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国際私法と隣接法分野の研究・続編

奥田安弘〔著〕

Study on PIL and Neighboring Fields, Vol. II
by Yasuhiro OKUDA

出版元:中央大学出版部
発行年月: 20221014
ページ数 : 380
版型: A5
ISBN: 978-4-8057-0828-6
価格: ¥4,500+税


筆者による解題

体験その1〕〔体験その2〕〔体験その3〕〔今回の論文集〕〔補足1:アタッチメント〕〔補足2:国際養子縁組〕【補足3:チェブラーシカ

体験その1

「論文集」と聞いたら、単なる既発表論文の寄せ集め、と思う人は多いであろう。たしかに私の学生時代に出版された論文集は、そのようなものが多かった。当時は、良くいえば、論文の作法が確立しており、いつも決まったスタイルで書くので、本として出版するからといって、修正する箇所が見当たらなかったのであろう。あるいは、電子データがなく、初出論文の抜刷を出版社に渡して、校正ゲラが初出論文どおりであるかどうかをチェックするだけで、精一杯であったのかもしれない。

ところが、私が最初の論文集『国際取引法の理論』を出版する際には、事情が異なっていた。その頃は、厳しい出版不況のなか、主要大学の法学部叢書の出版を引き受けていた大手出版社がこれを見直す方針を打ち出し、当時在籍していた北海道大学でも、「直接経費を捻出するため、企業からの献金を集めるから、法学部叢書は一時停止する」と言われてしまった。

幸い科研費の出版助成が得られ、かつ同僚教授が某財団の補助金申請を世話してくれたお蔭で、法学部叢書ではない通常の単行本として出版する目途が立ち、ワープロ専用機で入力したフロッピーを出版社に渡したが、出版不況のプレッシャーや経験不足から、専門家以外の読者にも分かりやすくしたいと思い込んでしまった。その結果、国際私法の入門書のような記述になった箇所があったり、国際条約や外国の立法の翻訳資料が多くなったりして、同じ出版社の雑誌に掲載された書評では、酷評を受けてしまった。

たしかに、第1部「統一法条約と国際私法の関係」第1章~第3章は、国際私法の入門書のようであり、今思えば赤面の至りである。むしろ後に出版した『国際私法と隣接法分野の研究』第1章「実質法の統一と国際私法」に収録した5本の論文を参照して頂きたい。しかし、『国際取引法の理論』第1部第4章・第5章、第2部「域外適用問題」第1章~第3章は、既発表論文を大幅に加筆修正したものであり、拙著『国際財産法』においても引用している。

http://wwr2.ucom.ne.jp/myokuda/publications/kokusai_torihikiho_no_riron.html

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体験その2

2冊目の論文集『国籍法と国際親子法』を企画した際には、今度こそ北大法学研究科叢書(かつての法学部叢書)として出版できると思ったが、その当時、すでに中央大学法科大学院への移籍が決まっており(移籍まで2年以上あったが)、「そのような裏切者の本を北大法学研究科叢書として出版するわけにはいかない」と言われてしまった。そこで、学術振興会の助成金を得て、同じ出版社にお願いした。

当時は、幾つかの国籍裁判に関わっており、それがきっかけとなって執筆した論文を大幅に加筆修正して収録した。とくに法律上の親子関係を論じ得ない程の父母の不明、あるいは法律上の親子関係とは必ずしも連動しない非嫡出子の国籍取得を考察した論文をメインとした。そのような理由から『国籍法と国際親子法』というタイトルにしたことは、「はしがき」に書いたとおりである。ところが、某学会誌の書評では、親子関係の準拠法を論じるわけでもないのに、国際親子法というタイトルを付けたことを執拗に攻撃され、すっかり書評には、嫌気がさしてしまった。

(注)後に当該学会誌の編集委員の一人に対し、その旨を申し出たところ、私の著書を書評に取り上げることがなくなったので、大変有難く思っている。それは、同志社法学に書いたとおり、欧米と日本の書評文化の違いによる。

