、変更の余地あるものだとご理解下さい。この応答の結果、関係する分野や問題点の検討がさらに進むことができたら、嬉しいことです。 対象とする時代は、原則的には江戸時代初期くらいまでの時期と考えております(江戸前期以降の個別の家の歴史、人物の経歴については、ご子孫との関係でプライバシーの問題も生じる可能性がありますとともに、主宰者としても多少の例外を除き、ほとんど関心がありません。また、お答えの能力も多分にありません)。検討対象の地域については、原則として沖縄を除く日本国内としています。 オープンな場でフェアな責任ある応答であるよう留意して、運営していきたいと考えています(個別の応答は原則として考えておりません。ただ、ご質問の趣旨・典拠などを問い合わせたり、簡単な情報交換・連絡は適宜行います。また、HP掲載に際して、匿名希望の場合はハンドルネームを記載してください)。稀覯史料を踏まえての質問・指摘の場合には、出典・出所を併せてお示しいただけると、皆に便宜だと思われます。 なお、これまでの経験から考えて、フリー掲示板ではないことを改めて記載しておきます。プライベートな内容・部分については、十分配慮いたしますので、その旨、ご連絡いただければ、とも思いますが、原則的に公開することとしており、応答の全てについて非公開ということでは、お答えは致しかねます。記事の削除要請については、その内容に誤りがあったり、誹謗中傷と受け取られかねないものについては、ご連絡をうけて適宜対処しますが、たんに見解や立場が違うという理由だけでは応じかねます。 お問い合わせの内容によっては、当方からお問い合わせなどをさせていただき、そのうえで掲載する場合もあります。ときに質問者のメールアドレスが間違っている場合もあって、受信不能や受信拒否のメールアドレスも時にあり、返事や問い合わせができないこともありますので、ご留意ください。とくに携帯電話からのメールについては、上記の問題点もありますので、歓迎しませんし、発信の場合にはご注意下さい。 時間的な都合や能力、当方のPCのコンディション等の様々な事情から、回答が相当長い期間遅れたり、答えられないものもでてきますが、その辺はご寛恕下さい。 |
最近(09.9〜)の掲示・応答板の内容は、次のとおりです。 □ 安牟須比命、天手力男命の系譜 □ 山城の橘姓岩下氏 □ 三浦備前守と三浦大多和氏 □ 新羅王家朴氏の系図 □ 近江甲賀の頓宮氏 □ 肥前の内田氏について □ 安房里見氏について □ 霧島神宮 税所一族の川畑氏など □ 肥前の増田氏について □ 『皇胤志』の平家清盛一門の系図 □ 幕藩大名家保科氏 □ 土佐・若藤氏 □ 山名家重臣垣屋氏の系譜 □ 福岡藩主黒田氏の先祖の系譜別伝 □ 八橋茂左衛門とは何者か □ 土佐の一圓氏 □ 武田家重臣甘利氏について □ 巨勢氏の起源 □ 政所執事伊勢氏の系譜 □ 三浦甲斐六郎左衛門尉貞連について □ 熊本の飯富氏 □ 雀部という氏 □ 土佐の片岡氏 □ 薩摩の谷山氏 □ 武田信玄の家臣飯尾氏 □ 額田毘道男という者の系譜 □ 浅井系図について □ 上諏訪社大祝の神氏と下諏訪社武居祝 □ 永井直勝の先祖 □ 三菱財閥の岩崎家の系譜 □ 吉良一族を称する吉川氏 □ 浅野長政の実家・尾張安井氏 □ 六角氏重臣の平井加賀守定武の本貫地と出自 □ 備前児島の中西氏 □ 三河物部と平岩氏 □ 西尾吉次の遠祖 □ 畑時能の系譜 附. 伊地知氏の初期系譜 □ 武家華族脇坂氏の遠祖 □ 物部守屋の諸子 □ 平子氏の系譜 □ 大鹿首の祖「若子命」 ※ 過去の掲示・応答板の総目次 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
□ 安牟須比命、天手力男命の系譜
(樹堂からのお答え) お問い合わせの諸神は、私が「山祇族」と呼ぶ種族、諸氏族の祖系に位置する神々ですが、たしかに難しい問題を含んでおり、現段階での一応の考え方、試案を「安牟須比命、天手力男命の系譜─山祇族の遠祖神」という頁に整理し、記述しましたので、ご覧下さい。 かなりの推論を含む試論なのですが、この辺はご寛恕ください。 (2021.09.20掲上) □ 山城の橘姓岩下氏
