「海部氏系図」及び「勘注系図」についての応答など

 
  「曲学の徒」と名乗られる方からのご連絡がきて、宝賀会長の所論に反論するということでしたので、これを紹介しつつ、併せて、代わって樹童(樹堂)から若干のコメントを掲載する次第です。
 
  メール(2007年08月28日 22:03受け)の全文は次のとおりです。


 突然のメール失礼します。曲学の徒と申します。
 
 宝賀氏の国宝「海部氏系図」への疑問という論考の中で、『勘注系図』にもとづく卑弥呼論など「妄論」というご批判をいただきましたので、反論させていただきます。

  http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/kanntyuukeizu/kanntyuukeizukou1.html

 ご一読頂ければ幸いです。
 


 <樹童のコメントなど> 
 
 私どもの系図研究の姿勢は、HPの「古代史と古代・中世氏族研究の世界へようこそ」で示しているところです。
 とくに「偽書や偽系図との弛みない闘いのなかで、あえて試論的な見解も適宜、掲示しますので、これらに反発される方もおられるでしょう。冷静に合理的に読んで批判していただいたら幸いですが、感情論や信念の押しつけという反応はご容赦下さい」及び「時間的な制約などから、偽造系図についての分析やその社会的背景事情には殆ど関心がありませんので、この関係の応答については基本的に行うことを考えておりません」ということでもあります。
 なぜ系図に厳しい姿勢と批判の目をもたざるをえないのかというと、それはいうまでもなく、系図を歴史研究の史料として使いたい(そのために、「系図学」の基礎を固めたい)、そのうえでわが国古代の史実や歴史像の原型・原態により近づきたいと思うからです。
 
 今回、「海部氏系図」を取り上げた契機は、同系図がどこから信頼できるのかできないのかという問題提起をさる場所でされましたので、しかも、日本海沿岸地域の開拓史を検討しているなかでありましたので、かつて発表した論考を基礎に、現時点で新たな視点からも見直し、整理しようとしたものだ、と会長から聞いています。
 その所見では、本体の「海部氏系図」そのものが疑惑十分の系図ですから、その国宝指定にはきわめて遺憾の念をもっており、ましてや、由来が確たる所は不明で、内容が一見して疑問な「勘注系図」なぞ、問題外というものです。籠神社関係の文献は、「いわゆる「残欠風土記」(『丹後国風土記残欠』とも称される文献)」なども含め、後世の偽造資料の一大山脈のなかにあるという事情にもあります。「勘注系図」と「残欠風土記」との記事の相似は、先に本文でも記されています。
 
 系図の伝来などについて、基本的な情報をまず記します。
 系図も含め、紙に筆と墨で書かれた文書は保存がたいへん難しいものです。家の滅亡や退転、嫡宗系統の交替、戦火・洪水などの消滅事由に加え、虫食い・文字かすれなど滅失のおそれが多々あります。運良く後世に残った場合でも、多湿性の気候のもと永い保存期間のうちに、古い系図は全体的にも個別個所でも本当にボロボロになりがちです。海部氏の「本系図」にも欠字個所が知られますが、国宝指定の「円珍俗姓系図」(これこそ、わが国に現存する最古の系図)でも欠字があります。
 最近出会った事例でも、土佐の安芸氏や出雲の勝部(朝山)氏の系図において、そうした破損の事象が見られ、これらは東大史料編纂所のインターネット上のデータベース検索により具体的に確認できます。せいぜい遡っても平安後期あたりの時点で、その少し前の世代くらいから実質的に書き始められる系図の事例でも、保存ないし書継ぎの過程で破滅磨耗してしまい、江戸期くらいに改めて清書されたものもあります(その際に、誤記誤解も生じることがままある)。
  日本には上古からの世襲を伝える古い社家が多数あります。それでも、古くて信頼性のありそうな系図がごく僅少しか現在まで残っていないのは、上記のような諸要因が絡まった結果だとみられます(それでも、朝鮮半島よりはまだましで、彼地には古い時期まで遡る系譜史料が驚くほど残っていませんいわゆる「族譜」で現存最古のものは南北朝期くらいからとも聞きます)。だからこそ、平安前期より古い時代に記事が始まる系図については、その真贋性を含めて慎重な取扱い、厳しい批判という姿勢が必要なのです。

