歴博発表資料「弥生時代の開始年代について」を巡って

                                        小林滋


 T はじめに

  この5月19日に「国立歴史民俗博物館」(以下、「歴博」)によって発表されました研究結果は、例えば朝日新聞(注1)によれば、「弥生時代の始まりが、考古学の定説より500年さかのぼりそうだと、考古学界では戸惑いが広がった。研究結果が事実なら、古代史の枠組みを大きく修正せざるを得ないからだ」というわけで、かなりのセンセーションを考古学界のみならず一般人の間にも引き起こしました。

  ですが、この研究結果は、これまで公開されている僅かな情報だけからすれば、いわれるような驚天動地のものではなく、むしろ様々の(それも大きな)問題点を抱えているのではないかと考えられます。そこで、以下においては、「歴博」のホームページに掲載されております発表資料(注2)を、そうした観点に立ちながらヤヤ詳しく検討してみたいと思います。これまで(03.6.7時点)、本稿に述べるような具体的な指摘をされる研究者が管見には入っておらず、こうしたあり方だとマスコミの力で学説の成否を決めるということにもなりかねないという危惧もあるからです。
  もとより、専門の研究者でない在野の者が、制約された資料の下で行う検討に過ぎませんから、誤りや誤解が含まれていることとも思います。そうした点につきましては、読者の皆さんから忌憚のないご批判ご意見を賜れば大変ありがたいと思います。それらを踏まえて、さらに検討していきたいとも思っております。

  (注1) 2003年5月20日付35面。
  (注2) http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/news/index.htm#zu1

 
 U 歴博発表の検討

 @ 歴博の発表の形式について

)問題点

@) 発表資料の本文は、極めて重要な問題を取り扱っている文書にしては全体として驚くほど短く(およそ3000字)、単に次の3つ(小項目まで入れれば6つ)の項目から構成されているに過ぎず、中心となるはずの「測定結果」については僅か500字しか述べられておりません。加えて、最後の項は、当該測定についての評価(コメント)といった位置付けであり、測定自体に関わる部分は、タッタの2000字弱に過ぎません。

 ・「概要」

 ・「研究の経過と結果」(今村峯雄、藤尾慎一郎)

     ・「研究の経過」
     ・「測定史料」
     ・「測定結果」

 ・「炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代」(春成秀爾)

A) このように全体的に短い本文の中で、同じ事柄が繰り返し述べられています。例えば、

 a.「概要」の項において、「九州北部の弥生時代早期から弥生時代前期にかけての土器(夜臼U式土器・板付T式土器)に付着していた炭化物などの年代を、AMS法による炭素14年代測定法によって計測したところ、紀元前約900〜800年ごろに集中する年代となった」。

 b.「研究の経過」の項において、「これまで得られた30点以上の試料の年代データを分析し、弥生時代前期初頭の年代として紀元前800年前後(誤差30年程度)という数値を得た」。

 c.「測定結果」の項において、「夜臼U式、板付T式の土器に付着したスス・コゲから得られた年代は、夜臼U式が前900〜750年の間95%、板付T式を前800年ごろに95%の確率で絞り込むことができる。このように、九州北部の弥生時代早期から弥生時代前期にかけての夜臼U式土器・板付T式土器に代表される試料11点のうち、10点が紀元前約800年をはさむ年代に集中する結果となった」。

 d.「炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代」の項において、「夜臼Ua式が前9世紀末頃、夜臼Ub式・板付T式が前8世紀初め頃となっている。…すなわち、北部九州の弥生早期は少なくとも前9世紀、弥生前期は前8世紀までさかのぼる可能性がつよくなってきた」。

B) にもかかわらず、こうした考古学上の研究成果においては死活的に重要だと思われる事柄についての記載が一切なされてはおりません。すなわち、先ず測定に使われた試料に関する具体的データです。どの遺跡のどの出土物の何をどれだけ試料として使ったのかに関する具体的記述が見受けられません。単に、「測定試料」の項に、「試料は写真1に示した遺跡から出土した土器に付着したスス・コゲ、炭化物、炭化米、木杭である。地域は韓半島南部、対馬、玄界灘沿岸地域、佐賀平野、薩摩、周防灘沿岸の諸遺跡である」と述べられているに過ぎません。
  更に、「測定結果」についても、「板付T式(前期初頭)に属する土器資料の推定年代は前800年(95%の信頼区間で前830-750年)」などといったごく簡略な記述が見られるだけで、どの遺跡のどの出土物のどれが具体的にそれぞれどんな測定結果だったのか一切明らかにされてはおりません。

C) こうした専門的な研究に基づく成果の発表は、通常であれば学会発表か、あるいは学術誌への論文掲載が先行するもの(先行すべきもの)と考えられますが、今回の場合は、先ずいきなり5月19日に記者会見が行われ、加えて今後の予定についても、発表資料の「概要」の項に、「この成果は平成15年秋に開催の「先端科学による歴史発見(仮)」において展示される」との記載があるだけです(注3)

