(参考) 系図研究の基本文献



 
系図の検討方法を記したところで、系図研究のための基本的な文献について触れておくことも必要と考え、あえて私見をもとに掲上する次第です。ご意見や提案、反論があれば、ご連絡いただければ、と思います。



 
     (参考) 系図研究の基本文献とデータベース
 

  いまさらあえて言うべき話ではないとも思うが、系図研究に当たって適宜利用したほうが良いと思われる図書資料について、古代・中世関係(基本的に除いているのは、江戸期対象のもの、入門書的なものや個別系図関係の資料)のうち、ごく主だった基本文献資料を参考までにあげておきたい。本HPに深く関係するものであるうえ、書物やネット上を探してみると、意外なほどに、こうした資料の提示が見られないという事情にもあるからである。

 これら諸資料はあくまでも参考としての提示であり、個別の書の掲名についてはひとえに拙見に基づくものなので(なぜ掲げるか掲げないかについては、当然理由があるが)、個別具体的な研究に当たっては、利用者による適宜の判断に基づく使用が前提であることはいうまでもない。ここで掲げた諸書では、かなり高価なものや既に絶版となったものもあるが、入手できるものについては手元に置いてできるだけ活用されることが望ましいと思われる一応の推薦書という気持ちである(だからといって、下記諸書の記事・内容のすべてが正しいわけではなく、執筆時の様々な制約や解釈の相違、印刷などに伴う誤記・誤解等の様々な問題があるので、記事の取捨選択には、個別に十分注意する必要のあることはいうまでもないが。いずれも、編著者の敬称略で記載)。

 なお、国立国会図書館の姓氏・家系関係のガイド
 

1 どのような史料がどこにあるかを知るための書
増補改訂 系図文献資料総覧』丸山浩一編(緑蔭書房、1992年。1979年旧版の増補改訂版)。
  系図調査の方法や、系譜・姓氏・苗字に関する史料および文献など多数の諸資料の総覧・解説書。2以下に掲げる諸史料の簡単な解説記事もあり、関係論考も多く掲載しており、系図研究者なら手元に是非置いておきたい書である。丸山浩一氏は、もと家系研究協議会会長(同会の設立者)。 
『歴史資料保存機関総覧』1979年、山川出版社。
 東日本・西日本の二冊で、全国の図書館・史料館とその所蔵史料の案内。これまた、よく調べられた文献目録といえようが、年代的に少し古くなっていることに留意。
『『諸家系図史料集』解題目録』 雄松堂出版マイクロフィルムの掲載系図史料一覧。
  とくに鈴木真年編『百家系図』、中田憲信編『諸系譜』の所収系図の明細が分かる。
 『国書総目録 補訂版』全九巻(岩波書店)

※このほか、ネット利用可能なデータベースとしては、東大の史料編纂所東洋文化研究所京都大学図書館機構奈良文化財研究所とくに木簡関係)や東京国立博物館(東博)、台湾の中央研究院の漢籍電子文獻25史などを調査できるので、たいへん便宜)などがある。最近では、諸大学などで、ますます増加しているから、適宜、利用したいものである。
 最近では、静岡県立中央図書館の「葵文庫」(『改選諸家系譜』等)などネット利用できるものがかなり増えてきた。また、中国関係では、ネットの百度百科に歴史・系譜関係の記事もあるが、中国のwikipediaくらいの評価で見ておくのがよいのであろう。 
 
2 一般史書  (きわめて多数につき、とくに主要なもの)
 『新撰姓氏録』や記紀、六国史(及び「六国史索引」)、『風土記』、『旧事本紀』(鎌田純一『先代旧事本紀の研究』など)、『本朝世紀』、『大日本古文書』、『大日本史料』、寧楽・平安・鎌倉の各遺文、『東鑑』(吾妻鏡)。中国の『史記』などの二五史、朝鮮半島の『三国史記』『三国遺事』。
 個別の地域史(都道府県郡市町村史や旧国誌も含む)及びその付属史料集、公卿等の日記類(『小右記』『中右記』『権記』『玉葉』『明月記』『園太暦』など)、補任類(『類聚符宣抄』『公卿補任』『歴名土代』『外記補任』『楽所補任』など)、戦記類(『将門記』『陸奥話記』『太平記』など)。
  なお、『古事記』『旧事本紀』は広義の「偽書」という疑いが濃いが(とくに序文は問題が大きい)、内容は史料として十分な注意の上で使用できる。