(樹堂からのお答え) 実にマイナーな苗字ですが、私どもとしても、二十年以上にもわたって懸案としていた『古代氏族系譜集成』の追補にも関係するので、この際だと思って調べ直し、一応の試案を「山城の橘姓岩下氏」に整理しましたので、ご覧下さい。 といっても、鎌倉・室町の両期はほとんど落ちるのですが、その間に多少の動向を示唆する史料もあるということで、かなりの推論を含む試論なのですが。 (2015.4.23掲上) □ 三浦備前守と三浦大多和氏
(樹堂からのお答え) 三浦氏の諸流は大族だけに多くありますが、本宗家と会津芦名一族、越後の三浦和田一族の系図が主に知られるくらいで、大多和系統の室町時代の動向はよく分かりません。可能性をいろいろ当たってみたところを「三浦大多和氏とその系図」で書いてみましたのでご覧下さい。 (2015.4.12掲上) □ 新羅王家朴氏の系図
(樹堂からのお答え) 新羅など朝鮮半島の王家関係者の系図は、いろいろ疑問があるのが多く、当の韓国には古い系図はまったく残らず、明治期の鈴木真年も、どこから収集してきたか分からない系図を何本か、その著作集のなかに所載していますが、いくつも矛盾する内容があり、真偽を判断しがたい実情にあります。このため、十分なお答えにはなりませんが、「新羅王家朴氏の系図」に現段階の試案を書きましたので、ご覧下さい。 (2015.4.10掲上) □ 近江甲賀の頓宮氏
(樹堂からのお答え) 頓宮氏は『姓氏家系大辞典』には「ハヤミ」条に記事がありますが、具体的な出自の記事がなく、検討困難な氏です。ご指摘のように、周防の内藤氏から出て、甲賀や吉備に分かれたもののようです。内藤氏の系図には、頓宮氏の分岐が記載されますが、ご指摘などを踏まえて、改めて考え直し、頓宮氏と内藤氏との関係などについても検討した結果を、試論として「頓宮氏と内藤氏」で掲載しましたので、ご覧下さい。 近江との関係を考えることで、難解であった周防の内藤氏の出自についても手がかりが得られたことで、感謝します。 (2015.4.6 掲上) □ 肥前の内田氏について
(樹堂からのお答え) 全国には内田の苗字が多く、地域や系統別に考えていく必要があります。お問い合わせについては詳しくは答えることはできませんが、一応の取りまとめとして 肥前の内田氏 をご覧下さい。 (2013.2.14 掲上) □ 安房里見氏について
(樹堂からのお答え) たしかに安房里見氏については、その初期段階に史料欠如で確認できないことが多いと指摘されていますが、その周辺の一族・諸氏などから見ていくと、なんとか足跡が辿れそうでもあります。現段階で管見に入った史料等を基に、とりあえず一応の見解を試案として示してみましたので、 安房里見氏の系図問題 をご覧下さい。 (2013.2.5 掲上) □ 霧島神宮 税所一族の川畑氏など
(樹堂からのお答え) 1 税所一族の川畑氏については、重久氏の一族で川畑左近将監までの系図がありますので、 大隅の税所一族の川畑氏 をご覧下さい。 2 木幡栄周については、幕末期の儒学者で明道館初代学頭という記事は見ましたが、それ以上は分かりません。『鹿児島県姓氏家系大辞典』(角川日本姓氏歴史人物大辞典)が角川書店から刊行されており、大きな図書館にはおいてあると思われますので、同書を当たってみてはいかがでしょうか。 (2013.1.7 掲上) □ 肥前の増田氏について
(樹堂からのお答え)
肥前の大族高木氏の一族に益田氏がありますが、これと同じではないかと思われますが、その系譜関係は不明なことが多く、とりあえず、当方が分かる範囲で 肥前の益田氏の系譜 という記事を書いてみました。多少とも参考になると幸いです。
(2012.11.4 掲上) □ 『皇胤志』の平家清盛一門の系図