 系図が「厳重に秘密保管」をされてきたという謳い文句に惑わされてはなりません。批判論や否定論が少ないのは、あまりにも虚実、真贋が明白であって、あえて取り上げ言及するまでもないという姿勢(あからさまな懐疑や批判は控えておくという姿勢にもつながる)からも、学究には往々にしてあるのです。少なくとも、そのような立場でしたから、「勘注系図」を基礎に卑弥呼論が出てくることに吃驚仰天したものです。
 ほかにも、系図破損の例は多々ありますから、東大史料編纂所あたりで古い系図の実物を確認されれば、保存の難しさとイタミ方の酷さがよく分かるはずです。系図が伝来する家に、古い元の系図と書き直した系図が併せて保存される例は、上記の二氏でもそうです。旗本井出氏の系図(「穂積姓井出氏系図前書」など。これも同所に所蔵)などでも同様です。だからといって、古い方の系図がそのまま信頼性が高いわけでもありませんが。

 現存する「勘注系図」は、江戸前期の作成と言われていますが、その原本となった系図について見聞したことはありません。『神道大系』で「勘注系図」の解題を書かれた村田正志氏の記事では、近世初頭頃に書かれた「天候卜占図」を反古にして料紙とし、その裏に「勘注系図」が書かれたとありますから、それに依拠すれば、近世初頭頃より後の成立だとしてしかいえません。「勘注系図」には、「海部勝千代が敬してこれを写した」旨の記事がありますが、「ある原本を写した」というこの記事を裏付けるものはなく、この辺から疑問をもつ姿勢が必要だと思われます。
 「勘注系図」には具体的な作成時期の明示がなく、欠字も見えません。内容的に見ても、『旧事本紀』が知られるようになった室町期以降の作成だとみるのが穏当なところです。「勘注系図」に『旧事本紀』の影響が濃厚なことは一目瞭然です。同書の「皇孫本紀」にしか見えない「彦火々出見命の児、建位起命」という表現が「勘注系図」にもあります。建位起命は倭国造の初祖たる珍彦の父にあたる者ですから、皇統に出ていないことは明らかであり、虚偽を記しているわけです。これは一例ですが、『旧事本紀』に見えない内容で、しかもその内容が史実の原型に近いと思われるような記事が「勘注系図」にはまったく見えません(ここまで書いても、「勘注系図」を論者が「見ていない」と騒ぐのでしょうか。もっとも、まったく見る価値のない資料だと思いますが)。
  本系図と「勘注系図」との成立の前後は、史料検討に当たってたいへん重要なことはいうまでもありません。これを無視した議論は、その時点ですでに破綻しています。

 総じて言えば、古来、系図にはきわめて偽造が多い事情があります。その反面、偽造の殆どが様々な資料チェックにより分かるものです。そのためにも、多くの系図関係史料にあたり鑑識能力を高めたうえで、一級史料との整合性、具体的に場所・時間や関係氏族との整合性などを考えていく必要があります。
  (※系図の検討方法 を参照してください
 
 次に、「曲学の徒」さんの提示された個別問題に若干触れます(関係者に話を聞いて、樹童の文責でまとめました)。

 (1) 宝賀会長が「勘注系図」を見ていないと非難されますが、原本実物を見ていないのはそのとおりでしょう。「勘注系図」の内容は、所論で引用された文献において全文ないし重要部分は紹介されており、とくに海部穀定氏や伴とし子氏の著作などのなかに写真がいくつか添付されていますから、検討のためにはそれで十分のはずです(論理的にいえば、肯定的な評価をするためには全てを見る必要があるが、否定的な評価をする場合には決定的な否定判断ができる個所があれば、それで足り、それが複数あればあとは不要である)。

 「曲学の徒」さんが言われる『神道大系 古典編13』(神道大系編纂会、1992年)の紹介系図も、当該系図の全てが写真入りで正確完全にそのまま記載されてはいるものではないのだから(全文が活字として収録されていても、表記された文字等についての解釈が入る。この活字版では、原文にない句読点がつけられ、漢字の表記が若干異なる点があるが、これらの差異も無視しがたい)、同様に「見ていない」ということになります。刊行本による場合には、字句の注意が必要であり、少なくとも一部の写真でも見ることが望まれるということにつながります。水掛論議をするつもりはありませんが、原物はともかく、少なくとも実物の写真すべてを「曲学の徒」さんは見ておられるのでしょうか。……要は、このような非難はまったく無益だということです。
 なお、『神道大系』のシリーズは、東京都中央図書館ではかつて開架で展示(いまは閉架)がされていました。そのシリーズのなかには、史料価値の高い阿蘇氏の系図(仲田憲信編)や宗像社祠官諸家の系図の記載もあります。
 
