国宝『海部氏系図』の偽造性
   
     ─丹波国造に関係する諸系図の具体的な比較─

 

  古代系図に関して、これまで本HPでは、『海部氏系図』には多大な疑惑があることを種々記してきたが、具体的に系図の内容を比較したうえで、その偽造性の論証の一つとしたい。当該系図が「本系帳」などの形に合うとか言う議論は評価する立場から見られるが、問題にしたいのは系図に記載された内容が史実に合致するか、当該系図の原態に沿うものか、という内容の是非ということである。

 ここで取り上げるのは、
@籠神社の海部家に伝わる系図類
  ここで掲示するのは、田中卓博士が海部光彦宮司から受領したA・B両史料(原本の写し)を整理されたうえで、その著作「『海部氏系図』の校訂」(『田中卓著作集2』所収)に記したものである。
 A 海部氏系図:ここで問題とする国宝指定の系図史料。
 B 海部氏勘注系図:基本的に江戸初期頃の写しという性格は変わらないし、その由来が更に古くとも、内容的には杜撰な系図だとしか言いようがない。
 ※村岡良弼により偽書と断じられた『丹後国風土記残欠』の文章が、この海部氏勘注系図の譜記と一致すると荊木美行氏が指摘している(同氏の論考「『海部氏勘注系図』所引の風土記関係記事について」、『風土記研究』22号、1996年)。

Aこれに対して、尾張国造尾張連氏のほうで伝えた系図
 C 尾張氏系図:尾張氏 副田 佐橋 押田 系図 。 宮内庁書陵部に所蔵の系図で、橘氏系図と合綴され、明治の写しと記される。その旧蔵者を示さないが、次のDと内容がほぼ同じとみられるので、熱田神宮関係者に伝わる系図だとみられる。

 D 尾張連系図:中田憲信著作の『諸系譜』第一冊ノ三に「尾治宿祢系図」など数点の尾張氏関係系図とともに記載されており、その後ろに続けて明治九年(1875)九月に第六部華族の千秋季隆が会館(華族会館か)へ提出した家系が記される。だから、当該尾張連系図の所蔵者は誰かは明確ではない。

 E 中田憲信著作の『神別系譜』(東博所蔵)のなかに記載される丹波国造一族の系図部分:ここには、他書に見られない丹波国造初祖・大倉岐命から丹波康頼(その弟の孫まで記載)に至る一族系図の記載があり、『華族諸家伝』錦小路頼言条の記事内容から見て、鈴木真年もこの系図を承知していたものと推される。内容的には、海部氏関係はC・Dとほぼ同様である。当該系図の存在については、数年前に堀内様から教示をうけ、『姓氏と家系』第26号(2021年11月)に掲載の拙考「新出現の『神別系譜』と編者中田憲信」で説明をしたところでもある。

 ここで提示する系図としては、A・Bを一枚の図で、C・Dはその要点部分を一枚の図でこの頁に掲載し、Eは丹波国造一族のエッセンス版を一枚の図で示すこととしたい。

 A・Bの図    海部氏系図・海部氏勘注系図

 C・Dの図 
 



 E の図   丹波国造一族の系図部分

 <備考> 以上のA〜Eの五本の系図について、そのコピー(一部はエッセンスを見やすいように編集した箇所もあることにご留意)を掲上するが、文字などが見にくければ、C〜Eの三本はそれぞれ、宮内庁書陵部、国会図書館及び東博のデジタルベースに掲載があるので、そちらをご参照ください。

 以上、五本の系図を具体的に比較検討すれば、内容的にAの系図が優れていること史実原態に近いこと)が明確になるし、「国造本紀」や六国史などに見える丹波国造一族の関係記事とも符合することが分かる。
 籠神社奉祀の海部氏は、丹波国造を自称しても丹波国造そのものではなく、その支流にすぎないのである。『海部氏系図』(及び「勘注系図」も含む)に記載される歴代や海部一族の名もきわめて胡乱なものであることが分る。これは、渡来系の「丹波史千足」まで系図のなかに取り込んでいることでも、明白である。すなわち、『続日本紀』の和銅四年(711)十二月の記事に、「大初位上の丹波史千足ら八人は、太政官印を偽造し官位を偽って授与した科で信濃国への流罪に処した」と見える。このような「千足」の存在は、『海部氏系図』にも通じそうなのは一種の皮肉だろうか。
 また、併せて、伊勢神宮外宮神官の度会神主・石部直の系譜も、原態が丹波国造支流であったことが分るが、これは通行する同家所伝「伊勢国造一族」という出自が系譜仮冒であることとなる。「石部=磯部」であるから、海神族系の系譜をもつのが自然であり、伊勢国造は中臣連(山祇族系の氏族)の初期分岐であることを思えば、海神族系の丹波国造や尾張連の同族に位置づけられるものとなり、こうした形の系譜所伝の妥当性が分かる。

 こうした諸事情を知っていたからこそ、明治期の鈴木真年・中田憲信は、「海部氏系図」を一顧だにしなかったわけなのであろう。彼らの学識・鑑定眼を疑う見方も一部に散見するようだが、それを恥じる気持ちがむしろ必要で、謙虚に彼ら国学者の業績を認めるべきではなかろうか(なお、近現代の系図研究大家では、「海部氏系図」に関し、太田亮博士は『姓氏家系大辞典』でごく簡単に誤字混じりで系図の概略を紹介する程度だし、佐伯有清博士は『史学雑誌』〔93巻9号。1884年〕で、それまで出された諸学の説明の概略を簡単に記すのみで、自著『古代氏族の系図』では取り上げていない田中卓博士も、勘注系図と併せ資料紹介するが、具体的な分析・評価をしないし、社家所蔵の系図については遠慮がちな面が窺われる。あとは、総じて「系図を知らない」学究が何人揃っても、意味があるものだろうか)。

 「海部氏系図」に限らず系図研究にあっては、一般論として、
○できうる限り多くの関連する系図類・史料類を収集して、総合的に比較検討するする必要性がある。その意味では、主に中世系図の研究者だが、佐々木紀一氏の手法や検討方法が様々に参考になると思われる(その結論や評価をそのまま受け入れるということではないが)。
○歴史に関する広範な知識・技術(暦法や年代観、数学・統計的知識等々)、祭祀・習俗、名前や姓氏・苗字の知識(通字などの命名法)、世代比較論など多様な視点から、十分な史料吟味を絶えず行い、総合的に史実・原態の追求につとめることの必要性を痛感する。
 いわゆる「学究」の人々に見られがちな片手間で視野狭窄的な検討くらいで、簡単に系図評価(真偽等の是非など)をしてほしくない、という感じでもある。

 <備考> 『海部氏系図』の史料価値を否定したからと言って、その所蔵者を責める気は毛頭ない。ただ、系図吟味を含めて、史実探求にあたっては、十分に厳しくなければならないということにすぎない。問題となる系図の所蔵家が有するあらゆる史料類を適切に提示いただくことが先ず望まれる事情もある。本件に関わる田中卓博士や佐伯有清博士には、各々生前、様々なご交誼・ご教示を具体的に得させていただいたが、とくに田中卓先生はおかれては、ご自身の職掌に関係してか、史料所蔵者・神社関係者へのご配慮があるようで、そうした面が本系図や六人部氏の系図について窺われるように感じられる。

  (2023.04.10掲上。その後も追補

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