さらに中央大学に移籍した後、ヨーロッパ各国の研究者との交流が増えたこともあり、博士号のない教授という日本の事情をいちいち説明するのも憚られたので、この本で博士号を申請したいと思い立った。この本に収録した論文は、すべて北大在籍中に書いたものであるが、北大ではなく中央大学に申請したのは、上記の出版の経緯から当然のことであった。

http://wwr2.ucom.ne.jp/myokuda/publications/kokusekiho_kokusaioyakoho.html

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体験その3

3冊目の論文集は、『国際私法と隣接法分野の研究』である。今度は中央大学の比較法研究所の叢書として、過去2冊の論文集には収録しなかった論文(主に香川大学や北大に在籍中に公表したもの)を大幅に加筆修正して出版してもらった。この本のほうがむしろ博士号の申請に相応しかったかもしれない。

とくに第1章「実質私法の統一と国際私法」は、『国際取引法の理論』第1部第1章~第3章のリベンジを果たすものであった。このテーマについては、『隣接法分野の研究』第1章所収の5本の論文および『国際取引法の理論』第1部第4章・第5章の両方を参照して頂きたい。その他には、とくに「スイス国際私法の基本問題」(第2章Ⅰ)、「わが国の判例における契約準拠法の決定」(第3章Ⅰ)、「直接郵便送達に関する米国判例の展開」(第3章Ⅲ)は、今でも参照の価値があると思う。

http://wwr2.ucom.ne.jp/myokuda/publications/kokusaishiho_rinsetsuhobunnya_kenkyu.html

第4章「戦後補償における抵触法上の諸問題」所収の4本の論文は、当時関わっていた中国戦後補償裁判に提出した意見書にもとづく。一つだけ裏話を紹介すれば、Ⅲ「戦後補償裁判とサヴィニーの国際私法理論」は、南京事件などの損害賠償訴訟において、国側がサヴィニーの国際私法理論によれば、戦後賠償に国際私法上の準拠法決定は馴染まないと主張したことが背景にある。私は、サヴィニーの『現代ローマ法体系第8巻』の原文に即して、そのようなことは書かれていないことを論証したが、東京地裁の裁判官は、意見書を理解することなく(あるいは全く読まずに)、国側の書面を写したような判決を下したので、この判決を批判したのが初出論文である。

(注)ちなみに、この東京地裁では、私が証人として出廷したところ、国側の訟務検事の尋問が外国国家の裁判権免除と国際私法における外国法の適用を混同するものであったので、両者を区別すべきであることを丁寧に説明したのであるが、あとで原告側の弁護士に聞いたところによれば、その間に裁判官は、居眠りをしていたとのことである。裁判官の居眠りは、日常茶飯事のようであるが、いかなる事件であれ、当事者を失望させるものであろう。
https://www.bengo4.com/c_18/n_14831/

私より上の年代では、サヴィニーの『現代ローマ法体系』を原文で読んだことがない者は、「もぐり」とさえ言われており、その意味では、大人気なかったが、今では、研究者でさえも、この東京地裁の裁判官とあまり変わらないレベルにまで落ちてしまったのかもしれない。なお、その後、国際(公)法上の取り決めによって私人の損害賠償請求権は消滅したとする最高裁判決が出たので、国際私法上の論点は、決着がつかなかった。なぜなら、仮に中国法を準拠法として適用したとしても、その中国法の解釈として、損害賠償請求は棄却されることになるからである(『国際財産法』20頁参照)。

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今回の論文集

比較法研究所からは、さらに『国際私法・国籍法・家族法資料集――外国の立法と条約』、『国籍法・国際家族法の裁判意見書集』、奥田安弘/マルティン・シャウアー編『中東欧地域における私法の根源と近年の変革』を出版した。これらの学術書とは別に、明石書店からも様々な本を出版し、私の名前が表紙と奥付に掲載された本(改訂版を含め)は、今回の『国際私法と隣接法分野の研究・続編』で30冊目になるが、中央大学に移籍した後に出版したものが半分以上を占める。