D) 研究当事者による単なる発表資料に過ぎないにもかかわらず、あたかも既に確定した事柄であるかのような記述がなされています。

「研究の経過」の項では「これは、多くの教科書に採用されている前3世紀より、400〜500年さかのぼる年代であり、従来、弥生時代早期(縄文時代晩期終末期とする研究者も多い)とされてきた前5〜4世紀より300〜400年さかのぼる暦年代である」と述べられ、また「測定結果」の項でも「これは、従来の年代観であった前300年から500年さかのぼっている」と述べられてしまっています。

  更には、「炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代」の項においては、「弥生時代が始まるころの東アジア情勢について、従来は戦国時代のことと想定してきたけれども、殷(商)の滅亡、西周の成立のころのことであったと、認識を根本的に改めなければならなくなる。弥生前期の始まりも、西周の滅亡、春秋の初めの頃のことになるから、これまた大幅な変更を余儀なくされる」と、今回の測定結果による年代が、仮説ではなくあたかも既に確定された値であるかのごとき記述がなされています。

E) 細かな点ですが、ヨク理解できない表現が発表試料には散見されます。

 a.「測定結果」の項の冒頭に「結果については、一部、既に遺跡調査報告書(福岡市雀居遺跡第12次調査、資料6参照)でまとめられたものもあるが、ほとんどは未発表であるので、付属資料の雀居遺跡報告書からの、図3によって示す」とありますが、発表資料の本文には「図3」なるものは添付されておらず、かつ補足資料Tにある「図3」は「日本の木材の炭素14データと暦年較正曲線(欧米の木材)との比較」という題名のものであり、ここで指示されている図ではありません。

   従って、この「図3」というのはおそらく福岡市雀居遺跡報告書(いつ公表されたのかなどにつき一切の記載がありません)の付属資料にある「図3」ではないかと思われますが、仮にそうだとしても、「測定結果」の後半部分に記載されている「佐賀県唐津市梅白遺跡、福岡市早良区橋本一丁田遺跡の夜臼U式、板付T式の土器に付着したスス・コゲから得られた年代」は、一体全体何によるものなのでしょうか(具体的にどの図、どの資料なのか)?

 b.「炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代」の項に、「2)これまでの較正値では、夜臼Ua式は橋本一丁田、梅白、雀居の3遺跡9点のうち1点(梅白4)だけがかけはなれて古いほかは、8点とも前820年頃を中心に前9〜前8世紀に収まり較正値は安定している」と述べられています。

   ここにきて突然「較正値」なる用語が飛び出しますが、それは補足資料Uの「用語」に従って「較正年代」と改めるべきだと思います。ですがそんな些細なことはサテ置き、この文章からは、「夜臼Ua式は、前820年頃を中心に前9〜前8世紀に収ま」るのは「これまでの較正値」だとしか読めません(直前の文章にも、「炭素年代の較正値では、縄文晩期の始まりは前1200年前頃、弥生中期末の一点が前50年頃であることが、これまでわかっていた」とありますから、このように読むのが常識的でしょう)。そうだとしますと、それでは今回の「較正値」はどんな内容なのか、という疑問が直ちに湧くはずですが、それについての記述は勿論ありません。

 c.同じ「炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代」の項に、「3)これによると、夜臼Ua式が前9世紀末頃、夜臼Ub式・板付T式が前8世紀初め頃となっている」と述べられていますが、いくら読んでも冒頭の「これ」に該当するものが何を指すのか一向に判然と致しません。

 d.この発表試料において測定されている試料の数は、「研究の経過」の項では「30点以上」とされていますが、「測定結果」の項では「試料11点」とされ、上記bの引用でもおわかりのように「炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代」の項では遂に9点」だとされています。一体どの数字が正しいのでしょうか? この辺は、他の研究者が検証する意味でたいへん重要なはずですが、具体的な資料明示がないため、これまたブラックボックスとなっています。

 e.発表資料の「研究の経過」の項では、「弥生時代前期初頭の年代として紀元前800年前後(誤差30年程度)という数値を得た。これは、多くの教科書に採用されている前3世紀より、400〜500年さかのぼる年代であり、従来、弥生時代早期(縄文時代晩期終末期とする研究者も多い)とされてきた前5〜4世紀より300〜400年さかのぼる暦年代である」との記述が見られますが、冒頭では「弥生時代前期初頭」と言いながら、後半になると「弥生時代早期」が顔を出し、用語不統一のため結局何を言いたいのか理解し難くなってしまっております。

 f発表資料の「概要」及び「測定結果」の項では、「九州北部の弥生時代早期から弥生時代前期にかけての夜臼U式土器・板付T式土器」と述べられていますから、弥生時代早期=夜臼U式土器、弥生時代前期=板付T式土器だと解釈できますが、「炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代」の項では、「北部九州で水田稲作を本格的に始めた時期を弥生時代早期(略して弥生早期)と呼び、夜臼T式、Ua式と細別する。そのあと、弥生時代前期(弥生前期)がつづく。この時期を夜臼Ub式・板付T式、板付Ua、板付Ub、板付Uc式と細別する。」とあり、「概要」及び「測定結果」のごとく簡単に分類が出来ないようで、さらに「年表」になりますと、「早期」に属するものの中に、極めて重要な「夜臼U」が記載されてはいないのです!