(樹堂からのお答え) 『皇胤志』は、皇族系図としては内容は豊富で、比較的に見て優れたものですが、清盛一門については、落人伝承もかなり書き込まれるなど、疑問な個所もかなりあり、十分な吟味を要します。詳しくは 平清盛一門の関係者 をご覧下さい。 (2012.9.7 掲上) □ 幕藩大名家保科氏
(樹堂からのお答え) 幕藩大名につながる保科氏の系譜については、十五世紀中葉より前の歴代は不明としかいいようがないほど、諸伝が混乱していますが、管見に入ったところを一応の整理してみましたので、幕藩大名家保科氏の戦国後期の系図 をご覧下さい。 (2012.7.18 掲上) □ 土佐・若藤氏
(樹堂からのお答え) 若藤は現在、愛媛県に多い苗字とされ、幕臣にも若藤氏があって『寛政重脩諸家譜』には源氏であげられますが、その系譜は必ずしもはっきりしません。いま、管見に入ったところをとりあえず記しますと、常陸の佐竹一族の出とされており、次の 土佐・若藤氏 についての記事になりますので、これをご覧下さい。 (2012.7.16 掲上) □ 山名家重臣垣屋氏の系譜
(樹童からのお答え) 垣屋氏の系譜はかなり難解で、『姓氏家系大辞典』にも桓武平氏としながら、その出自の具体的な記載がありません。一方、インターネット上では、坂東平氏の土屋氏の一族などという形で記事がありますので、ご参考になるのではないかと思われます。一応、とりあえずの形でまとめて整理してみましたので、
垣屋氏の先祖と一族系譜 をご覧下さい。
(2011.11.4 掲上)□ 福岡藩主黒田氏の先祖の系譜別伝
(樹童からのお答え) 福岡藩主黒田氏の祖系は難解ですが、お問い合わせは、多可郡黒田村の荘厳寺に伝わる黒田氏の系図をどう評価するかということだと思われます。とりあえずの試論を記しましたので、 荘厳寺本「黒田家略系図」についての試論 をご覧下さい。
(2011.9.8 掲上)
□ 八橋茂左衛門とは何者か
(樹童からのお答え) 浄教寺から出て家康家臣となった八橋茂左衛門については、史料に乏しく、明確なことはいえませんが、一応の推測的なものを 浄教寺出の八橋茂左衛門の素性 として試案的に記してみましたので、ご覧下さい。
(2011.9.3掲上) □ 土佐の一圓氏
(樹童からのお答え)
土佐の一圓氏は著名ですが、その系譜は殆ど知られません。貴家の家伝にいうように、黒岩氏の一族であれば、黒岩氏の関係を調べれば何らかの手がかりになるかもしれないので、この辺は 土佐の黒岩・一圓氏 をご覧下さい。
(2011.8.5掲上) □ 武田家重臣甘利氏について
(樹童からのお答え) たしかに甘利氏の歴代についての系図が見当たらないようですが、私の古いメモのなかに手がかりがあり、お答えできることが分かりました。次の 甲斐武田氏一族の甘利氏 をご覧ください。
(2011.8.4掲上) □ 巨勢氏の起源
(樹童からのお答え) 巨勢氏は武内宿祢後裔諸氏のなかにあげられますが、その出自・系譜は難解です。一応、現段階の感触的なものを 巨勢氏の起源と系譜 にあげてみましたので、ご覧下さい。 (2011.4.2掲上)
□ 政所執事伊勢氏の系譜
(樹童からのお答え)
政所執事伊勢氏の先祖の系譜について、史料が乏しいため、難解な面が多く、先に伊勢三郎義盛に関連して桓武平氏ではない疑いを記述したところですが、最近分かってきたことも含めて 伊勢俊継とその一族 に追加補訂的に記してみましたので、なんらかのご参考になりましたら、幸いです。
(2011.1.10 掲上) □ 三浦甲斐六郎左衛門尉貞連について
(樹童からのお答え) ご指摘のように、三浦一族ではほぼ同時代と思われる位置に「貞連」を名乗る者が四名も見えますので、たいへん混乱を感じます。これらを整理する端的な史料に乏しいため、確定した考えとしては示せませんが、現段階の一応の答を提示して、今後の整理に向けての一助にしたいと考え、三浦貞連の位置づけ を試案的に整理してみましたので、ご覧下さい。 (2010.12.29 掲上) □ 熊本の飯富氏