 このほか、歴史辞典・歴史年表や地図、地理の解説書も適宜、踏まえて検討する必要があるが、下記に少し掲げたもの以外の関係書名は省略する。
 
3 系図辞典・人名辞典及び研究方法
太田亮『姓氏家系大辞典』全三冊、『新編姓氏家系辞書』『家系系図の合理的研究法』(改題復刊『家系系図の入門』)『日本古代史新研究』『系譜と伝記』など及び日本国誌資料叢書。
 『姓氏家系大辞典』は、多くの史料から丁寧に拾い出した貴重な記事が多くあるが、その一方で、誤解・誤記・誤植もかなりあるから、十分注意して批判的に使うことが必要である。
近藤安太郎『系図研究の基礎知識』全四冊
『日本古代人名辞典』全七巻、『日本古代氏族人名辞典』坂本太郎ほか監修
『平安人名辞典』康保二年(1000年)版、康平三年(1060年)版 槙野広造編
『吾妻鏡人名索引』御家人制研究会編
『鎌倉・室町人名辞典』安田元久編
『戦国人名辞典』阿部猛ほか編
県別の『姓氏歴史人物(姓氏家系)大辞典』(角川)
地方別 日本の名族』(全十二巻)
『室町幕府守護職事典』 今谷明編
『戦国大名系譜人名事典』東国編・西国編
『戦国大名家臣団事典』二冊、山本大・小和田哲男編
『織田信長家臣人名辞典』谷口克広編
豊田武『日本史小百科7 家系』
『日本姓氏家系総覧』歴史読本特別増刊(事典シリーズ11
 
4 系図書とその解説書、研究    
『新撰姓氏録』(田中卓、栗田寛の考証・研究書もある
とくに、佐伯有清『新撰姓氏録の研究』本文篇、考証篇六冊 、索引・論考篇一冊
『尊卑分脈』国史大系本四冊(ほかに索引一冊)。
    中世以降の系図検討にあたっての基本文献だが、武家関係は十分注意をしたい。成立時の内容はどこまでかが不明。
『群書系図部集』七冊、『系図綜覧』二冊(『諸家系図纂』や『群書類従』に基づくもの
『系図纂要』十八冊、飯田忠彦編
『古代氏族系図集成』全三冊、宝賀寿男編著
『古代豪族系図収覧』『宮廷公家系図収覧』近藤敏喬(安太郎)編
『美濃国諸家系図』中里千族原蔵
『萩藩諸家系譜』岡部忠夫著、琵琶書房

なお、中国関係では、『姓氏詞典』(河南人民出版社 1991)が中国の8,155の姓について、ピン音順にならべて由来・出自などを簡潔に解説する。『中国姓氏考』(王泉根著、林雅子訳)は概説的な解説書である。なお、『中華姓氏大典』(河北人民出版社 2000)もあってもう少し詳しそうであるが、入手していない。インターネット上にも、最近では中国の家譜がかなり見られる。
 朝鮮の族譜は、東洋文化研究所にかなり所蔵されており、その最初の部分のみはインターネット上で公開されている。


佐伯有清『古代氏族の系図』1975年、学生社、『日本古代氏族の研究』1985年
田中卓『田中卓著作集2「日本国家の成立と諸氏族」』国書刊行会
高島正人『奈良時代諸氏族の研究』1983年、吉川弘文館
松原弘宣『古代の地方豪族』1988年、吉川弘文館
網野善彦『日本中世史料学の課題 - 系図・偽文書・文書』1996年、弘文堂
瀬野精一郎『鎮西御家人の研究』1975年、吉川弘文館
平山敏治郎『日本中世家族の研究』1980年、法政大学出版局