)検討

@) 先ず、こうした短い上に内容を伴っていない(そしてかなり混乱している)発表資料により、一体誰が何をわかることになるのか非常に疑問に思えます。同志社大学名誉教授の森浩一氏は「放射性炭素14の新しい測定法というが、そんなもん考古学者には誰もわからん」と述べているようですが(注4)、そこまで過激に言わずとも、一般の考古学者にとっては、このように簡略な発表文を見せられても適切な判断のしようがないものと考えられます。

  要すれば、詳しい計測データなどが記載された学術論文がこのまま発表されなければ、神御一人によるご託宣と全く同様に、信ずるか信じないかの選択しか与えられていない事態に研究者は追い込まれてしまうものと思われます(注5)。もっとも、そうした状況のもとで、簡単に信じ込む研究者の頭の程度も問題だといえましょうが。
 考古学がいやしくも「科学」であるとしたら、研究成果につき、研究当事者ではない他の専門的研究者による検証(追試)がいくつかなされ確認されて始めて、それは科学的な学説になるものと思われます。今回のような、一方的な結果だけの発表では科学的とは到底言えないでしょう。

A)更に森浩一氏は、「学会で発表する前に記者会見を開いて教科書が書き換えられる≠ネんていうのはルール違反。…マスコミを利用して仮説を広めていくのはまずいと思う.…もっと内部で揉んでから発表すべきだ」などとも述べているようですが、至極尤もだと思えます。

  今回のように、他の研究者による検証が不可能な形による発表によって、果たして結果についての優先権が発表者側に与えられることになるのでしょうか?もしそれが許されるのであれば、どんな事柄でも構いませんから、研究途上のものを何はともあれ出来るだけ早い機会に記者発表した方がいいことになってしまいます。ですが、これでは、考古学界の一層の荒廃を招来してしまうでしょう。功名心から行動して、かえって汚名を被った先例がいろいろあるようであり、科学者としての良心に恥じない行動を期待したいところです。
  加えて、発表資料にある「2001年度からは、科学研究費による3ヵ年計画で、共同研究「縄文時代・弥生時代の高精度年代体系の構築」を進行中である」を捉えて、今回の発表は、予定される独立行政法人への移行に向けて(注6)、自分達の事業を学界というよりも一般に向けてプレイアップしようとの動きだと勘ぐられても(見破られても?)、仕方のないところでしょう。

B) また、森浩一氏は「旧石器の時だって、どんどん新聞に発表して、それが本当のようになってしまった」と述べて、2000年11月に発覚した旧石器捏造事件との関連性に注意を促しております。
  読売新聞も、その社説において、発表の問題点をいくつか掲げた上で、「歴史の謎は、素人にとっても興味が尽きない。日本史の根幹にかかわる新説について、学界で大いに議論を重ねて欲しい。…論争が盛り上がれば、旧石器発掘捏造問題で揺れた考古学界の再生にもつながるはずだ」と、同じように旧石器捏造事件との関連性を指摘しています
(注7)

  あれだけ日本考古学界を震撼させ、この5月24日には「すべて捏造」であるとの結論が出されたにもかかわらず(注8)、またしても学会の内部で十分な討議を経ないままの研究結果がイキナリ新聞発表されて既成事実化してしまうという状況に対して、強い疑問を感じざるを得ないところです。少なくとも、旧石器捏造事件についていえば、こうしたことに無駄な時間と労力・財力を費やし、学問の進歩を妨げたという点で、重大な犯罪ともいえるのではないかと思われます。

 (注3) 朝日新聞5月26日付朝刊34面の記事では、「 紀元前3000年から前2000年ころまでとされてきた縄文時代中期が500年さかのぼる、と国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループが25日、東京で開かれた日本考古学協会総会で発表した。最新の放射性炭素(C14)年代測定法で分析した。同グループが19日に公表した、弥生時代の開始が500年さかのぼるという研究結果も、同時に報告された」と述べられております

