□ 坂上田村麿後裔の系譜
(樹童からのお答え) 『尊卑分脈』には坂上氏の系図が掲載されますが、これは極めて簡単なもので、田村丸(ママ)の前後各二代、すなわち祖父犬養から孫の当道までの合計五世代で、ほぼ直系だけの系図です。そこには、石川氏が見えず、孫の当道に陸奥守従五上と記されるだけです。従って、お問い合わせの系図は、『群書類従』(詳しくは『続群書類従』系図部八〇)に所収の「坂上系図」のことと推されます。 こちらには、坂上田村麿の甥・光真に「字石河太郎」と見えますが、この石河氏については、 陸奥・坂東の坂上氏 をご覧下さい。
(04.2.29 掲載)□ 陸奥国三戸郡の島守氏
(樹童からのお答え) 島守安芸については、九戸の乱で九戸方について滅亡したくらいの知識しかなく、とりあえず、調べたところを 島守氏と南部一族 という整理をしましたので、ご覧下さい。結論的にいえば、同じ島守(嶋森)氏でも、流れの異なる二氏があったようで、これを混同するのは疑問だと思われます。 (04.2.15 掲載) |
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□ 平姓秩父一族と丹党の関係
(樹童からのお答え) 結論からいえば、お考えのとおりだと考えられます。
平安後期に坂東八平氏といわれた武蔵相模の平氏を名乗る一族は、村岡五郎良文の後裔と称しましたが、仔細に検討してみるとそれぞれに系譜仮冒がみられ、みな坂東古族の末裔と考えざるをえません。こうした系譜仮冒は武蔵七党と呼ばれた武士団についても同様であり、居住地域、命名法、神祇、民俗などを考えていくと、平姓秩父一族は実は知々父国造末流と考えるのが妥当です。丹党も、男系が異なる場合でも、平姓秩父一族と密接な関係があったものとみられます。
(04.2.7 掲載)詳しくは、 平姓秩父一族と丹党 をご覧下さい。 これに関連して、次のご質問があります。
(樹童からのお答え) 結論的にいえば、平姓秩父氏の祖将恒が一般に流布する系図よりも一世代繰り上げられ十世紀後半に活動した人物であるとすると、将恒からその子孫となる畠山重忠や稲毛重成までの世代の数が繰上げ分だけ少なくなるのは、ご指摘の通りです。 これに対する説明は、かなり長くなりますので、 平姓秩父氏の系譜 をご覧下さい。 (04.2.16 掲載) |
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□ 日本サッカーの功労者の姓(竹腰、日名子)
(樹童からのお答え)
1 竹腰重丸氏(1980年没、享年74歳)については、遙か遠い学生時に体育の授業でサッカーの実技指導を受けたことがありますが、その当時はそんな偉い先生(昭和期の日本サッカーの技術をリードした大先達といわれる)とは知らずにおりました。いまその昔を思い出しながら、この文を整理しています。書き出せば長くなりましたので、 美濃の竹腰氏とその系譜 をご覧下さい。
2 日名子実三氏に関してこの関係を調べたところ、興味深い事情が分かってきましたので、これも現段階の考えをまとめてみました。これも別紙記載の 豊後の日名子一族 をご覧下さい。
(03.12.29 掲載) |
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□ 碓井貞光とその後裔
(樹童からのお答え) 頼光四天王にあげられる碓井貞光については、実在の人物とみてよいと思われますが、不明なことが多く、その出身地についても相模説や上野国碓氷峠付近説などあり、その姓氏も橘姓といったり、平姓といったりします。そのため、現存史料からみてとりあえず整理したものを 碓井貞光の後裔と溝井氏(附.相模三浦氏の出自) で試みましたので、ご覧下さい。 (03.12.7 掲載) |
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□ 相模国愛甲郡と信濃国水内郡の飯山氏
(樹童からのお答え) 飯山は全国にあまり多く見える苗字ではなく、『姓氏家系大辞典』では二つあげて、第一に相模国愛甲郡飯山邑より起るもので源姓、第二に清和源氏伊那氏流で信濃国水内郡飯山より起るもので泉氏の一族なりと、記しています。 お尋ねは、この第一の飯山氏についてと思われますが、太田亮博士の記述にはやや疑問な点もあり、その問題も含めて次の 相州愛甲郡の鋳物師と飯山氏 をご覧下さい。 (03.12.7 掲載) |
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□ 駿河の仁杉氏
(樹童からのお答え) 貴HPを拝見しましたが、様々な角度からたいへん丁寧に調べられておられ、感服しました。そのため、あまり参考になることは提示できませんが、貴HPのご紹介も兼ねて、 駿河の仁杉氏とその一族 に私のとりあえずの感触を記すことにします。 (03.11.27 掲載) |