鈴木真年・中田憲信の諸著作(下に留意点を記述)
五味克夫氏及び赤坂恒明氏の系図各論の諸論考
 
5 参考書
『日本史総覧』九冊(新人物往来社)、『日本史年表』(河出書房新社)、『国史大辞典』(吉川弘文館
『和名類聚抄』『古代地名語源辞典』(楠田佑介ほか編著)、『大日本地名辞書』(吉田東伍、全八冊)及び地名大辞典(平凡社〔歴史地名大系〕、角川書店)。視覚的には『日本歴史地図 原始・古代編』上下(竹内理三等編、1982年、柏書房)も便利。詳しめの各県地図など。いずれも、地名変遷などに注意のこと、最近でも地方自治体の合併などで地名変更が多い。
『日本紋章学』沼田頼輔著
『式内社調査報告』(二五巻)、『式内社の研究』(全十冊、志賀剛)、『日本の神々−神社と聖地−』(十三冊、谷川健一編)、『神道大辞典』(宮地直一ほか編、平凡社・臨川書店
『前方後円墳集成』(補遺編を含む。近藤義郎編)、『古墳大辞典』(正・続。大塚初重ほか編)、『全国古墳編年集成』(石野博信編)、上田宏範『前方後円墳』(1996年に増補新版)。
友田吉之助『日本書紀成立の研究』(暦関係
貝田禎造『古代天皇長寿の謎』(暦関係

 なお、続々出土する木簡関係の史料も氏族や系譜に参考になるが、断片的なものが多いため、注意して用いる必要がある。平城宮の木簡データベースが奈良文化財研究所のHPにある。
 
6 雑誌類  掲載される論考は実のところ玉石混淆であるが、検討のための参考にはなる。総じて、学究からは無視されがちであるが、系譜関係資料はきわめて多様な形で存在することを忘れてはならない。
『系譜と傳記』『国史と系譜』太田亮(併せて全三巻の書としても刊行)
『姓氏と家紋』『旅とルーツ』及び『姓氏と家系』 日本家系図学会
『家系研究』 家系研究協議会
                          

 ※ 鈴木真年・中田憲信への非難の論拠がないこと 
 
○ 鈴木真年・中田憲信がいわゆる「系図屋」であって、彼らが「系図を偽造した」という陰に陽にの非難・批判を時に目にするが、これは、まったく根拠のない(偽造したという論拠を示さない)誹謗中傷である。そこには、在野の研究者に対する、いわゆる「学究」関係の人々の奢りの雰囲気すら感じられる。こういう非科学的な姿勢・先入観をまず排除するところから、合理的な研究は始まるべきものである。両者への非難の論拠を具体的にあげてもらえば、殆どで反論できるものと思われる〔注〕
  これら非難は、故飯田瑞穂氏の噂に基づく記事を誤解したことに基づくものが多く、自ら具体的に諸史料に十分あたって検討したものではないだけに、そして「偽造」という具体的な論拠を示さないだけに、その論者の基本的な姿勢にそもそも疑問があり、系図関係への無知ぶりも露呈される。念のために言うと、田氏は、真年らの偽造を指摘しているわけではない。
詳しくは、本HPにおける関係頁を見ていただきたいが、鈴木真年が謄写した系図と他の研究者が謄写した系図(例えば、諏訪氏や綾氏などの系図で、静嘉堂文庫などに所蔵)などを比べても、いわれのない中傷であることがわかる。彼らには原典系図を忠実に紹介する姿勢があるが、その際に、各種系図を比較して修補したり、系図知識をもってコメントや追加・補足の説明の記事をつけることがあっても、それは「偽造」とは云わない。また、多くの関係系図や各種史料などをもとにして校訂する場合も見られるが、これは諸系図や史料類を検討した成果であって、偽造というべきものではない。
 
