初期物部氏の系譜 (1)

(問い) 物部氏祖についての宝賀著『「神武東征」の原像』篇126頁、307頁、319頁の系図や記事において、「ニギハヤヒ命の系譜は天津彦根命(天若日子)の子の天御影命(天目一箇命・経津主神・天太玉命)の子に位置づけられ」とありますが、
 
.ニギハヤヒが天目一箇命の第四子とするのは、どういう根拠によるものか。同神は神武紀下で「作金者」とあり、鏡作麻気神社や多度神社別宮に祀られ、葦田首・菅田首の祖、忌部氏の祖ともありますが。
 
.経津主神は「紀」で磐筒男神・磐筒女神の子とありますが、天津彦根命の子とするのはどういう理由によるものか。また、天御影命・天目一箇命・天太玉命と同神とされるのは何故か。
 
.天火明命が尾張氏族の祖というのは仮冒とわかりますが、ニギハヤヒは「一に云う、火明命の子」と注記されるのはどういう根拠によるものか。
.火明命の後裔が、邪馬台国系統と注記されるのはどういうことか。
.ニギハヤヒが、大物主命(大国主命と別神)であるとの原田常治『古代日本正史』ほかの説がありますが、どう考えるか。
 
 以上は、『古代人名辞典』『神社名鑑』『姓氏大辞典』などを繙いてみたのですが、理解できなかったので、質問しました。

  (守屋様より、07.12.13受け)


 (樹童からのお答え)

 神代及び初期の物部氏族については、分かりにくい事情が多々ありますので、関連する諸氏の系譜などとも比較照合し、地域や年代の問題も含めて様々な事情を整合的になるように考える必要があります。これまで刊行された書物を見ても、神代系譜を的確に整理したものは見当たらず、確かに難しい問題を含んでいて、大著『姓氏家系大辞典』などをもつ太田亮博士にも、物部氏族と凡河内氏族(『古代氏族系譜集成』では三上氏族として記載)との同一性に認識がないほどです。また、物部氏族と出雲国造族との関連も無視できないものがあります。
 現時点までの管見に入った史料等からお答えすると、以下のようなものとなります。ただし、別途新しい史料が出てきたら、再考することも考えられますが。
 
(1及び2) 同書319頁の系図では、天目一箇命の子に饒速日命をおく形にしていますが、第四子かどうかはよく分かりません。というのは、他の天目一箇命の子にあげられる諸神と重複する可能性もあり、その長幼の順序も不明だからです。
 一番の問題は、饒速日命の父祖が誰かということで、この関係の答が以下の問題の答にも通じます。関係する諸事情を以下にあげます。

@天目一箇命はその名の片目(目一箇)の神で示されるように、わが国の採鉄・鍛冶部族の祖神であり、筑紫忌部、伊勢忌部の祖と史料に見えます。また、天御影命は近江の三上祝の奉斎する祖神であり、宮地直一等監修『神道大辞典』には、ともに天津彦根命の御子と伝える事情などから、「天目一箇命と天御影命とは同神か」(神名表記は少し異なるが)と記述しています。
 「御影」とは鏡の意味であり、剣も鏡も鍛冶製品で、かつ天孫族の「三種の神器」にあげられます。ちなみに、もう一つの神器の「玉」を管掌した玉作部(玉祖宿祢)も、天目一箇命の近親(おそらく父神か)たる櫛明玉命を祖神としています(次のA参照)。鏡作麻気神社を奉斎した鏡作造も祖神の名(石凝姥命で、これは天御影命の妻神か)を異なって伝えますが、これも天御影命の後裔とみられます。
 この辺の系譜事情の殆どは、『古代氏族系譜集成』記載の三上祝関係系図に具体的で詳細に示されますので、ご参照下さい。また、物部氏族が鍛冶部族であったことは、畑井弘氏が『物部氏の伝承』(1977年、吉川弘文館)で朝鮮語などの分析から説かれています。私は畑井説に関しては全てに賛意を表するものではありませんが、参考になる指摘がかなりあると考えています。

A天太玉命は忌部首(斎部宿祢)の祖で、阿波・安房の忌部の祖は天日鷲翔矢命で、出雲の忌部と玉作部の祖は櫛明玉命で、筑紫・伊勢の忌部の祖は天目一箇命と伝えて、それぞれ祖神の名を異なって伝えますが、いずれも天孫族の神々であり、その大半が重複します。多くの系譜史料から考えると、「天太玉命=櫛明玉命」で、天目一箇命の近親であり、天日鷲翔矢命はその兄弟で少彦名神と同体と考えられます。

B伊勢の多度神社を奉斎した桑名首の祖・弟凝見命や、菅田首の祖・水穂真若命は、三上祝一族から出たことがその系図に見えます。葦田首は、『姓氏録』未定雑姓大和に掲げますが、葛下郡葦田に起る氏で、弟凝見命の兄である忍凝見命の曾孫の久等宿祢の子孫であり、同族には同じ大和在住の額田部連・倭田中連・高市県主があげられます。

C葛城国造の祖・陶津耳命は天日鷲翔矢命・少彦名神と同神と考えられ、その兄弟として葛城国造の系図に見える都留支日子命(剣彦命の意)は『出雲国風土記』島根郡山口郷条に見えますが、これが天目一箇命にあたるとみられます。『風土記』(平凡社東洋文庫145)で吉野裕氏は、「剣彦命であろう。……採鉄集団の首長の神であろう」と註をつけています。