今回の本では、裁判の意見書や立法作業への関与などが研究のきっかけとなった日本語論文6本に加えて、英語およびドイツ語の論文各2本、さらに日本の法令(通則法、民訴法の国際裁判管轄規定など)の英訳を掲載した。もちろん大幅に加筆修正したが、欧米では、著名な研究者が60歳や70歳などの年齢に達した際に、それを祝賀する記念論文集 (Festschrift) が一般的であり、自分の過去の論文を集めて出版するCollected Papers (Essays) は、ほとんど見ない。

そのため、転載許可をもらう際に、「日本では、論文集の出版が広く行われている」という苦しい言い訳をする羽目になった。しかし、欧米とは異なり、大学教授に秘書や助手が付いているわけでなく、事務的な作業もすべて自分でこなす以上、論文集という出版形態は、ある意味で仕方ないであろう。

ただ私は、論文集にも一定の意義があると思っている。それは、リベンジの機会を与えてくれるからである。初出原稿は、あとで読み返せば、たくさん修正したくなる箇所があり、なかには、明らかな誤りを見つけることもある。もちろん筆者は、どのような雑誌に、どのような形で書くとしても、活字になった以上は、全責任を負わなければならず、あとでいくら言い訳をしても、それは永遠に残ってしまう。私自身がこれまで多くの失敗をしてきたからこそ、なおさらリベンジの機会を追い求めたくなるのである。

今回の論文集でも、判例集未登載の裁判、ハーグ養子縁組条約の試訳、養子縁組あっせん法と研究会試案の対照表など、資料の掲載が多くなってしまった。しかし、これらは、裁判の意見書や立法作業への関与などが研究のきっかけとなっている以上、やむを得ないことであったと思っている。読者各位のご賢察とご寛容をお願い申し上げる。

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補足1:アタッチメント

今回の論文集の第6章「養子縁組における実親の熟慮期間」では、心理学の話が出てくる。法律の世界は、すべて権利義務によって形成され、「愛」という言葉は出てこないのであるから、「奥田は法律を知らない」と思った人がいるかもしれない。しかし、ドイツでは、1977年の民法改正において、心理学の知見が法制委員会の理由書で紹介され、その後、ドイツの主要なコンメンタールは、アタッチメント(Bindung)という心理学の用語を使って、法改正を支持している。

しかるに、わが国では、養子縁組あっせん法の審議において、アタッチメントではなく「愛着」という誤った訳語が広く使われ、またアタッチメントという用語を使っていても、それを極めて情緒的な意味に理解していることが窺われる。論文集の校了後に調べたところ、今年3月の大阪地裁の判決も「愛着形成」という用語を使っていたことが判明した。さらにサイトを検索したところ、アタッチメントという用語を使いながらも、その訳語として、何の説明もなく「愛着」という用語を使うものが多かった。私は、そもそも「愛着」が誤訳であることを明確にするのが出発点であると考えている。

アタッチメントは、単に「くっつく」という意味であるから、「愛」という言葉は不要であり、むしろ邪魔である。たとえば、実親が養育を放棄した子どもを養子にしたからといって、すぐに実の親子のような「愛情」が芽生えるわけではない。最初は、まず養親をアタッチメントの対象とするだけであり、その後徐々に家族としての愛情が芽生えてくるのである。心理学の研究によれば、そのアタッチメントも、生後すぐに特定の人との間に出来上がるのではなく、8週間を過ぎた頃から養育者に対してアタッチメント行動を取るようになるのであるから、生まれてすぐの子どもを養親に引き渡す必然性はない。むしろ実親に熟慮期間を十分に与えることのほうが重要であるというのが論文の趣旨である。

今回の論文集とは直接関係しないが、わが国では、何でも「愛情」で説明しようとする傾向を感じる。たとえば、会社や学校に対する「愛情」、顧客や患者に対する「愛情」、児童養護施設でも保護児童に対する「愛情」が語られるが、それは、少し違う気がする。家族に対する「愛情」は、万国共通のものであろう。しかし、会社や学校、顧客や患者、児童養護施設の保護児童に対して「愛情」を語るのは、リスクが大きすぎる気がすぎる。愛情は裏切られたら、「憎悪」に変わるからである。退職後の課題としたい。