(樹童からのお答え) ご先祖が武田家臣の飯富氏とのことですが、信玄の頃の飯富兵部虎昌が著名なわりに、この氏の系譜はほとんど伝わらず、今の段階で分かった範囲で、甲斐の飯富氏とその一族 ということで記してみました。
(2010.12.4 掲上) □ 雀部という氏
(樹童からのお答え) 雀部は、仁徳天皇(大雀命)の御名代で、全国的に多く分布しますので、一概に言えないのですが、その伴造は雀部臣、後に雀部朝臣という姓氏ともち、武内宿祢の後裔氏族と称していました。その戦国期・江戸期までの動向は、よく分からない面が多いのですが、とりあえず整理したものとして 雀部氏の動向 をご覧下さい。 (2010.9.2 掲上) □ 土佐の片岡氏
(樹童からのお答え)
土佐の片岡氏は、戦国期に土佐西部の高岡郡を中心に勢力をもった名族ですが、その系譜は宇多源氏、醍醐源氏等々で混乱しています。詳しくは、土佐の片岡一族 をご覧下さい。
(2010.8.16 掲上) □ 薩摩の谷山氏
(樹童からのお答え) 薩摩の谷山氏は薩摩南部に繁衍した薩摩平氏(伊作平氏)のなかでも名門で、南北朝期には谷山隆信が懐良親王を迎えて大活躍しました。その後は低迷しましたが、薩摩藩士に残りました。詳しくは、薩摩の谷山氏とその一族 をご覧下さい。
(2010.8.2掲上)
□ 武田信玄の家臣飯尾氏
(樹童からのお答え) 飯尾氏は各地に諸流あり、阿波の三善氏流飯尾氏が著名ですが、これも含め具体的な系図がよく分かりません。戦国時代の甲斐の武田家に飯尾氏が見えますが、三善氏流とは別流のようです。詳しくは、飯尾氏の諸流 をご覧下さい。 (2010.8.1 掲上) □ 額田毘道男という者の系譜
(樹童からのお答え) 『古事記』に記載の大国主神の神裔の系譜は、疑問や混乱が大きく、神々のなかになぜか三上祝・額田部連の祖先神の名も数名見られます。詳しくは、額田部連の祖先の系譜 をご覧下さい。 (10.6.15 掲上) □ 浅井系図について
(樹童からのお答え) 江北の浅井氏の系図は様々な混乱が多く見られ、鈴木真年翁採録の系図といえども、疑問なものがあります。佐々木氏関係でも、偽作者が関与した捏造部分があります、信頼できそうな各種史料をもとに総合的に考えていくことが必要です。本問の詳しい応答は、浅井三代の系譜 をご覧下さい。 (10.5.9 掲上) □ 上諏訪社大祝の神氏と下諏訪社武居祝
(樹童からのお答え) 諏訪社の奉斎は、古来、三輪一族の諏訪氏(神氏、神人部宿祢氏)が主体ですが、多氏族系の科野国造一族も奉斎に関与しており、そのなかで系譜的にも多くの混淆・通婚・養猶子があったようで、このため、ご質問に対するお答えはきわめて難解ですっきりと答えにくい面がありますが、現段階での一応のお答えを 諏訪社の奉斎氏族 で記してみましたので、ご覧ください。 (10.1.27 掲上) □ 永井直勝の先祖
(樹童からのお答え)
永井直勝の家系は平良兼流の尾張国知多郡の長田忠致の族裔とされることが多いのですが、こうした家系が実際につながっているか疑問もあり、かつ、大江姓那波氏や三河大橋氏からの養嗣も入ったと伝えて、きわめて複雑です。詳しくは 永井直勝の家系 をご覧下さい。 □ 三菱財閥の岩崎家の系譜
(樹童からのお答え) ご質問を受けて調べてみましたら、岩崎家の系図について検討のうえできちんとした見解を示したものが、確かに見当たりません。どの書でも、家伝で甲斐の武田一族岩崎氏の流れというだけです。これでは、系図分析にはならないので、いま検討した結果を試論として 三菱財閥の岩崎家の祖先 を記してみました。 結論を先にいいますと、清和源氏とは無関係であって、おそらく四国古族の流れで、阿波山奥の祖谷山に居住した菅生一族の流れが岩崎弥太郎の先祖だと思われます。
(09.11.23 掲上)
□ 吉良一族を称する吉川氏
(樹童からのお答え)
吉川(吉河)という苗字は全国に広く分布するので、その起源の地とともに姓氏・由来を考えていく必要があります。吉良一族の吉川氏は三河に起こった氏で、武蔵とは無関係です。詳しくは、 吉良一族という吉川氏 をご覧下さい。 (09.10.23 掲上) □ 浅野長政の実家・尾張安井氏