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□ 美濃の河田氏の系譜
(樹童からのお答え)
これまでの系図研究のなかでは、美濃の河田氏について管見に入った系図はありません。そこでご質問の伊予大洲藩にあって日置流弓道を師範した河田助右衛門貞高の出自を中心に調べてみますと、いろいろ興味深いことも分かってきましたので、その辺の事情を 美濃の河田氏と川並衆 という題で試案的に書いてみました。かなり長くなりましたので、この別紙をご覧下さい。
(03.11.15 掲載) |
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□ 奥州菊池氏の成り立ち
(樹童からのお答え) 奥州の菊池(菊地)氏については、これまで考えたことはありませんが、問い合わせを受けて考えてみました。その結果を試論的に示しましたので、 奥州の菊池氏の起源 をご覧下さい。 (03.11.9 掲載) |
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□ 志布志の救仁郷氏
(樹童からのお答え) 大隅半島の付け根に当たる志布志一帯で中世に活動した救仁郷氏については、伴姓とも源姓渋川一族とも伝えますが、その系譜はかなり複雑です。史料は乏しいのですが、一応、 志布志の救仁郷氏の系譜 として整理しましたので、ご覧下さい。 (03.10.2 掲載) |
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□ 西美濃の武将の系譜
(樹童からのお答え) ご教示等、ありがとうございます。問題がかなり難しいので、いずれも現段階の試案的なものしか示せませんが、検討の叩き台としてお考え下さい。西美濃の武将の系譜 に、ご見解とともに当方の見解をあげましたので、ご覧下さい。 (03.9.27 掲載) 追加掲上分には、美濃池田氏と摂津池田氏 の関係についても触れています。 (03.9.30 掲載) 関連して、ktak様より次の寄稿がありましたので、併せてご覧下さい。 山内氏と安東氏 |
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□ 上杉氏の本宗
(樹童からのお答え) 長尾氏に関連して、この問題に及び、川部様との応答が長くなりましたので、独立させました。あまり決め手になる判断指標がなく、その意味で難解ですが、詳しくは 上杉一族の本宗 をご覧下さい。 (03.7.19 掲載) |
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□ 謙信以前の平姓長尾氏の系譜
(樹童からのお答え) 関東の平姓長尾氏の系図も混乱が多く、現在に伝わる系図はいずれも多々問題がありますが、現段階で整理を試みたものを 平姓長尾氏の系譜 として記しましたので、ご覧下さい。ここでは、かって考えた案を再考のうえ変更しておりますので、この系図がいかに難解かはご理解いただけると思われます。 (03.6.30 掲載) さらに、長尾氏一族の系譜について問い合わせがあり(03.10.7受け)、こちらは 長尾氏の一族諸氏 をご覧下さい。 (03.10.13掲載) |
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□ 薩摩の田中氏と関係氏族
(樹童からのお答え) 田中氏は、姓氏としても苗字としても全国に広くかつ多数が見られており、居住地域・所伝などの要素を踏まえて検討する必要があります。薩摩では古代末期までは田中氏の存在が知られませんが、中世でも南北朝期以降には伊作平氏の一族などと共に活動が見えますので、貴殿が収集した資料も併せ考えて、 薩摩の田中氏とその同族 に整理しましたので、ご覧下さい (03.6.14 掲載) |
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□満政流の美濃尾張源氏
(樹童からのお答え) 折戸六郎重行は、他の史料・軍記物や系図に見えない人物なので、端的な判断はできませんが、おそらくその蓋然性が高いように思われます。詳しくは、 折戸六郎重行と美濃・尾張源氏の山田一族 をご覧下さい。 (03.5.17 掲載) |
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□ 讃岐の香川氏
(樹童からのお答え) この香川氏については、非常に難解でありますが、その系譜等について、一応の試案的なものを考えてみましたので、 讃岐の香川氏の系譜 をご覧下さい。 (03.4.27 掲載) また、川部正武様との応答を記した (香川氏の系図、関連して安富氏) もご覧下さい。 (03.5.3 掲載) |
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