○ 彼ら両人が紹介し記述する系図がきわめて多数にのぼるが、それら系図のすべてが正しいということでは決してありえない総じていえば、明治前期頃に比較的良質な系図史料を多く採集・発掘し、世に紹介提示しているということを高く評価するものであるが、なかには疑問な系図も見られる)。
 系図という史料そのものの性格に伴う制約や問題点が、紹介・提示する者が誰であれ、どの系図にも常に数多くあるのだから、誰が紹介しようと(それが、学究とか権威的な存在であれ)、個別具体的な個所について十分な吟味・検討を要することは当然のことである。真年等の系図関係の記述も、当然のことながら、すべて正しいわけでもない。これらは全て、十分な吟味が必要であり、史料や見解の丸呑みはいずれにせよ、問題が大きい。
繰り返すが、いかなる系図でも、系図記事の鵜呑みは厳禁であり、様々な角度から厳しいチェック・検証が常に必要であって、総合的合理的に具体的な判断をする必要がある。また、新たな史料が出てくることで、その都度の検証も必要になり、当初の結論が覆ることは往々にしてあることでもある。そうした意味で、系図研究は底なしで際限のないものであるかもしれない。
 
〔注〕 ある個所で、@遠江の井伊氏が三国真人に出自したという系譜、及びA越中の石黒氏が利波臣に出自したという系譜、を真年・憲信が偽造したという非難を見たが、これらはまったくの勘違いにすぎないし、両人が偽造したという具体的な立証もまったくなされていない。鈴木真年らがこれら系図を紹介・引用しただけで、また関連する資料にも関与したことが分かっただけで、「系図紹介者の偽造だ」と速断するのは、誤解も甚だしい。系図の「紹介・提示」と「偽造」とは、まったく異なる話である。
  また、中田憲信が『南方遺胤』という自己の家が南朝後裔だとする著作資料を残した(
憲信筆のものは現存せず、現存するものは鈴木真年の筆跡で静嘉堂文庫に所蔵)からといって、その家ではそのような所伝を持っていただけのことであり、これを憲信本人による偽造と決めつけるのも疑問である。憲信の編著作では、ほかに問題点があまりあるとは思われない(『皇胤志』附載に信頼しがたい上古系図も見えるが、参考までの掲示か)。もちろん、関係書には疑問な内容の記事もいくつかあるが、それらをどこかで採録し、そのまま掲載したにすぎないと思われる。
要は、真年・憲信が全人格としてどのような人物なのか、公私ともにどのような業績であったのか、という判断をして、多くの関係史料にあたり具体的な証拠・事情のもとで総合的に判断すべきでもある。
 鈴木真年が研究の五大目標の第一として「系図学ヲ大成スルコト」として掲げ、晩年は東大史料編纂所でも研究・作業に従事したことや、中田憲信が生涯、誠実な裁判官として過ごし、秋田や徳島では検事正も経験して、最後は甲府地方裁判所長まで歴任したという人間の評価や経歴なども判断には必要である。
 裁判官・検察官が偽造文書を自ら作るようでは、大きな職責違反である。真年・憲信両人は明治の初期に弾正台でも勤務していたが、その前には平田鐵胤の門下でもあった。ただ、だからといって、両者の関与した系図史料がすべて正しい内容という訳ではないことにも十分に留意される。これは、一般論として何度も繰り返していわねばならないことである。多くの系図を見てきても、誤写・誤記や誤解ももちろんある。
 
   もう少し付言すると、
@ 遠江の井伊氏が三国真人姓に出自するというのは、たしかに系譜仮冒とみられるが、そうした系譜所伝は中世からあったものである。日蓮の系譜にも関連する。井伊氏の実系探索はきわめて難しい点もあるが、在地の古族の流れを汲むものとみられ、その橘関係の伝承などから推すると、物部氏族系の遠江国造か海神族系の神服部連同族とみられる浜名県主かの出自(後者の可能性のほうが大きいか)、というのが穏当なところか。いずれにせよ、藤原氏北家の良門流という通行する系図はまるで疑問であり、鈴木真年『華族諸家伝』では為憲流藤原氏で井伊家を記載するが、これにも疑問があり、結局、現在には系図が残らない神服部連同族とするのが比較的妥当な模様である。