 (2) 海部氏の系図は、あくまでも本体の「海部氏系図」が大前提です。「附」(つけたり)の「勘注系図」で、本体系図を補強することはできません。成立時期などを十分に考えて、議論は主客転倒しないことが肝要です。そもそも、本体系図自体に疑惑が大きければ、「勘注系図」は「況や、おや」ということです。
 「勘注系図」の偽造性は、様々な古代氏族の系図で当時知られていたことをデタラメに継ぎ接ぎし補充したことで明白です。この意味がお分かりにならない場合には、古代及び中世の系図について、太田亮博士、佐伯有清博士や近藤安太郎氏などの基本文献を読まれること、多くの古代関係系図なかでも良質の系図にできるだけ目を通されることをお薦めせざるをえません。実のところ、大学教授などの肩書きをもつ学究ですら、系図の基本知識や鑑定眼が乏しいかたが多いのです。
 
 (3) 『旧事本紀』については、江戸期からその偽作性について云々されていますが、偽作といえば、『古事記』も同様に偽作であると考えており、ともにその序文には偽作の疑いが強いものですが、内容の史料性についてはとくに問題にしておりません(もちろん、個別個別の箇所で具体的で十分な吟味が必要ですが)。偽作性の論議を離れて、同書の「天孫本紀」や「国造本紀」の記事は、内容的にみて比較的史料性の高いものという評価が総じて定着しています。こうした事情にありますが、だからといって、「天孫本紀」の記載内容がすべて信頼できるものではありません。その信頼できない点は多々ありますが、とりあえず主要な点をあげますと、次のようなものがあります。
 
 @海神族系の尾張氏と天孫族系の物部氏を同祖に結びつけている点です。尾張氏を天孫に位置づけるのは、『書紀』や『姓氏録』も同じですが、同様に系譜仮冒(誤り)です。古代氏族においては、それがどのような種族から出て、どのような行動傾向(祭祀、職掌、氏族名・地名のつけ方など)があるかは、決定的に重要です。天皇家や物部連などの天孫族系統の諸氏は、海神族系の諸氏とは通婚しても、行動傾向が違うのです。
 「天孫本紀」記載の物部氏関係系譜にも多くの問題点がありますが、それはさておいて、主に尾張氏関係系譜について次に述べます。
 
 A尾張国に根付いた同国造家の現地での始祖とみられる乎止與命ヲトヨ。始祖の十一世孫に置かれる。小登與、小豊などとも表記)の父祖がはっきりせず、「天孫本紀」の記載から比較的導かれやすい解釈も、その場合には世代数が多くなり過ぎて、疑問が大きくなります。乎止與がなぜ尾張に遷住したのかという事情も不明です。「天孫本紀」の尾張氏系譜は、内容的に乎止與を境に二つに分かれるということです。尾張氏とその系譜問題については、この認識が重要ですし、その前・後で見て、前部分の系譜の信頼性は遥かに低いものです。
 それでも、「勘注系図」と比べると問題なく優れています。「勘注系図」に見える「高倉下命は天香語山命の子で、天村雲の弟とする」という系譜は、誰が妥当だと主張しているのでしょうか。神々の系譜をよく知らない、ないしはいい加減に把握しているからこそ、「勘注系図」の作者が平気でデタラメに記述したにすぎません。根拠のない異伝を所伝の独自性を示すかのように記載することは、まさに偽造行為です。尾張氏の祖が饒速日命の子から出たというのは、明らかに系譜仮冒です(高倉下は饒速日命の女婿の可能性があるが、これが混同されたものとみられます)。この辺すら、認識がない研究者は、本件系図を論ずる資格に欠けるとも言えそうです。古代の習俗やトーテムを無視することに起因するものもあるのでしょう。
 
 B尾張氏系譜の前半部分につながる丹波国造・但馬国造や海部直の系図部分は、これも他の系図との接合であり、具体的には天孫本紀の尾張氏の系図のなかに皇孫と称する彦坐王後裔氏族の系図がつなげられています(タヂマ国造の記事、すなわち『古事記』開化段の多遅摩国造の記事や、「国造本紀」但遅麻国造の記事を見れば、明白に分かることです)。

