大川原竜一氏への書信最新貴考の『日本古代の王権と地方』(大和書房、2015年5月刊)に所載の論考「『越中石黒系図』と利波臣氏」という論考についての疑問と拙見です。 ○p438の第3行 「『系図』は、諸家の系図を数多く収載した太田亮の『姓氏家系大辞典』にも引用されておらず」の表現について →<拙見等> 太田亮博士の系図収集範囲は、実のところ、きわめて狭く、東大史料編纂所や国会図書館所蔵の系図すら収載されていない。鈴木真年関係では、『新田族譜』のみである。憲信の刊行物ですら収載されていない。太田博士の業績は高く評価できるが、記事には誤りもたくさんある。彼の言う「合理的研究法」も、視野が狭い面があるので、これを金科玉条にしないほうがよい。 とはいえ、『姓氏家系大辞典』は現在に至るまでの系図研究の最高水準にあるものであり、同辞典を高く評価することでは、私は人後に落ちないと思っている。それでも、同書には誤解も誤記・誤植もたくさんあるという事実を冷静に直視するのが、系図研究にとって必要であると考えるものである。 ○p438、p464註(11) 『越中石黒系図』は、「あくまで中世の石黒氏の系図であり、本来は中世史の研究においてその史料的価値を考察すべきである。」という見方 →<拙見等>中世の石黒氏の系図については、裏付けとなる関連資料に乏しく、石黒氏のどのような系図であっても、その史料的価値を評価することは、どの研究者もまずできないはずである。だから、「おもに日本古代史の研究で取り上げられ、とくにその信憑性と史料的価値は、そこに記載される利波臣氏の系譜をめぐり議論がなされてきた」(p438)のは、当然の話であって、これを異とする姿勢は疑問である。 ○p445関係 →<拙見等> 『交替記』を基に『系図』を作成することは、絶対にできない。そこに鈴木真年の創作活動や能力を考えることになるが、創作(ないし偽造)という立証はまったくなされず、貴見はたんなる想像論にすぎない。系譜の整理にあたって各種史料を参照、利用することがあるのは当然である。 そもそも、始祖から『交替記』に見える人物までの世代配置、人名をどのように創作できるのだろうかの問題である。『越中石黒系図』の初期部分が創作なら、関係する遊部君の系図(鈴木真年の『百家系図』巻29所収の「赤祖父」系図。『古代氏族系譜集成』630頁参照)もすべて創作となるが、真年には遊部君が利波臣と同族という認識はまったくなかった。遊部君に関連する地名は、飛騨北部や越中の砺波地方、大和にそれぞれあるが、垂仁天皇後裔という系譜を称していた事情がある。 ○p445関係 →<拙見等> 故飯田瑞穂氏の指摘は、一般論で言っているにすぎず、具体的に鈴木真年翁の業績・活動成果をご自身で具体的に検討され、その現実事情を踏まえて、それを基に批判しているものではない。私は、それを手紙で確認し、ご本人にも駒場の尊経閣文庫でお会いして直に話しをしている。これは、そういう噂を飯田氏が聞いたというだけの話で、これを基にして、「真年の造作」を言うとしたら、学問的な手法で言うと無責任な発言であり、勿論、論理的に偽造の立証にはならない。当の飯田氏にきちんと確認しないで、いい加減な憶測するのは問題が大きい。 飯田瑞穂氏も私との書簡往来や面談のなかで、上記の表現は世評に従ってものであったと認められており、その当該文章自体が短いごく随想的なものであって、実際に具体的な論拠を示されて考察し論じた論考ではない。こうした事情に十分な留意がなされるべきである。これについては、インターネット上に掲載の「「越中石黒系図」の偽造問題」を参照されたい。 http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/matosi/tonami.htm さらに、具体的には、 「飯田瑞穂氏は私宛の手紙(昭和61年6月6日付け)で、次のように述べられており、たいへん重要なことなので、とくに引用させていただくこととしたい。ただし、下線部は宝賀が付けたものである。 「…(前略)…自ら深く究めた上での文ではなく、世評に従っての叙述で、御私淑の先人への、不當な評であれば失禮の段は、深くお詫び申し上げます。ただ、幕末・明治の系圖家といったときに誰を思ひ浮かべるか、念のために、周りの人に聞いてみましたら、やはり真年翁の名のあがること多く、世間の受け取り方は、そのやうなことであらうかと存じますが−。 史学は、史料によって過去の事實に接近しようとする學問で、すべての叙述は史料の裏付けを要することであり、疑い深い私などにとっては、古代の氏族の系譜について、こんなに分かってよいものだらうか、材料は確かだらうかといふ思ひが先に立ってしまふのですが。分かりすぎるやうな印象を、正直のところ、抱きました。…(後略)…」 http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/arisimata/arisima1.htm を参照。 ※上記は飯田瑞穂氏からの私信ではあるが、研究者が人を見て言葉を使い分けるはずがなく、しかも既に故人となられており、プライベートな内容でもないので、公開している事情にあります。鈴木真年翁に関する表現以外は、飯田瑞穂氏のお考えはまったく当然のことだと受けとめています。 ○p445 「近年の研究では、『系図』は古くから伝わってきたものではなく、後世に作成されたことが確認され」の記事について →<拙見等> 古くから伝わってきたものではないことが、貴論考では明確に否定されていない。「後世に作成されたことが確認」とあるが、何をもって確認というのかが不明であり、立証がまったくなされていない。 系図の性格上、後世に整理された可能性はあるとも思われるが、鈴木真年翁がどこまで手を加えたのかはまるで分からない。しかも、これまで誰も、鈴木真年翁の新規の作成、創作を立証していない。ただ、『交替記』の記事と符合しすぎると指摘しているだけである。当該記事が史実どおりならば、符合するのは当然である。 いずれにせよ、古くから伝来の史料には誤記・誤写が多いこと、古代の人名には複数の表現やまったく異なった形の名で伝えられること(戦国時代の武将でも多くの名を持つ者がいる)があることをご理解下さい。この辺は、系図研究のいわば常識です。系図をよく知らない人たちは、簡単に「系図創作」を言いますが、多くの関係者をもち、先祖・後裔がきちんと関係氏族(通婚先、臣従先など)と符合・対応している系図を一人(ないし少数)の手で創作することは至難のわざです。 例えば、近世の山城で極めて多くの偽造史料を作成したと言われる椿井権之助の先祖の系図(『諸系譜』に所収)にはこの者の手が加わっているとみられるが、その稚拙ぶりを見れば、系図偽造の困難さが分る。 その意味で、私は、神代・上古から近世に及ぶ「標準世代」というものを、系図の判断材料で考えておりますが、多くの偽造系図の場合、これに符合しないからすぐ判別できます。なお、「標準世代」の説明は、拙著『「神武東征」の原像』をご覧下さい。また、偽造系図など系図の合理的な判断については、次ぎのアドレスをご覧下さい。 「系図の検討方法についての試論」 http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/kentouhou.htm |