(注4)『週刊新潮』6月5日号P.141。以下のAB(□表示の時はローマ数字の1,2の意味)も同じ。

  (注5) ホームページ「ZAKZAK」の5月19日分には、広瀬和雄奈良女子大教授が、「考古学で実年代は出せないから、方法に問題がなければ測定を信じ、解釈を考えるべきだ」と述べたとの記載があります。
  しかし、方法論において、理論的に一見、問題がなくとも、実際の測定の過程に問題があることもあり、また出た結果(計測値)の解釈に問題があることがあり、多くの観点からのチェックが必要であることは論をまたないものです。紹介された広瀬教授の言には、報道の正確さが欠けるのかも知れませんが、「信じること」と科学的態度とは相矛盾します。科学は疑うことから始まるのではないのでしょうか。

 (注6) 今の国会に文部科学省から提出されている「国立大学法人化法案」には、歴博のような大学共同利用機関の法人化についての規定も含まれております(平成16年4月法人化予定)。わが国の研究機関が一斉にそうしたことをやりだしたら、いわゆる「行政改革」とは、一体何を学問の世界にもたらすのでしょうか、肌寒い感じもします。

  (注7)5月23日朝刊3面ただ、「5月の読者相談」(〔あなたと読売新聞〕6月1日朝刊10面)では、「稲作の開始など日本の古代史を見直す必要がありそうな発表」だと述べ、かつ、「歴史的にとても興味ある事柄だ」とか「新たな夢とロマンをかきたてられます」などといった読者の意見を掲載することで、社説の論調と齟齬を来たしてしまっています。「夢とロマン」という言葉で、ごまかすような表現はきわめて問題が大きいと感じます。

 (注8) 本年5月24日付読売新聞には、「旧石器捏造問題の検証を続けていた日本考古学協会は、東北旧石器文化研究所の藤村新一前副理事長が関与した遺跡の採集・発掘資料について、すべて捏造と断定した。24日の総会で最終報告として発表する」との記事があります。
  多少の勘ぐりかもしれませんが、歴博の記者会見の日が「5月19日」とされたのも、「5月24日」の日本考古学協会による発表以前に行わなければ捏造事件との関連性を質されてしまう懼れがあると判断したからではないでしょうか?そうでなければ、なぜ通常考えられる手順に従って日本考古学協会で研究成果を発表したアトに記者会見を行わなかったのでしょうか?

 
 A 測定内容について

) 上記したことからおわかりのように、今回の発表資料の本文においては、冒頭に記載されている「九州北部の弥生時代早期から弥生時代前期にかけての土器(夜臼U式土器・板付T式土器)に付着していた炭化物などの年代を、AMS法による炭素14年代測定法によって計測したところ、紀元前約900〜800年ごろに集中する年代となった」ことが、若干の変奏を伴いながらも繰り返し述べられているだけで、これ以上には測定内容に関し何らの具体的情報がないといっても過言ではありません。
  例えば、「概要」の項において、次のように述べられていますが、ソウ述べることができる根拠は発表資料のどこにも記載されてはおりません。従って、この記載は情報量としてゼロの価値しか持っていないといえるでしょう。

1)韓国の、この時代に併行するとされる突帯文土器期と松菊里期の年代について整合する年代が得られた。2)考古学的に、この時期と前後する土器の型式をもつ土器の試料の年代値と考古学的編年の間にはよい相関が得られた。3)遺跡における遺物の共伴から、同時代とされる東北地方の縄文晩期の土器の年代と強い一致が得られた。」

  加えて、統計的データを何ら示すことなく、こうした統計学的な術語を書き並べることにどれほどの意味があると言うのでしょうか?

) そこで、発表資料の本文は諦めて、補足資料にあたってみましょう。ただし、補足資料のUは単なる用語解説ですので初めから検討対象からはずし、Tの「炭素14年代測定法」を検討してみることに致しましょう。

  ですが、儚い期待は見事に裏切られ、「炭素14年代測定法」についてのごくごく一般的な記述に終始してしまっていて、今回発表を具体的に根拠付けるデータなどは一切提示されてはおりません。発表資料本文との関連性を示す記載は、タッタの一箇所、「試料の適格性について」の3にある「コゲやススは土器編年と使用年代の関係を見るうえで良好なケースである」との記述だけです。

) 発表者側が言いたいのは、おそらく次のようなことではないでしょうか?即ち、補足資料Tからわかるように、「AMS法」による「炭素14年代測定法」は国際的に十分に確立した年代測定法であり(注9)、今回の発表はソレによって得られた成果なのだから(注10)十分信頼でき、従って詳しいデータなどを一般に示す必要もない。

  しかしながら、果たして「炭素14年代測定法」は十分に確立した年代測定法なのでしょうか?発表資料の補足資料のT及びUによれば、「炭素14年代を実年代に変換するための基礎データベース」である「暦年較正曲線」(INTCAL98)は、「欧米産木材の年輪試料を用いている」とされます。これは、「大気は対流圏でよく撹拌され、地球上の炭素14濃度はほぼ均一であると考えられるので、北米、ヨーロッパのデータをもとにまとめた「暦年較正データベース」が国際標準として用いられる」とされています。
  要するに、「年輪年代で暦年代を値付けした欧米産木材の年輪試料を用い、約11,800年前までの測定データをまとめている」INTCAL98を使って測定結果を導出したというわけです。