A 越中の石黒氏が利波臣に出自したという系譜の原典探索も、現在では難しいが、この系譜自体は総じて妥当だと考えられる(初期部分には系譜仮冒も見られが、これは鈴木真年が偽造したものではない)。学究ではあるが、専門が理科系農業関係という分野違いの石黒秀雄氏の批判は自家に伝わる家伝(実のところ、この利仁流の系譜は疑問大)に拘りすぎて冷静さを欠いており、指摘が明らかに間違いであることは、本HPの鈴木真年翁の系譜収集先−併せて「越中石黒系図」を論ず− を参照されたい。ただし、利波臣が武内宿祢の後裔というのは系譜仮冒であって、吉備氏同族とみられる(『古事記』の記事が最も妥当)。
 最近、鈴木真年が若い頃に穂積真香の名で著述した『真香雑記』に、江戸末期までの石黒氏系図が記載されていることが分かり、これが「越中石黒系図」につながる後ろの部分と推定される。この原蔵者は、富山県ではなく、岡山県にいて、幕末頃には家がいったん絶えたようでもあるが、その後継関係者が箱館戦争に参陣している。


 
 <参考1>

 日本の古代史においては、八世紀以降はどの学説でも大筋の歴史としてはあまり変わらないといってよい。一方、それ以前の時期については、歴史の見方・立場によりかなりの差異があって(とくに、時間と場所の把握には誤解が多く、人名・神名の把握にも問題が多々見られる)、これが古代氏族研究ひいてはその系譜研究に影響を及ぼすことが多いと考えられる。そのため、七世紀末までの歴史の流れを見るための書を、これまた独断で参考のためにあげておきたい。
 
笹山晴生『日本古代史講義』1977年、東大出版会
王金林『古代の日本−邪馬台国を中心として−』1986年、六興出版
鈴木靖民『古代国家史研究の歩み−邪馬台国から大和政権まで−』1980年、新人物往来社

朝鮮半島関係では、李丙Z『韓国古代史』金思Y訳、1979年、六興出版

 これらは30〜40年前の書であり、現在では改訂になったり絶版などの事情で入手困難となっているものもあるかもしれないが、総じていえば、古代史分野で諸書あまたあるなか、比較的に公正な姿勢で記述されており、古代史を見る基本的な立場を考えるうえで取り上げた次第である。最近では、継体天皇より前の時期については考古学主体の人名抜きの記述がなされるが、この手法では、歴史や具体的な人物の記述ができないことに留意すべきである。考古学は歴史学の補助分野にすぎないし、「モノ」だけの分析・調査で総合的な人間の歴史歴史の大きな流れ)が分かるはずがない。歴史を形成したのは人間たちであるという基本が喪失しているといえよう。

 ただ、地域の歴史を考えていくとき、考古学の資料・所見もたいへん重要であり、これらをよく吟味したうえで、適宜活用する姿勢が必要である。とくに最近までの様々な遺跡・遺物の発見は貴重である。これは、考古学者の見解を丸呑みせよ、ということでは決してない。文献学者のなかには、無批判に考古学者の見解を受けとめて、その基礎に記述する論考もかなり多く見受けられるが、これでは危険な結論に導かれるおそれもある。
 古代史においては、中世史と異なり、地理と時間の二大座標軸どこの場所で、いつ事件が起きたのか)が確定的なものとなっておらず、そこにアプローチの大きな差異が出てくることを認識する必要がある。併せて、事件に関与する人物(Who、Whom)にも十分、留意して検討を加える必要がある。