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補足2:国際養子縁組

本書の出版に合わせるかのように、2022年10月11日から68か国のビザ免除措置が再開されることになった。インバウンド需要や爆買いを期待する人々にとっては、朗報であるが、私のように国際養子縁組の弊害を危惧する者にとっては、心配の種が一つ増えたことになる。なぜなら、短期滞在の在留資格で来日して、日本人の子どもを連れ帰ることが容易となるからである(本書122頁以下)。

たしかに、米国との関係では、日本政府からミスリーディングな通告があったお蔭で、一時的に日本からの養子の流出が激減しているが、これが法的根拠を欠くものであることが分かれば、再び増加するおそれがある(本書133頁以下)。加えて内密出産ガイドラインという怪しげなものが発出された結果、出産直後は、子どもを手放したいと思ったが、後に子どもを取り戻そうと思っても、すでに外国に渡っているため、法的手段がないという悲劇が繰り返されるおそれがある。
https://www.mhlw.go.jp/content/000995585.pdf

本書の第4章「国境を越えた子どもの移動と養子縁組あっせん」は、そのような危惧を訴えたものであるが、その訴えは、日本政府の耳には届かないのであろう。たとえば、養子縁組あっせん法において、養親希望者に研修を義務付けることになったところ(同法26条4号)、早くも養子縁組の研修をビジネスとする企業が現れているようである。本書の第5章「養子縁組あっせん法の体系的位置づけ」および第6章「養子縁組における実親の熟慮期間」では、わが国の法律にまだ多数の穴があることを主張したつもりであるが、犬の遠吠えに終わってしまうのであろう。養子縁組あっせんは、たとえ国内に留まったとしても、その未来は、あまり明るくないような気がしている。

追記(2023年2月22日) 新着

本書では、国際養子縁組の減少の要因として、送出国の規制の強化およびコロナの影響を挙げたが、その後、他の要因も挙げるべきであると思ったので、補足したい。

第1に、中国については、少子高齢化を挙げるべきであろう。1979年に一人っ子政策を実施し、長らく人口抑制に力を入れてきたが、周知のとおり、2021年には、3人目の出産を容認するだけでなく、むしろ少子高齢化が問題となっている。
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2022/f051862c80a917a1.html
このような状況で、貴重な子どもをアメリカなどの外国に養子に出すとは思えない。現在は、コロナを理由として、国際養子縁組の手続を停止しているが(本書133頁)、コロナが終息ないし減少したとしても、中国は、国際養子縁組に消極的とならざるを得ないであろう。

第2に、ドイツでは、2019年に非婚家庭における連れ子養子 (Stiefkindadoption in nichtehelichen Familen) の禁止を違憲とする判決が出たことから、連れ子養子が激増し、逆に国際養子縁組が激減している。
Link zum Bundesverfassungsgericht
Link zum Statistischen Bundesamt
そもそも養子縁組自体が不妊治療の技術の進歩によって減少している、という報道もある。
Link zum Tagesspiegel
後者は、養親候補者の減少を意味し、子どもの利益の観点とはいえないが、現実問題として、養子縁組減少の大きな要因となるであろう。

第3に、わが国では、相変わらず里親・養子縁組の伸び悩みを嘆く声が大きいが、そろそろ発想の転換をすべきではないだろうか。ただ養子縁組に失敗したという声も多く、これは、養子縁組後のケア(ポストアドプション)が十分になされていない実態を窺わせる。

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■補足3:チェブラーシカ

英語論文であるが、Chapter VII Initial Ownership of Copyright in a Cinematographic Work under Japanese Private International Law は、旧ソ連のアニメ「チェブラーシカ」の法律問題を扱っている。そのチェブラーシカをリメイクした映画が大ヒットしているそうである。その理由として、ウクライナ侵攻による市場の変化を挙げる記事を見つけたので、リンクを貼っておく。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023011100152&g=int


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