  ですが、ここまで来ますと、慧眼な本HPの読者であれば、キーッと急ブレーキをかけて立ち止まるに違いありません。ソウです。いくら科学的な装いを凝らしているAMS法といえども(例えば、「炭素14(14C)は5730年の半減期をもつ放射性同位体などといった物理学の用語を用いたりしていても)、実は一番重大なステップにおいてアノ問題の多い年輪年代法に頼らざるを得なくなっているのです。

  これ以上は繰り返しになってしまいますので、昨年11月16日に本HP「客人神の部屋」に掲上された拙稿「年輪年代法を巡って」のVの注6に譲りたいと思いますが、一点だけ申し上げるならば、日本における年輪年代法の第一人者である光谷拓実氏は、欧米と日本とでは気候条件などが相当異なっているに違いないというところから出発し、日本独自の年代測定尺度を作り上げようとしているのです。
  勿論、これまで本HPに掲上のいくつかの拙稿からおわかりのように、光谷氏の研究姿勢や手法に重大な問題があることは否定できません。ですが、今回のように、INTCAL98を使って得られた結果をなんの躊躇いもなくアッケラカンと発表されてしまいますと(注11)、あるいは光谷氏の方がまだしも良心的だとさえ、言いたくもなってきます(勿論、五十歩百歩でしょうが)。

 (9) 例えば、「国際的な標準となっている暦年較正曲線」(「研究の経過」、及び補足資料Tの「炭素14年代測定法の原理」)、「年輪年代との照合で得られる炭素14濃度の「暦年較正」データベース値の整備が国際的に進み」(補足資料Tの「炭素14年代研究の現状について」)、「北米、ヨーロッパのデータをもとにまとめた「暦年較正データベース」が国際標準として用いられる」(補足資料Tの「測定結果と信頼性について」)というように、「国際」という語句が発表資料にちりばめられています。

 (注10) 「AMS法による炭素14測定を米国、および日本の研究機関に依頼する形で調査研究を行っている」と、「研究の経過」の項で述べられております。とすれば、歴博の研究者にとっても測定自体はブラックボックスであって、彼等は、そうした「測定機関」から与えられる年代数値を単に仰々しく受け取り発表しているに過ぎない存在(発表資料を読む我々と余り立場の変わらない存在)」と言えるかもしれません。

 (注11) 今回の発表資料の「炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代」の項には、「6)炭素年代によって得られた弥生前期の年代は、年輪年代とは整合的である」との記述がありますが、このような付記が殊更に必要だと考えているわけですから、発表者側にもAMS法についての理解が乏しい方が混じっているのではと推定されても仕方のないところでしょう。

 
 V おわりに

イ)今回の歴博の発表につきましては、随分とソッケナイ内容だったにもかかわらず、考古学上の新しい動向が見られた際に従来なされたと同様、マスコミ各紙で大きく取り上げられ、四大紙が第一面を使って大々的に報道されたことは驚きに堪えません。別途、詳しい説明が歴博から文化関係記者に対してあったのかも知れませんが、無批判な取り上げ方などこの辺りに大マスコミの堕落があるようにも思われます。

また、考古学者の談話も様々に掲載・報道されました(注12)。中でも金関恕・大阪府立弥生文化博物館長は、なぜか大部分の新聞に登場されております。
  それらの談話が正確なヒアリングに基づくものであれば、金関氏は今回の発表に対して当初かなり慎重な姿勢を示されていたようにみえます(注13)。ところが、6月3日付読売新聞夕刊6面に掲載された寄稿「弥生時代「起源」への視点」においては、当初の慎重な姿勢は完全にかなぐり捨てられ、「AMS法と呼ばれるこの測定法は、…はるかに精度が高められたものであり、また測定された年代を、暦年代に置き換える国際的な基準も整ってきたという。こうした説明をきけば、新しく提示された年代を無視することは難しい。革命的な発明、発見があれば定説が変わることは不思議ではない」と、手放して信じ込まれるに至っております。

  発表資料に見られるような簡略な説明で、どうして当初の慎重な姿勢がかくも「革命的」に変化してしまうのか、まったく不思議で仕方ありません(注14)。中身について考古学者は一切吟味など出来ないブラックボックスから取り出された神のご託宣≠簡単に信じ込まれ、これまでの長年の研究成果をいとも手軽に捨ててしまうというのは、アノ旧石器捏造事件の際に日本の考古学界のとってきた姿勢と寸分違わないのではないでしょうか?