 <参考2>

 系図の検討方法について、管見に入ったところでは、例えば次のような論考・説明の記事もあるので、ご参考までにあげておく。
 
1 近藤安太郎「系図の真偽について系図については鑑識眼が必要−」(『日本姓氏家系総覧』歴史読本特別増刊 事典シリーズ11
本HPで記述してきたことと相通じる趣旨が、「歴史学界では“二次史料”」「出自の部分に特に問題が多い」という項目立てのなか、具体的な事例をあげて、分かり易く簡潔に記される。
  なお、系図の鑑識眼は多くの系図資料にあたっていくうちに磨かれるものであって、歴史学専門分野の大学教授といえども、系図の取扱いや分析・調査において、お粗末さを露呈していることが多いことには、問題が大きいと言わざるをえない。要は、誰が言ったのかではなく、何がどのように言われたのか、ということである。
 
2 武田光弘「家系調査の基礎知識」『歴史研究』誌、2007年七・八月号、第553号
武田氏(もと日本家系図学会会長)がかつて同誌にミニ講座シリーズで連載された記事をまとめて整理したものであり、主として、現代につながる先祖調べの方法、「家系」の調べ方が五つのステップで具体的に解説される。ここでは、丸山浩一著『家系のしらべ方−わが家の先祖研究から系図・系譜作成まで−』(金園社、1992年)が優れた書としてあげられる。併せて、系図研究の基礎についても記される。
 
なお、武田氏の記事では、@『姓氏家系大辞典』及びA『日本紋章学』、B『大日本地名辞書』を三つの根本資料としつつも、「発行後相当年数が経っていることで、収録記事とか統計的な数字はその当時の限定史料に基づくこと、引用される諸文献が十分な校合がなされていないこと」という問題点があげられる。これら三書刊行後の史料の公開・発見などもあって、その記事の現在の利用にあたっての限界も記されるから、この辺の事情には留意すべきであろう。
こうした諸事情にあっても、これら三書は不朽の名著であり、新しい史料が増大し利用できるようになっても、これら書での言及・指摘は有効なもの、示唆深いものが多く、それぞれの分野の原点であり、最高水準に近いものであることは今でも変わりがない。利用に当たっては、その後の地名・地域の変遷にも、十分に留意しておきたい(もちろん、いくら優れた著作でも、誤記・誤解もたくさんあることに注意)。
  『姓氏家系大辞典』においては、きわめて多くの系図史料を些細なものに至るまでに紹介しており、その収集範囲の広さには改めて驚くことが多い。それでも掲載に漏れているもの(国会図書館や宮内庁書陵部など関東に所蔵される系図史料類)もまた少なくないのだから、現存するものでも系図関係資料は膨大であるといえよう(更に、東大史料編纂所などの所蔵史料が漏れており、また真年・憲信関係も殆ど太田博士の目に入っていない)。同辞典の記事のなかには、誤植・誤記や、いまとなっては誤りの記事や見解も、実のところかなり多くあるが、それも一つの有益な参考意見といえる。それは、著者の太田亮博士がきわめて多数の系図類にあたり、自らの頭で具体的に考察・研究を長年にわたり続けてきて、そこで培われた優れた鑑識眼により記された事情があるからであるといえよう。
 私は、常々、太田亮博士及び佐伯有清博士などの学恩に深く感謝しているところである。だからといって、これら先学の見解を無批判に受け入れるつもりは毛頭ない。
  
   (07.9.11〜13 掲上、08.4.29、08.11.10、09.9.23、17.1.28、20.12.07などに補訂)


   
  併せて、系図の検討方法についての試論 もお読み下さい。
  
   とくに 中世系図についての検討方法もあります。

   中世系図には様々な系譜仮冒が見られ、また、信長・秀吉・家康の国取りに従って立身出世した諸武家の系図には、殆どに系譜仮冒があります。公家の家にだって、系図仮冒が見られるものが幾つかあります。これらに限らず、中世・近世の系図は、その発生段階に多くの問題点を抱えるなど数多い問題点がありますから、冷静で合理的な検討が必要となります。



 
 
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