□ 中臣氏族の遠祖と武甕槌神 (問い) 神話上、大国主命の国譲りの場面で、派遣され、建御名方命を降伏させた神。剣神、雷神とされる神話上の武甕槌神とは誰に比定されますか? 中臣氏奉斎の実際には山祇族、神話上の役割からいくと、経津主と同一神とされる点、やはり天目一箇命の事を指している可能性もあるのでしょうか?
なぜ剣神、雷神として武の神の主役なのか?
謎のミカヅチ神の見解を提示願います。
(鬼太郎様より、07.11.14受け)
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(樹童からのお答え) 1 現在に伝わる中臣氏の系図では、天児屋根命の祖先は抽象的な神名で三代あげられ、これら遠祖神の実体が不明となっております。天御中主神から始まるような神統譜の部分を別にすれば、多くはその三代が「津速魂命−市千魂命−興台産霊命(興登魂命)、その子が天児屋根命」(『旧事本紀』神代本紀)とされます。その一方、中臣氏のこうした祖先系譜に見えない武甕槌神を鹿島神として、中臣連及び藤原朝臣の一族が春日神社・吉田神社などで奉斎する主要な神としている事情にあって、ここに大きな混乱が生じています。藤原氏の氏神春日社では、鹿島神は第一殿で、根本神として奉斎されてきました。
結論を先にいえば、年代対比と祖先神信仰などから考えて、武甕槌神は天児屋根命の父(興台産霊命と同神)におくのが妥当だとみられます。そして、『神道大辞典』もいうように、「武甕槌神と経津主神とは同神とする説があるが、なほ別々の二神の名と見る方が妥当であらう」ということであり、剣神たる経津主神(天目一箇命)は雷神たる武甕槌神とは違うということでもあります。『旧事本紀』の陰陽本紀では、武甕槌神を石上布都大神として両神を混同している事情にありますが。 なお、経津主神は香取神宮の神であり、春日社では斎主神として祭られても、これは国譲り交渉の際の縁由からきたもので、主に物部一族が奉斎した神です。
2 『尊卑分脈』藤原氏系図では天児屋根命から始めて、「本系帳に云う、興台産霊命が王主命の許登能床遅媛命(下線部分には誤脱漏があり、正しくは「玉主命の女、許登能麻遅媛命」か)を娶り生む所」の者が天児屋根命だと記されます。男神の興台産霊(コゴトムスビ)と女神の許登能麻遅(コトノマチ)とは「言(コト・コゴト)」を共通にしており、対応します。かつ、両神は天香山に鎮座する櫛真知命(クシマチ。クシは「奇なること、霊異」で、マチは太兆〔ふとまに〕)にも通じますが、この神は名前のとおり卜占の神ですから(永留久恵氏も同旨)、中臣氏の祖神にふさわしいことが分かります。天辞代命(コトシロ)も対馬の太祝詞神も同じ神です。
また、物部氏の祖・饒速日命の母は天香語山神の娘といわれ、これが『亀井家譜』には武乳速命の娘と記されますから、「天香語山神=武乳速命」ということになります。武乳速命は「津速魂命の男武乳速命」であって、中臣連一族の添県主の祖と『姓氏録』大和神別に見えますから、武甕槌神や興台産霊に相当する神です。 天の香具山(香山、香久山、香語山)と祭祀卜占との関係は、『書紀』には三個所(神代巻、神武紀、崇神紀)、同山の霊力・呪力ある埴土などで見えており、天の香具山は「大和朝廷の祭祀を担当した中臣氏に関連の深い山で、同氏の居地がこの山の付近であったと推定されている」と『奈良県の地名』でも記されます。香具山の畝尾に鎮座した健土安(たけはにやす)の神とは、武埴土の意であって、武神と卜占神を併せて表していることに留意されます。現在、健土安神社の祭神は女神の健土安比売とされますが、この女神がカグツチの妻神でない場合には、疑問もあります。
3 一方、タケミカヅチについては、
(1)ふつうには「武+御雷」で、猛々しい雷神の意と解されます。山祇族には火神・陸蛇(竜、オカミ)・雷に縁由が深く、紀伊国造の系譜に見るように、火神カグツチ(迦具土)を始祖として、火雷神(鳴雷神、霹靂神、高オカミ神)、九頭竜神と続きますが、九頭竜神とは天の岩戸開きで著名な天手力男命であり、この別名が天石戸別安国玉主命、すなわち中臣氏系譜に見える「玉主命」に当たります。
火神迦具土は火産霊神(ホムスビ)ともいい、火之夜芸速男神(夜芸〔ヤギ〕は焼くの義だと『神道大辞典』はいう)からは山祇族の焼畑農業などに通じそうですが、「迦具土」は卜占に用いられる香具山の埴土を端的に表すものといえます。この神が中臣氏の始祖にかかげる津速魂命に当たりますが(平田篤胤に同旨)、「速魂・速男」は進行速度の速さから雷神、さらには雷に発する火神に当たるものかと思われます。
山祇族諸氏の名前は『丹生祝氏本系帳』に見えて、始祖天魂命の子の高御魂命が大伴氏の祖、その弟の血速魂命が中臣氏の祖、次の安魂命が門部連等(註:久米氏)の祖、次の神魂命が紀伊氏の祖と記されますが、大伴・久米・紀伊の諸氏の分岐は実際にはもう少し後ですから、「高御魂命=安魂命=神魂命」と把握されます。血速魂命は市千魂命に通じる神で、やはり雷神とみられます。『古事記』にはタケミカヅチの父を伊都之尾羽張神(『書紀』では稜威雄走神と表記。市と伊都は通じる)としますが、やはり雷神でしょう。
天児屋根命か武甕槌神かの別名とみられる速経和気命(『常陸国風土記』に見えて中臣鹿島連の祖・片岡大連が奉斎したと伝える)も雷神に通じます。これらの事情があるのだから、その子孫となる中臣氏の系図にも端的に雷大臣命が見えますが、この者は仲哀・神功皇后紀の中臣烏賊津使主(イカツオミ)にあたります。その五代祖先にも伊賀津臣命の名が見えますが、ともに「雷」を名前にしています。 (2)
タケミカヅチを武甕槌神と書くと、卜占にもつながります。鹿島には「斎瓮(いわいへ。祭祀に用いる甕のこと)」の伝承が多いとされます。長旅に出立する際に無事を祈って鹿島神の加護を求める習俗を「鹿島立ち」といいますが、そのときに斎瓮を据えました。この関係の歌が万葉集に五首も見えます。古い神人の伝えには、鹿島の海底に大甕があって、これは鹿島明神の祖先を祭る壺であって、鹿島第一の神宝として世々これを「甕速日」というともあります(『神日本』第三巻第六号)。『古語拾遺』には「武甕槌神は甕速日神の子」とありますから、甕速日神は市千魂命にあたることになります。
また、神武軍が香具山の埴土で斎瓮(天平瓮)を造って天神地祇を祭ったことは神武紀に見えます。吉井巌氏は、甕は神の依り代なる聖器だとみています(『天皇の系譜と神話・二』)。鹿島神には甕神・蛇神という性格があると大和岩雄氏が指摘しています。
このように見ていくと、神祇・卜占を職掌とする中臣氏の性格には、別の側面で荒々しい雷神という山祇族の伝統の性格も併せてあって、遠祖の興台産霊命という名が前者を、武甕槌神や武乳速命という名が後者ないし両者を表すものと考えられます。こうした諸事情から、最初にあげた結論が導かれるものです。
(07.12.21 掲上)
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