ロ)以上におきましては、年代測定それ自体に関わる問題を専ら取り上げました。測定結果と考古学との関わりなどについては、そもそもの入口に重大な欠陥があると思われるところから取り上げるまでもないと考えた次第です。
  ただ、一点だけ申し上げれば、本HPに掲載の拙稿「その後の年輪年代法について(追補)」(本年3月23日掲上)で申し上げましたように、今回の発表資料において当然視されております「弥生早期」という時代区分は、現在の考古学の世界において賛同者は多いものの、遍く認められているものではないようです
(注15)
  この概念が使われる背景には、弥生時代と稲作との結びつきを重視する考え方があるものと思われます。すなわち、ある発掘された遺跡において稲作・水田耕作の跡が認められるのであれば、その遺跡は弥生時代に含まれているとすべきだというわけです。ですが、そのような機械的な見方に従うべきではなく、実質的に農耕社会が成立することを以って弥生時代が始まるとすべきだとも主張されているわけです。これは、弥生時代というものを全体としてどのような構造をもった社会と捉えるのかという問題に結びついていると考えられます。

  今回の発表においては、「弥生早期」に属すると認められる土器に付着した炭化物を使って年代測定が行われたことから、そしてその年代が紀元前9世紀と測定されたことから、弥生時代そのものが500年遡るとセンセーショナルな騒ぎを引き起こしたわけですが、これだけではおよそ無意味な情報価値しかもたないものと思われます。
  社会構造上の何か大きな変化があったと考えられるようになったとか、わが国周辺の地域における動向につき新しい発見があったなどの考古学的な要因が何もないところで、単にある時代区分の範囲を過去に向けていくら広げましても、それだけでは水増しとか架上であって、学問的には何の意味も持たないのではないかと考えられるところです。およそ歴史が人間の営みの足跡を追う学問である以上、様々な交渉・交流のあった地域との関連なしで、モンロー主義のような歴史観は許されません。そして、考古学も歴史関連の学問分野である以上、そうした制約に従わざるをえないところだと思われます。

) 最後になりますが、今回のように、従来の考古学が営々と研究を積み重ねて得られた定説と、科学的と称する手法によって得られた成果とが大きな齟齬を来たしている場合、考古学の研究者等はいかなる態度をとるべきなのでしょうか

  拙稿を引用するのはやや気が引けるところでもありますが、私自身としてはヤハリ次のように考えたいと思います。

「「年輪年代法」と放射性炭素年代法との間のクロスチェックもさることながら、むしろより一層大切なのは、これまでに膨大な蓄積のある考古学とか文献史学との間の「共同研究」ではないかと考えております。これらによる研究成果と「年輪年代法」との間で年代に開きが見られる場合には、「ようやく基盤が整ってきた」ばかりの理化学的な分析手法によって得られる数値を科学的だとしてスグサマ頼りにしてしまうのではなく、先ず基準とすべきは、従来からの研究手法によって得られた成果の方ではないでしょうか?こうした「共同研究」を通じて、むしろ「年輪年代法」自体が持っている短所を一つづつ修正していく手続きが、今後は何としても不可欠ではないかと考えているところです」
       (本HP「客人神の部屋」に掲上の拙稿「年輪年代法を巡って」より)

  金関氏も、上記寄稿に縷々書かれているように(注16)、これまでの考古学の手法もキチンとした理論的な根拠を示しつつ年代の付与を行ってきたはずです。誠にオコがましい言い方なのですが、考古学者(「研究者一般」と置き換えても良いように思われますが)が本来とるべき道は、新しい手法による新しい年代測定がいくら華々しく行われようとも、これまで採ってきた手法に内在的な重大欠陥が見つからない限りは、そうした新たな測定値は参考値の一つとして扱い、様々な検討・検証を加えたうえで厳正に対処すべきではないか、と思われます。新しい測定値が発表されたら従来の年代値をいとも簡単に捨て去ってしまうというのでは、これまでの研究はそんなにもいい加減なものであったかということの証明にもなりかねませんし、ひいては新しい年代数値を妥当だと考える(「信ずる」という表現自体がおかしい)というその姿勢までが、酷く疑わしく見えてきてしまいます。

  大塚初重・明治大学名誉教授は「今回の発表を機会に、考古学と自然科学による年代を整合させるための議論を、学界を挙げて深めるべきだ」と訴えているそうです(注17)
 