(樹童からのお答え) いろいろ当たってみましたが、浅野長政の実父系は祖父(それも通称くらい)までにとどまり、それより先は不明というのがほぼ確かなところのようです。とすると、清和源氏の甲斐源氏支流というのはまず疑問だと思われます。この辺について、管見に入ったところなどを整理して 浅野長政の実父系・安井氏 を書いてみましたので、ご覧下さい。 (09.10.16 掲上) □ 六角氏重臣の平井加賀守定武の本貫地と出自
(樹童からのお答え) 平井氏は全国各地にありますが、近江についていえば平井(平居)という地は三、四個所あり、それらの地に平井氏があったようです。浅井長政の最初の妻の父、平井定武の系譜は不明ですが、佐々木一族の初期分岐である愛智氏の流れを汲むものとされるようです。詳しくは 平井加賀守定武の系譜 をご覧下さい。 □ 備前児島の中西氏
(樹童からのお答え)
児島高徳の一族として活動が見える備前の中西氏について、その系譜は難解ですが、明治の鈴木真年は今木連説をとっています。この説の是非も含めて関連するところを、児島高徳と今木一族中西氏 ということで、試案として記述してみましたので、ご覧下さい。 □ 三河物部と平岩氏
(樹童からのお答え) 三河には三河国造一族とみられる物部氏がおりますが、これと同一系統なのか別系統なのかが不明な弓削氏を名乗る一派が中世の三河にあり、家康の忠臣・平岩親吉につながっています。この関係では、系譜に不明な点がいろいろあって、あまり詳しくはないのですが、 平岩親吉をめぐる系譜 という形で整理してみましたので、これをご覧下さい。
(09.9.26 掲上) □ 西尾吉次の遠祖
(樹童からのお答え)
西尾吉次家の系譜は、同じ西尾を苗字とする江戸初期の大名家の西尾光教家の系譜と同様にきわめて難解です。これらについては、納得のいくお答えからは遠いのですが、今後の検討点の提示という意味も兼ねて、現段階で分かることを 幕藩大名西尾二家の系譜 というテーマで記してみましたので、ご覧下さい。 (09.9.24 掲上) □ 畑時能の系譜
(樹童からのお答え)
畑時能は新田義貞に従い越前に行き、そこの伊知地の地で奮戦して討死しますが、もともと武蔵の人であり、畠山重忠の子孫でも薩隅の伊地知氏支流でもありません。詳しくは 畑時能の系譜 をご覧下さい。 (09.9.23 掲上)
□ 武家華族脇坂氏の遠祖
(樹童からのお答え) 幕藩大名家脇坂氏の系譜はかなり複雑であり、養猶子関係が複雑に絡み合っていて、端的には言いがたいのですが、「脇坂氏」という父系の流れは、江北に古来あった物部系浅井一族支流とするのが妥当とみられます。詳しくは、 幕藩大名脇坂氏の祖先系譜 をご覧下さい。 (09.9.17 掲上)
□ 物部守屋の諸子
(樹童からのお答え) 物部守屋大連の子孫については、史料には明確に見えず、僧道鏡がそうだと伝えたり、各地の守屋氏などがあげられ、出羽国仙北郡の唐松神社の物部氏の家伝でもそのように伝えますが、多くは疑問なものです。詳しくは、 物部守屋大連の子孫 をご覧下さい。
□ 平子氏の系譜
(樹童からのお答え)
平子氏は、本来は三浦氏の初期分岐支族ですが、小野姓横山党とも養猶子関係があったようで、系譜はかなり複雑です。詳細は、 平子氏の系譜 をご覧下さい。 (09.9.5 掲載) □ 大鹿首の祖「若子命」
(樹童からのお答え) 中臣連一族・大鹿首等の祖とされる若子命については、ほかに情報がありませんが、度会神主の祖と伝える「大若子命=大幡主」とは活動年代も異なり、別人と考えられます。詳しくは、 「若子命」と大幡主との関係 をご覧下さい。 (09.9.2 掲載) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前々々々の掲示板(03.4〜04.2)へ 前々々々々の掲示板(02.2〜03.4)へ |
ホームへ ようこそへ戻る 古代史トップへ 系譜部トップへ |