D経津主神を物部祖神とするのは、多くの傍証事情のほか、近江国栗太郡物部村の勝部神社の祭神事情があげられます。同社は式内社ではありませんが、『文徳実録』及び『三代実録』に「物部布津神」として記載の国史見在社という古社で、物部布津神を主神とし、火明命・宇麻志間知命を祭神にあげます。この三神は「物部布津神−火明命(饒速日命を指すものと解される)−宇麻志間知命」という物部祖神の歴代をあらわすように受け取られます。

E世代的に考えても、饒速日命は神武天皇の一代前の世代に属する者であり(その子のウマシマチ命が神武に降服)、天目一箇命の子の世代におかれる。
 
(2) 経津主神は、『書紀』に磐筒男神・磐筒女神の子とありますが、「五百箇磐石」が経津主神の祖であるという所伝に関係しそうです。皇室や物部連などを出した天孫族の系統には、巨石信仰や日神信仰が強くありましたから、五百箇磐石も天孫族の祖先の表象といえるのかもしれません。
 経津主の名は、「霊(フツノミタマ)」の剣に因むもので、海神国たる葦原中国(奴国)と高天原(邪馬台国)との戦いとその後の軍事折衝にあたって、経津主神は高天原の使者として葦原中国へ派遣されたとされます。『書紀』では正使が経津主神、副使が武甕槌神とし、『古事記』では正使が建御雷神(=武甕槌神で、中臣連の遠祖)で副使が天鳥船神とされ、両書で所伝が異なりますが、天鳥船神は出雲国造の祖・天夷鳥命(武日照神)と同神とみられますので、出雲国造と物部連とは別の事情(『季刊/古代史の海』誌第22号(2000/12)に掲載の「出雲国造家の起源−天穂日命は出雲国造の祖か?−」を参照)から同祖と考えられますので、「経津主神=天鳥船神」となります。従って、記紀は同じことを伝えると考えられるということです。
 こうした経緯からして、経津主神が軍神、戦武の神であることは明らかです。霊の剣」は、いま石上神宮の祭神として奉斎されますが、この神宮を和珥氏族の物部首とともに奉斎したのが物部連氏であったことは著名です。『古代氏族系譜集成』(1116〜1119頁)をご覧いただければ、後世まで物部連後裔が石上神宮を奉斎したことが明確に記載されます。経津主神が剣という武器だけではなく、軍神たる物部連先祖神を表象する剣であったということです。
 石見国安濃郡の式内社、物部神社は物部支族の長田川合君(神主の金子氏は明治に男爵として華族に列)が奉斎した神社ですが、可美真手命を主神として、饒速日命・布都霊神を右相殿に祀ります。
 
(3及び4) 天火明命は「天照国照彦」という称号に示されるように、天孫族の首長にふさわしい名をもち、かつ、高天原の怡土支分国(伊都国)に派遣されたと解される(これがいわゆる「天孫降臨」の意味)、瓊瓊杵尊の兄という系譜を伝えますから、これらの事情から、高天原たる邪馬台国の王とみることになります。その子孫が邪馬台国の王統を伝えたとみています。
 饒速日命については、天忍穂耳尊の子で天火明命に重なる位置におく系譜があり(天孫本紀、亀井家譜など)、世代的に考えて、天火明命の子に位置づける所伝とも解されます。
 なお、尾張氏族は一族に海部直を出すなど海神族の系統ですから、天孫族の天火明命を祖神とするのは系譜仮冒です。尾張氏族の祖・高倉下が饒速日命の娘を妻とした可能性があり、これを含む諸事情から系譜仮冒したものとみられます。
 
(5) 『古代日本正史』などの著作のある原田常治氏については、根強い信者がいるようですが、その所説には疑問が大きい点がかなりあるように思います。地域と年代等を考えて、大和三輪の大物主命は、北九州にあった大国主命(大己貴神)と別神であり、出雲にあった大国主命(大穴持命)とも別神でありますが、これら大国主神関係神はいずれも海神族の祖神であり、天孫族の物部連の男系祖神になりようがありません。(このように、種族系統を無視した見解がかなり見られます

 最近も、『旧事本紀』の研究者として諸々の著作がある大野七三氏が、饒速日命を三輪氏族磯城県主の祖とする記事を『歴史研究』第557号(2007年12月号)に「『先代旧事本紀』と饒速日命」という稿で掲載しており、『皇祖神饒速日大神の復権』という著作でも同旨が記されますが、これは誤解です。この記事では、「大物主神とは饒速日尊の大神神社での祭神名である」という表現をしています。
 大物主命の後裔の磯城県主家がいったん絶えたのち、その女系を引く者が物部連の系統から入って磯城県主家を再興したことがあり(天孫本紀に記事がある)、その物部系統が後世まで磯城県主を世襲し後世の中原朝臣氏につながった事情がありますが、二つの磯城県主家を同じ氏として混同するのは疑問大ということです。
 
 (07.12.20 掲上)
 

  これに続く応答がありますので、初期物部氏の系譜 (2) をご覧下さい。

  また、関連して  天鳥船神の実体香取神たる経津主神に関連して−をご覧下さい。   
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