しかし、「学界」が考古学と自然科学の両学界という意味であれば、ことは考古学の話なのですから、考古学界としても、個々の考古学者としてもモット毅然たる態度を取るべきではないでしょうか?考古学者はそんなにも自信がなく、自然科学の知識がないのでしょうか。すなわち、「考古学と自然科学による年代を整合」すると漠然と言うよりも、まず、個々の考古学者が忌憚のない議論・批判を展開することが必要であり、次に、むしろ「自然科学」を「考古学」に「整合」させるくらいの気概が考古学界としても必要なのではないか、と思われるところです。
  もちろん、これは考古学の結論に対しやみくもに自然科学を従わせるということではありません。考古学者が基礎的な自然科学の知識(当然、その「限界」も理解することになります)をしっかり持って、理論的実証的な各方面から的確かつ十分な検証をしたうえで、自然科学的な手法を随行させて考古学の成果を着実に積み上げ、総合的に体系化していくことという意味です。その際、考古学は歴史学関連分野であることの認識をしっかり持って、人間が作った物を研究する学問であることを常に忘れないことです。

 
 (注12) 例えば、5月20日付朝日新聞35面では、「弥生時代に詳しい小田富士雄・福岡大教授は「一機関の測定結果だけでは、にわかに信じがたい。分析対象をもっと広げる必要がある」と話す。中園聡・鹿児島国際大教授も「分析の結果か、これまでの考古学研究か。どっちかが間違っているんだけど」と、発表を衝撃的に受け止めた」との記載があります。(もっとも、可能性からいえば、両方とも間違っている疑いもないわけではありません)
  同日付産経新聞によれば、寺沢薫・奈良県文化財保存課主幹は「炭素14年代測定法で多くの調査がされたがばらつきが多かった。今回と同様のデータもあったが、採用されていない」などと述べているようです。また、石川日出志・明治大学教授も「考古学の体系で洗い直しをするためにも、議論の場を作ることが大事」と述べているようです。
  こうした様を見るにつけても、2年ほど前に、法隆寺五重塔心柱について年輪年代法による測定結果が奈良文化財研究所光谷室長によって発表されましたが、その際の大騒ぎが思い出されるところです。

  (注13)朝日新聞の5月20日付朝刊1面には、金関恕氏が、「より説得力を持つためには、年輪年代法など他の技法による検証をさらに進めることが必要だろう」と述べている談話が掲載されています(ただこれでは、較正曲線の成り立ちについてヨク知らないことを暴露してしまっていますし、もともと年輪年代法による測定が十分可能な木材の出土などなかったために、土器に付着した炭化物などの測定を行ったのでしょうから、同氏が一体何を言おうとしているのか理解しがたいところです)。
  日本経済新聞の同日付朝刊38面でも、「測定された年代も「確率が高い」ということで絶対的ではない。…調査結果が唯一無二のものではない」などと述べております。 
 また、同日付の毎日新聞朝刊1面では、「測定は慎重で尊重したいが、問題が大きく、吟味すべきことは多い」との談話が、更には産経新聞1面でも「重要なデータだけにほかの研究機関などによるクロスチェックは必要だ」との談話が掲載されております。

  (注14) 6月3日の寄稿において、金関氏は、「年輪年代法は、年ごとの気象の変化を反映して形成される樹輪の厚薄を利用したもので、考古学の年代を知る上で現在もっとも信頼性の高い年代測定法である」と述べております。こうした認識をお持ちだからこそ、金関氏は上記注で引用しましたような談話を発表されたのでしょう。光谷氏による年輪年代法の問題点ないし欠陥が分からない研究者には、今回の炭素14法測定結果の問題点など気づくわけがないのかもしれません。

 (注15) 発表資料の「研究の経過」の項には、「弥生時代早期(縄文時代晩期終末期とする研究者も多い)」との記載が見られますが、「炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代」の項では「弥生時代早期」の時代区分は当然視されています。

  (注16) 「目安の一つは、…夜臼式、板付式など弥生初期の土器と、鋳鉄の斧や板状の鍛鉄製品が出土していることである。鉄器は、中国では春秋後期(前6〜5世紀)に鍛鉄として作られ、やや遅れて鋳鉄の製造が始まった、というのが定説となっている。このような資料に基づき、弥生時代開始年代を早くとも前5世紀ごろとしたのが従来の考古学年代だった」。
  今回の測定結果を受け入れられる金関氏は、それではこの「定説」についてどのようなお考えを持っておられるのでしょうか?むしろ話は逆で、この「定説」を覆すような具体的な知見が何か得られたために、従来からの弥生時代の初め頃の実年代を改めようとするのではないでしょうか? そうした際には、今回の測定結果も参考として使えるのかもしれませんが、弥生年代繰上げの契機が従来の考古学的手法ではなく、かりに年輪年代法に基づく計測値だとすると、話はおかしくなります。
  なぜなら、まず炭素14法によって年輪年代法の年代測定値を繰上げ、次に年輪年代法に基づいて炭素14法の年代測定値を繰り上げるとなると、きりがありません。いったいどこまで年代架上すれば、研究者の満足が得られるのでしょうか。中国や朝鮮半島の歴史が繰上げ過剰となっていることは、中国古代史の専門家宮崎市定氏が『中国古代史論』で夙に指摘しているところでもあります。