 なお、丹後の「海部氏と尾張氏の初期は同じ氏族」ではありません。「氏族」の定義をどう考えるかの問題もありますが、普通にいって、「天孫」を称する尾張連の一族と「皇別」を称する彦坐王後裔の一族を同じ氏族だとは普通はいわないはずです。丹後の海部直は丹後国造や但馬国造の一族に出ており、尾張連の一族には大海部直があって(従って、「海部氏は尾張氏の別姓である」とする所伝は、「別姓」という意味にもよりますが、「本の姓」とか広義の「同族」という意味であれば、間違いではない。その場合も、尾張連□□という名乗る人物が同時に海部連□□とも名乗ることはない)、ともに広義の海神族のカテゴリーに入りますが、これを同じ氏族というはずがありません。
 古代の姓氏に関して、「勘注系図」には「「海部直、亦云丹波直、亦云但馬直」とする。海部直でも丹波直でも何ら問題はない」というイイ加減なことはありえません。まじめに議論をされるつもりであるなら、古代の姓氏についてもう少し学ばれてはいかがでしょうか。「何ら問題ない」という根拠もなく、例証もあげられていません。
 
 C「天孫本紀」の尾張氏系譜の記事に見えない「勘注系図」の人物はその全てが偽造であって、古代当時の命名法に合わない者が多々あります。「倭宿祢命」(この名は「本系図」のほうから見えますが)でも、「川上出石別命」でも、よくもイイ加減に名前を作ったものと感じます。「勘注系図」のように「亦名」「一名」で本来無関係な人物を多数つなげるのは、ありえないことです。信頼できる史料で裏付けができる人物は、「本系図」には一切見えないことを既に述べていますが、「勘注系図」において、「亦名」「一名」でつなげる記事で信頼できるものはありません。
 そもそも、「本系図」が「『勘注系図』の要約版ともいうべき物」だという「曲学の徒」さんの認識は、なんら根拠のない思込みでしかありません。「勘注系図」が古い時代から「本系図」と並存していた証拠はどこにもありません。「本系図」について、誰が「勘注系図」の要約版ということを証明したのでしょうか。普通にいえば、その逆ですし、「勘注系図」の冒頭部分には「籠名神社祝部氏係図(すなわち、「本系図」のこと)伝云」と記されてありますから、どちらが先かは明瞭に分かるはずです。
 詳しい系図が先にあってはじめて、要約版を作ることが可能になります。内容まで考えると、「勘注系図」は古くからあった「本系図」の記事を基本にしてデタラメに増大増量させたものとなります。
 
 D「天孫本紀」の尾張氏系譜には、継体天皇前後の時期の人々について、欠落が多々見られます。このほか、当該尾張氏系図の問題は、古代氏族シリーズの『尾張氏』で種々、取り上げています。

 E繰り返しになりますが、「本系図」には、他の信頼できる史料によって実在性が裏付けられる人物が誰一人として見えないことです。このことを確認すれば、あとは自ずと結論が出ることです。
 
 これだけ書けば、あとはもう常識的総合的な判断力・理解力の問題としか言い様がありません。古代氏族の系図も含めて、その史料価値を十分踏まえたうえで、論理的な議論・検討が望まれるところです。系図史料についての検討は、感情論と信念論をもっとも避けねばならないものなのです。
  なお、私どもとしては、「戯れ系図」に関わるのは、もうこれくらいにしたいと思っています。
 (古代氏族の系図に対する「知識・認識の欠如」を武器としてふりかざしてくる信念の議論には、対応のしようがないからです。「自己の論理矛盾」に気づかない議論に対しても、同様です。系図について、基本的な知識がない方に対しても同じです。この辺は、本HPの運営者たちの共通の意識です)

 一般論としていえば、系図であれ文書であれ、疑惑の濃い資料のうえに(基礎となる資料の十分な吟味なしで)、立論するのは、砂上の楼閣か蜃気楼です。それが弊害が大きければ「妄論」ということになります。三世紀の卑弥呼を古代氏族の系図のなかに求めようとするのは、木に昇って魚を求めるようなものです。古代系図の性格と限界をよく知っていれば、そうした無益な行動はとらないものです。
              
  (07.8.30掲上。その後の若干の語句の追補・修正はある) 


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