 (17) 読売新聞520日付朝刊38面。

              (以上、03.6.7掲上)

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 <追記>

(1) 読売新聞記事 

  03.6.9付けの読売新聞夕刊15面に片岡正人記者が「旧石器ねつ造 学界の検証終わる」という題で書いているが、歴博の5月19日の発表に対する反応として、「もちろん、「学問の新たな進歩」と好意的に受け止める向きが大勢だった」と記している。
  ここに、この記者のいい加減さが如実に現れている。なぜ、「もちろん」なのだろうか? その少し前の段落に「なぜ、素人のインチキを見抜けなかったのか」と彼は自問自答しているが、その答は、誰も検証できない結論をその装いに目眩ましされて丸呑みしたこと( 関係の考古学者が科学的検証*の熱意に欠けていたこと )で、自明のはずである。そうした問題意識と反省がない故に、歴博の同様な結論提起をまたまた丸呑みしようとしているのであろう。数年後には、こんどは「なぜ、プロのインチキを見抜けなかったのか」と書くことになるのではなかろうか。
  そして、片岡記者の記す学界の大勢がもしその通りであるのなら、大勢の「好意的な」考古学者は、実際のところ旧石器捏造事件を全く反省せずにおり、教訓としていないことも明らかである。またしても、「失われたものはあまりにも大きい」ということにもなろう。(嗚呼!!)
  
願わくば、そうした考古学の道連れに日本古代史学がならないことを、ただただ願うのみである。

*養老孟司氏は、ウィーンの科学哲学者カール・ポパーの言「反証されえない理論は科学的理論ではない」を引きつつ、「厳しい反証に晒されて、生き残るものこそが科学的理論だ」と記述している(『バカの壁』新潮新書、2003.4)。これは、まったく当たり前のことであるが、反証(検証)の材料さえ提供しない仮説を信じるのは少なくとも科学的態度とは言えない。

                                          
(樹童 03.6.9記)

(2)朝日新聞記事
  
03.6.8付けの朝日新聞記事によると、名大の山本直人教授(考古学)らの研究では、C14年代測定で、弥生期の測定と同様に加速器質量分析計(AMS)を使い、愛知県の朝日遺跡など濃尾平野の6遺跡から出土した弥生後期〜古墳前期の土器などに付着したすすなど炭化物37点を分析し、年代補正した結果、今度は濃尾平野の古墳時代の始まりが従来説より100年前後早い西暦80年ごろとする結果が出た、とのことである。
  これは、もういい加減にしてくれと言いたくもなる。AMSの信頼性を誰が保証したのであろうか。過去の計測結果でも、紀元元年前後だと、C14法による年代測定値が年輪年代法測定値のほうよりもかなり古く出ることが傾向的にはっきりしている。そして、年輪年代法の測定値が従来の考古学的な積上げ値よりも200年ほど古く出ることも明らかになっていて、それが当今の問題とされているのである。大気中のC14がどの地域でも一定であったかどうかなど古代の気候環境の細かい差異について、誰も確かめることができないことは明らかである。このことは、わが国の年輪年代法による年代値でも、同様である*1
  これでは、C14や樹木の年輪という自然現象によって、忽然と「古墳」が造られるとでも言いかねないところである。古墳が、どのような時代や社会の背景の下で、なぜ作り出されたのかという基本研究が全くなされていないし、そうした問題意識も見られない。そろそろ、考古学者は頭を冷やして、原点に戻ってきちんと着実に研究を重ねたほうがよいし、マスコミ関係者も報道姿勢を考え直した方がよいと思われる*2。仲間内で、誰もそうした基本路線を主張しないのであろうか。珍奇な新説がもてはやされる時代はもう終わって良いはずである。

*1 藤村氏による旧石器捏造を早くから指摘してきた竹岡俊樹氏(共立女子大非常勤講師)は、「宮城県を中心とした「前期旧石器」の遺物と遺跡のほぼすべてが一人の特殊能力の持主によって発見されている」と記述されたが、同様に、「わが国の年輪年代法による年代計測値がただ一人の研究者によって出されている」という状況を軽視できるものだろうか。そして、この年輪年代法の年代値と
C14法による年代値が互いに支え合っているのである。

*2 ここでも、養老孟司氏の言を引用するならば、氏は、「学者の日常はウケを狙うようなものではない。その本質はきわめて地味な活動である。ジャーナリズムが扱うような「事件」ではない。だからジャーナリズムが科学上の業績を誉めたりけなしたりするのは、常に例外についてである。」と述べている(「科学のつく嘘−業績主義に巻き込まれ−」毎日新聞00.11.12付朝刊に掲載)。

                               (樹童 03.6.14記)



 (「その後の動向など」へ続く)      (弥生時代開始時期の再考 へ続く

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